何故生きづらいのか?何故幸福感が得られないのか?何故自尊感情がこんなに低いのか?
悶えるように苦しむカトーコーキ氏。
彼の病も鬱病でした。
生きていくためには動かなければならない。しかし身体が動かない。
生きていくためにはお金が必要。だかそれが無い。
医療では救われない。自力の解決もできない。
頼ったものはカウンセリングでした。
そして「何故」の答えを得るのです。
子ども時代に父親から受けた「外的コントロール」。 これこそが、コーキ氏の生きづらさの原因だったのです。
・・・という個人的なストーリーなのですが、多くの人と共有できる大事なテーマを含む一冊でした。
タイトルにあるように、この物語の扉を開けたのは東日本を襲った七年前の地震でした。
7年前、コーキ氏は福島県南相馬市で被災しました。幸い津波の影響は免れ、親族、友人も無事でした。
しかし、原発の爆発が彼を追いたてます。
兄夫婦の子ども(姪っ子)の命を守ることを最優先にするという決断のもと、地元で働いていた母親もやむなく残し、その日のうちに福島市へと避難します。さらにそこも危ないという助言を受け、数日後には函館へと避難して行くのです。
姿の無い放射能は、
生きるか死ぬかという恐怖を生み出し、彼らをパニックに巻き込みました。ガソリンの供給もままならず、道路も寸断されているなか北へ、北へ。
様々なものを故郷に残して。
3月16日、ボクたちは遂に函館市へ入った
街に入ってすぐボクは違和感に包まれた
街が驚くほど平和なのだ
コンビニの弁当コーナーにはおにぎりが並び
ガソリンには制限がなかった
突然日常が揺さぶられ、壊れ、信じられない報道を目にし耳にし、命の危機をリアルに感じなからここまできたものの、安全こそを求めてここまできたものの・・・・・その景色に戸惑うコーキ氏。
自分で選択したことなのにもはや何が現実で何が幻かわからなかった
自分の一挙手一投足が空々しく思え何かの役を演じさせられているような、そんな気分だった
今にして思えばボクはこの時すでにこの先自分を苦しめることになる地獄の入口に立っていたのかもしれない
バタバタと飛び出した福島の片付けを済ませ、函館で始まる「第2の人生」の足場も整おうとしていた8月。
コーキ氏の緊張の糸が突如切れました。
あっという間にそれに飲み込まれてしまいます。故郷や以前の生活を失った喪失感、安全な場所にいち早く逃れてきたことへの罪悪感。自分のようなものが生き残ってしまったという懺悔のきもちに苛まされてゆくのです。自分のようなものが、無価値な自分が、ダメな人間が・・・・。
そして、ストーリーは後半へと続いてゆきます。
震災をきっかけにこの物語は始まり、コーキ氏が自分自身の人生を獲得するまでが、語られています。
震災は彼から多くのものを奪いましたが、震災がが無ければ、漫画家としてのカトーコーキは誕生しなかったのではないか?と思います。
父親によって奪われ、震災によって奪われ、塗炭の苦しみの道を歩いたからこそ、この一冊は産まれたのです。
※追記 写真の貼り方がまだまだだなあ。。