大人になるとは?

 前回のブログ・・・盲目へのカウントダウンが、始まり、現実生活でも、気持ちの上でも追い詰められていたさなか娘の精神的な不安定に見舞われたロバート・V・ハイン氏について書きました。
kyokoippoppo.hatenablog.com

 なす術もなく、いさかい、説き伏せ、泣き、混乱する数年を共に過ごすしかなかった。
という、ハイン氏の記述を読み、私はこれぞ「ネガティブ・ケイパビリティ」と、解釈したのですが、この、解釈が、正しいのかはわかりません。 
帚木さん良いのかなあー?と聞いてみたいものす。

 簡単に答の出ない困難に際して、答えを急がない。何かを処理し問題を解決しようとしない能力(しない能力ですぞ!)を、ネガティブ・ケイパビリティと呼ぶわけですが、解決しないことを選びとることと、解決しないまま結果月日が経ったというのは違うわけです。後者は「ネガティブ・ケイパビリティ」ではないのかもしれませんね。
 帚木さんによれば、人間の脳というのは、そもそも「分かろう」とするようにできているので、それに抗うネガティブ・ケイパビリティを実現させるのはそう容易いことではないというのです。
 記憶も、理解も、欲望もネガティブ・ケイパビリティ獲得の妨げになるという。
そうなれば、あまりに手に入れにくい能力と言わざるを得ないのです。

 でも、とりあえず私は、この「ネガティブ・ケイパビリティ」を、かなりアバウトに「解決しない様々な問題の中に身を置いている状況」とイメージして捉えることにしました。
 その上で、この言葉を傍らにおきながら、様々な人の生きざまを探り、そこから発せられるメッセージに耳を傾けてみようと思います。

 すると本の断片に、また、他者のブログ記事に次々と目が止まるようになりました。そこを素通りせずに足も停め、味わうようになりました。

 昨日、はてなブログで紹介されていた。
シロクマの屑籠のブログ記事もそのひとつです。

p-shirokuma.hatenadiary.com


 高学歴者ほど「若者」から「大人」になるタイミングが難しい
という記事はイメージしやすいものでした。
 私は今地元の小学校で支援員として働いておりますが、今や保護者が、息子たちの同級生です。
おやまあ!あの子もあの子も親になったか!と感慨深いものがあります。
 彼らは、高校卒業後 親の家業を継ぐため専門学校などで学び、地元に戻り家業を継いでいる人がほとんどです。
 十代で、自分の将来を決め、その道を進んでおり、自立を果たしております。その過程で結婚、子をもうけ、子孫を残すという動物にとっての大きな役割も完了しております。
 そんなお父ちゃんたちを見るにつけ、我が長男の足踏みぶりはもどかしいのですが、さて、その長男は高学歴者か?といえばさにあらず、なんと中卒です。
 このことは、いずれこのブログでお話することがあるかもしれません。
次男は地元の、高校を卒業後、電気系の専門学校へ進みましたが、中退。
現在フリーの仕事を掛け持って奔走しておりますが、家庭を持ち、子孫を残す見通しはたっておりません。
 唯一長女は、結婚し、子をもうけました。
予期せぬ妊娠発覚となり、自分は子どもを愛せないのではないか?子を愛するのも一つの能力で、自分にはそれが備わってないのではないか?と悶々としておりました。しかし、妊娠中の娘は、はらんだメスそのものになり、出産後はすんなり母となりました。
 シロクマさんの説はうなずけるものの、そのパターンで括れない人もたくさんいるしなあ、というのが、私の感想です。
 大人になるとはどういうことか?
高学歴者は大人になりにくいのか?
親になることイコール大人になったことといえるのか?
様々な問いが湧いてきました。