これは⁉️ネガティブ・ケイパビリティ😗?

 タイトルが、ネガティブ・ケイパビリティ続きですね。この度知ったこの新しい言葉が、ちょいとした変化を私にもたらしたしました。
 そう!小さな変化です。小さなワクワク😃💕です。
 先日私が借りてきた本は『視力のない世界から帰ってきた』(ロバート・V・ハイン著 晶文社)
 ※ ロバート・V・ハイン 1921年生まれ
   アメリカの歴史学者

 著者であるハイン氏は、若い頃発症したリウマチ性関節炎から派生した眼病、ブドウ膜炎にかかります。リウマチによる関節の炎症や腫れという苦痛に加え、視力を脅かす病気にもかかってしまったのです。
ハイン氏は青年期にある医師から
「いずれ失明する」と告げられていたものの、それを拒絶し続けながら、大学教授という職につき学生たちに歴史学を教えていました。
 しかし、目の状態は悪化の道を辿ります。
行動の自由は大きく制限され、生活形態も変化を余儀なくされます。何より、どのように仕事を続けてゆくのか?
失明を予告した医師のことばに屈服するときが刻々と近づいてくる不安な状況の中、ハイン氏はさらに苦しい問題に直面します。

 この事は「娘との葛藤」という見出しの中で、短く語られています。本書の主題ではないものの、この短い文章が、心にしみました。そして、これって『ネガティブ・ケイパビリティ』だよねと感じたのです。
以下抜粋です。

 このころ、娘のアリスンは、十代初期の不安な時期を過ごしていた。バレリーナの体形を保とうと必死になるあまり食べ物を受けつけなくなり、精神的にしばしば危うい状態に陷った。口論、説得、涙。私たちは、こうしたことをすべてともに体験しようと努力した。
 この本はアリスンの物語ではないから、とりあえずここで述べておきたいことは、私たちは何年にもわたって、きわめて深刻な事態に直面しつつ生きていったという点だ。アリスンの抱える問題のうち、いったいどの程度が私の盲目という状態に関係していたのか、あるいは逆に私の盲目がどの程度、彼女の精神状態を生みだす要因になっていたのか、それは永久にわからない。

   視力のない世界から帰ってきた
    ロバート・V・ハイン著 晶文社

 このような苦しみに対する答はなく、その問題とともに生きていったという・・・これこそ、ネガティブ・ケイパビリティ的な生き方といえるのではないか?と思ったのです。
 いまだ、しっかりと解釈できていないこの言葉ですが、こんな風に自分なりに、ネガティブ・ケイパビリティ探しをしてみようと思ったのです。

 そして、久々にワクワクしているというわけです。
 
 さて、その後ハイン親子はどうなったでしょうか?
 時が経ち、アリスンは子を持つ母となります。一方ハイン氏は完全な盲目状態となり15年をすごします。点字、音読ボランティア、音声コンピューターなどの支えを得たり、自身の工夫を重ねながら仕事は続けてゆきました。ところが、目の状態はさらに悪くなり、続発性緑内障という深刻な状況に陥ります。盲目であることを越える危機状態というものが、どんなものなのか?理解しづらいのですが、手術のリスクを考えている場合ではない!という主治医の言葉に従い、ハイン氏は手術にのぞみます。
そしてその結果なんと!右目の視力が戻るのです。

 眼病の更なる悪化が、手術を余儀なくし、結果光を取り戻すとは。不思議な運命ですね。

 15年の盲目期間ののち 視力を回復するという体験の客観的な観察に加え、このような激変にともなった喜びや戸惑い・・・
このような、貴重な体験が語られた一冊でした。
❇️はてな記法の引用を使ってみたよ❗
 

視力のない世界から帰ってきた

視力のない世界から帰ってきた