そうだ 急ぎ旅ってわけじゃないのだ
先のブログで、「今さら林竹二を語っても、自分のノスタルジーにしか過ぎない。
今の自分と繋がるものは何も無い。」
と書きました。
が、はて?そうだろうか?
もし私が林竹二を知らなかったら?
と想像してみます。
’’今の私’’はいはないだろうな。
当然我が子たちの状況も違っているでしょう。
繋がるものがないどころか、すでに切っても切れない繋がりの中に自分がいると考え直しました。
ただ、ここ近年林竹二を意識して暮らしてはいませんでした。
なぜ、今 林竹二か?といったらブログを始めたからです。書くネタになったからです。
林竹二に言及した他者のブログ記事を読めば無性に嬉しくなり、その方と仲間になったような気持ちになってしまう私。
そんな私がまだいるのです。さあ、書いていきましょう。
そして、呟いたのがこんなこと。
「急ぎ旅ではないのだから・・・・」
そう、教育の変遷をゆっくり辿りながら、その過程で林竹二にも触れてみようと考えました。
乏しい知識を偏った情報で補うような記述になるかもしれませんが。
ゆっくり楽しんで。
『子どもやがて悲しき50年』
大事にしているフォトルポルタージュです。
書くにあたりこの本を参考にします。
終戦の1945年から1995年の阪神淡路大震災までの50年分の、主に子どもや教育に関連する写真が収められています。
写真の出典はさまざま。
ジャーナリストの村上義雄氏が編集しております。
巻頭の言葉を久野収氏が書いており、巻末には井上ひさし氏、落合恵子氏、石坂啓氏による‘’ざっくばらん討論‘’が寄せられています。
本編は、10年ごとに見出しがつけられ、どのような時代だったのか?それによって子どもや教育はどう変わっていったのかが見通せるようになっています。
私も、同じタイトルを使いその時代と自分史を対比させてみようと思います。