ミニマリストにはなれないけど

 前回はミニマリスト
佐々木典士氏の本の紹介と、超ささやかながら、私もボチボチ捨てていくよ、という日記を書きました。

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -

 さて、わが家は相変わらずです。
小さなゴミ状のものをゴミ箱に捨てるという、一般家庭で極当たり前にやっていることをしたに過ぎません。これを皮切りに ミニマリストへの道へ進むことなど どう考えてもできそうもありません。

 でも、佐々木典士氏の言葉は生きていく上での
大事な指標として残すことができそうです。
佐々木氏の説くミニマリズムは、物を捨てるという行為だけが目的ではありません。
 必要なものを見定めるという大前提があり、それだけを残すという行為の結果、大量の不用なものが捨てられ、みごとに簡素で、清潔、気持ちの良い空間が現れたという事のようです。

 それば、「物」に限ったことではなく、考え方にも及び、常に、生きるに必要な考え方とは?
という問いと共に暮らしています。
ミニマリズム」は、その両輪の上に成り立っているのでしょう。
 それにより、佐々木氏は思いもよらぬ「幸福」を手に入れました。それまでの彼の生活は決して「しあわせ」なものではなかったといいます。
以下、著作「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」からの抜粋です。

今までぼくもご多分にもれず、モノを溜め込み、それが自分の価値、ひいてはぼくの幸せにつながると考えていた。冒頭の汚部屋の写真を見てもらえばわかるけど、ぼくはモノが大好きで、なにも捨てられないタイプだった。ひたすらにモノを増やしたいタイプだった。
 だか、モノをもっていたぼくは、人と比べてばかりて、みじめだった。自分がすべきことがわからず混乱ばかりしていた。何も深く考えられず、時間をムダにしていた。どうしても、と自分で選んだはずの職業を後悔し始めてもいた。お酒に逃げ、女性に迷惑ばかりかけていた。自分はこの程度の人間だと、ただすべてに慣れていくことしかできなかった。

自尊感情が低く、不幸せな彼の姿がそこにあります。佐々木氏のブログにもそれは綴られています。
自死の可能性すらあったという内容に、苦しみが大きく深かったことがうかがえます。 

http://minimalism.jp/archives/2799

 そして私には、その苦しみがミニマリストへ向かう際の重要な助走になっていると感じます。
際立った負の状態が、ミニマリストという反対の極へと振れる原動力になっているように感じられます。
佐々木氏は物を捨てながら、
物とは何か?
経済の仕組みとは?
欲望とは?お金とは?健康とは?
不幸せとは?幸せとは?
様々な問いに向き合い、それらを精査してゆきました。
 
 今まで肩にのしかかっていた余りに多くの思い込みや考え方に気付かされ、それらを捨ててゆきました。

すると何と生きやすい世界が、現れたことか!
その 幸せを語る言葉の何と美しく心地よいことか!

その言葉に惹かれました。
ならば‼️
私も同様のことををすればよいわけですが、それが、簡単にはゆかない!
こんなに幸せ🍀になった佐々木を知って尚、難しいのです。
きっぱりさっぱりとはいきません。

 昨年、夫の退職金でローンを払い終わった家がある。
ベッドがある。ピアノがあって琴まである。本もいっぱいある。夫が買っくる物がある。私か溜め込んでいるものがある。
思い出を整理したアルバムがあり、子どもらから預かった荷物がある。子どもや孫が来たとき用の部屋がある、思い出がある。
残高が、気になる通帳がある。心配がある。
もう少しまとまったお金があったら軽減するように感じている心配がある。

未だ夫婦で、話し合えない将来設計がある。
どうなる?