西村賢太氏の『芝公園六角堂跡』を読みました。彼の作品はいくつか読んでいます。
- 作者: 西村賢太
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/04/19
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我が息子が中卒なもので、中卒者の人生に自然と興味が湧くのです。もちろん、中卒であろうと、大学院卒であろうと、その後の人生は人それぞれだとは思っていますよ。
『苦役列車』というタイトルを読むだけで、この作品のムードは伝わってきます。
苦しい人生なのであろう。
汗水流す仕事なのであろう。
世の中の底辺に暮らす人が描かれているのであろう。
なにより、その暮らしは創造の産物ではなく、作者の実体験のものであるという。
・・・・読まないわけにはいきません。
そういう話を読むのが好きなのです。
はて?何故好きか?
その、人生のダメっぷりを堪能したいのか?
苦しい人生に寄り添い応援する自分を確かめたいのか?
我が人生や我が子たちの暮らしと比較して安心したいのか?・・ーあなたよりましと。
いや、人生には一発逆転があるぞと期待をつなぎたいのか?
なんだか、どれも当てはまらなさそうで、いや、どれもあてはまっているようで・・・・
さて、『苦役列車』...
ここからは西村賢太氏とは記述せず、
「北町貫多」で書き表します。
私が知るのは作中の「貫多」だからです。
もちろん作者西村氏の生きざまとほぼ重なる人物像です。
北町貫多19歳。
中卒。
大学はおろか、高校にさえ進学しなかったのも、もとより何か独自の理由や、特に思い定めた進路の為になぞ云った向上心によるものではなく、単に自業自得な生来の素行の悪さと、アルファベットも満足には覚えきらぬ、学業の成績のとびぬけた劣等ぶりがすへての因である。
『苦役列車』より
以下の引用も同様
そんな貫多は港湾日雇い労働者として働き、得た金銭はご飯、タバコ、風俗などもっぱら生理的な欲望の処理に費やされていました。
作業現場で知り合った友との交流も 貫多の根にある妬み嫉みのせいで上手くゆかなくなります。そもそも人種が違うのです。
周りはみな普通の人であり、貫多は普通の域に達するのも難しい人生を歩むしかないのです。
彼の父親が起こした性犯罪により、少年期より大きくその人生を狂わされた貫多。
すでに戸籍上では他人になっているとは云い条、実の父親がとんでもない性犯罪者であったことからの引け目と云うか、所詮、自分は何を努力し、どう歯を食いしばって人並みな人生コースを目指そうと、性犯罪者の倅だと知られれば途端にどの道だって閉ざされようとの諦めから・・・・
そのような自暴自棄が、ポジティブなものを産み出しようもなく・・・・貫多に次のようなため息をもらさせるのです。
しかしそれにしても、こんなふやけた、生活とも云えぬような自分の生活は、一体いつまで続くのであろうか。こんなやたけたな、余りにも無為無策なままの流儀は、一体いつまで通用するものであろうか。
それを考えると、彼は何んとはなしに、自らの行く末にとてつもなく心細いものを覚えてくる。
貫多にとってこの世は
ひどく味気なくって息苦しい、一個の苦役の従事に等しく・・・
感じられるのです。
さて、そんな貫多が、世の中にヒョッコリとそしてはっきりと、姿を現します。2011年西村賢太氏の芥川賞受賞によってです。
それは、北町貫多が得た賞でもあるのです。
それによって私は「貫多」を知ることになりました。なお、19歳の「貫多」と出会ったその時点で 貫多は中年になっており日雇い肉体労働という「苦役列車」から降りていることも知ったのです。
西村氏はこの栄えある賞によって「賢多」と訣別しなければ、ならないんじゃないかな?
受賞後・・・つまり苦役から解放された「貫多」はもう魅力を放たないのではないかな?と思いました。
受賞後の「貫多」の日常は、『一私小説書きの日乗 (角川文庫)』でのぞいてみました。
そして先日『芝公園六角堂跡』
を読み終えました。
- 作者: 西村賢太
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おお、「貫多」は魅力を放ってそこに生きていました。
追記
2月18日のブログで引用させてもらった
goldheadさんも、『苦役列車』について語っておられることがわかり、うれしくなり、親近感満載でご紹介!