動悸 不眠 下痢 唾液が出ない・・・あれは11年前・・・

 11年前のちょうど今頃。
私は常に動悸がしていました。
下痢も続いていました。
唾液が出づらくなっていました。
怖い怖い怖いと怯えていました。

 1月中旬から始めた仕事のせいです。小さな小学校で働き始めたのです。任期は3月末まで。
正味日数は50日足らずでした。
たったそれだけか・・・物足りないとすら思ったものです。小学校教諭の免許は持っていたものの、経験は独身時代のたった三年間。
その三年間で、「むいてないな」と痛感した、そんな程度の経験しか持ち合わせていませんてした。

 ですから、採用に際しては、不安もあったのです。でも、限られた日々、一生懸命働けばなんとかなる。子どもたちと心を通わせてみたい。
自分の子育ての経験が助けとなるだろう。
失うもののない、しがらみのない私は、強い気持ちで仕事に向き合えるだろう。
そんな考えでこの仕事を引き受けたのです。
(相手からしたら、お金目当てでやりたいやりたいと志願してきたと思われていたようです。あっ、まあ、お金はもちろん欲しかったです。当時も切実に。)



で、さんざんだったのです。

 大きな原因は、私が仕事にふさわしい知識、技術をもっていなかったということにつきますが、
それでも、その中で奮闘するということすらできなかった原因は?と省みますと、私が保身に走ったからだと言えます。
私は、子どもたちに眼差しを向けず、早々に管理職の承認を欲しがってしまったのです。
 子どもたちは、それをすぐに感じとりました。
私という人間の底があっというまに見破られ、造反が始まりました。もともとそのような素地があり、だからこそこのような半端な時期に、私ごとき素人の採用となったのですが、私が赴任したことにより、事態は収束するどころか、ますます混乱をきたしてしまいました。管理職の承認どころではありません。
 管理職は、とんだやっかいものを抱え込んだ とため息ものだし、悪いことに子どもはそういう力関係までも見るはめとなったのです。

 私は、管理職からも子どもたちからも軽蔑されていることをひしひしと感じました。
そして、自分に対する尊厳を失ってゆきました。
ゴミ・・・はい、私はゴミです。
犬・・-はい、私は犬ですご主人様 って感じ。

 職場は、恐ろしい場所となりました。
そして、冒頭で述べたような状態となりました。
自分の輪郭が薄らいでゆき、長年暮らしている土地の景色もよそよそしく映りました。
自分の根っこが萎えていく感じです。
見知った友達が訪ねてくれると、ぶわっと、涙がこぼれました。
唯一自分をしっかり確かめられる場所は家庭でした。「私を見捨てないで、だれか一緒にご飯を食べてー。」とすがる有り様でした。

「京子さん、春までの仕事でしよ、春は来るから」
と慰めてくれる友もいましたが、私は
「明日が怖いの。」と怯えることしかできませんでした。
 校長にしてみれば、こんな私でも、辞められれば、これば相当な不祥事(私て四人目の担任でしたから)なわけで、
「辞めないでしょうね!」
と釘をさされていました。私は犬でしたから。
「はいはいはいはい、ワンワン🐶」
でも、そのように言われなくても、私自身は辞めないことは決めていました。
辞めてやるのが、意地悪な校長に対する最たる復讐であることは想像できましたが、それをしたら私のわずかに残る尊厳はゼロになると思っていました。

 お金?そん時はお金云々なんて考えられなかったよ。ウソじゃないよ‼️


3月末日までの、長かったこと長かったこと。
ああ、鬱ってこうやってなっていくんだな、と感じた日々でした。
《その間、力になって下さった先生もおられたことは、ご報告しておきましよう。》

 しかし、その後息子が経験する鬱の実態を知るにつけ、当時の私のものとは違うなと思うわけです。
私は
心が、気持ちが辛く、それに応じるように身体に変調をきたしましたが、自分の「脳」の誤作動を疑うことはありませんでした。
 短い雇用期間を、終えた私は
「ああ、終わったあ。解放されたあ」
と感じ、様々な不快な症状もきれいに去ってゆきました。おおいなる反省と、自分の弱さの自覚は続きましたし、恐ろしかったぁ、という記憶が生々しくよみがえる日々も続きましたが、体調の回復は目覚ましく、後遺症は残らなかったのです。

 鬱イコール心の病と思いがちで、そういう側面も確かにありましょうが、それだけなら、鬱は心のコントロールで治って行くはずです。
ところが、鬱は脳の病なのであってだから薬も使わなければ治らないのです。

 と共に、うつ病は身体の病というのが息子の様子を知るほどに感じる印象です。

何故、私よりうんと若いこいつがこんなに疲れるのか?何故、やりたいことがあるのにできないのか?
何故こんなにボーッとしてるのか?何故電話の声がビブラートかかっているように聞こえるのか?

 まず、脳の誤作動があり身体が思うようにならなくて、それで苦しい。情けない。
というように心の苦しみはそれの結果としてあらわれているように感じます。
私が経験したのが
1・きっかけ→2心(気持ち)→3・身体なら息子は
1・きっかけ→→→2脳→3・身体→4心(気持ち)
という感じかな?→→→の部分に相応の気持ちの揺れはあるとは思いますが。

そのことが端的に表れているブログを見つけまた。シロクマの屑籠 経由で訪れることのできた貴重なブログです。

p-shirokuma.hatenadiary.com

goldhead.hatenablog.com

 gold headさんが患うのは躁鬱病で、うつ病ではないのですが。息子の訴える「動けない」とはこういうことなのだなと納得のいく内容でした。



さて、今だから言えることですが、11年前の体験はとても貴重だったと思います。
これを知っている私と知らない私は別物です。
息子の病とピッタリ重ならないにしても、息子の苦痛にいくらかでも寄り添うことができるのも、あの体験があったからだと思えます。
 二度と教育現場には戻りたくないと思っていた私ですが、結局その後10年以上小学校で働いています。

特別支援教育の支援員という仕事。
これは、私はに向いているようです。
いずれ話題にしますね。