忙しい日々の中でのオアシス

  土曜日の午後に・・・・

 娘と孫がまだ滞在中で、忙しい日々が続いています。
そんな中、絵本の読み聞かせの活動を主に行っている「リーディングクラブたんぼぼ」の総会に出席するため、土曜日の午後図書館へ行きました。

 会員ではありながら、小学校での読み聞かせには、もちろん参加できず、逆に子どもたちと一緒にお話を聞かせてもらう立場の私。
その他の活動にもほぼ参加できずにいます。
私は集まって美味しいもの食べるよーなんていうときに参加する「お食事会員」なのです。

 昨年度の事業報告と今年度の事業計画をさくっと聞いた後は、おやつ&おしゃべりタイム。
この辺りからが、私の出番という感じで、おいしく食べて楽しくおしゃべりしました。
それにしても、このおやつ・・・会員さんの手作りです。わずかな材料費で、みんなの分(昨日参加は6名。余りはお土産でいただきました。)を作ってくれたのですから、たまげてしまう。

さて、本題に入りましょう。

三井三池闘争

 前回のブログでは、1950年代半ば以降の‘’衝突する10年”より、勤評闘争と60年安保闘争について書きました。
kyokoippoppo.hatenablog.com

 参考にしている写真集『子どもやがて悲しき50年』には、
合わせて三井三池炭鉱の大量解雇闘争時のものも収められています。

 これについてネットなどで調べてみますと、これは、闘争のための闘争という性格が強いようです。
穏便な労使交渉でだまされてたまるか。
もっと強く主張し、先鋭的に闘い続けることで、労働者の闘いの見本となろう。
というようなイデオロギーが強く支配し、熱気を帯びたようです。

安保闘争に破れた後、この闘争に身を投じた学生も多かったようで、後に繰り広げられる激しい学生運動や70年安保闘争の萌芽が見てとれます。
http://www.miike-coalmine.org/data/koe/zengakuren.html ←ネットで見つけた記事です。

 労働者は無期限のストライキで抵抗を形にしたわけですが、すると当然給料が断たれます。
組合からの支給やカンパではとても賄いきれず、彼らは「貧困」という困窮も相手にしなければなりませんでした。
一部の労働者は新たな組合を作りストライキから離脱していきました。
それをはばむあくまで闘い抜きたい人々との間に軋轢が生じ、内部にも紛争を抱えてしまうのです。
一緒に働いていた仲間の分断と争い。生活のために離散する家族。そんな場に生きた子どもたちの姿が収められています。

(写真は「子どもやがて悲しき50年より)

オアシスのような数ページ

 さて、そんなページのなかにあるオアシスのような数ページが、斎藤喜博の実践の様子てす。
数年前 職場で共に働いた若い先生に「斎藤喜博」のことを話したとき、「だれ?」という反応だったので、びっくり仰天しました。
私が教員として働いていた頃、知らない先生はいなかったその名前。それは30数年の年月の間にすっかり風化していたのです。
次回は、斎藤喜博について綴りましょう。
林竹二に若干近づいたぞ!!