kyoko‥中学生
私が中学校に入学したのは、1970年の春のこと。
真新しい制服に袖を通す新生活にワクワクして、通ったことを覚えています。
児童数増加のため、小学生4年生のときに分校に移っていった懐かしい友の顔にも再会できました。
ぶんぞう先生という社会科の先生がおりました。(苗字より名前の記憶の方がはっきりしております。)
その文三センセが、最初の授業のときいきなりこう質問したのです。
「来年のことを言うと鬼が笑う・・・・では、再来年のことを言うと何が笑うのか?」
????何ですか?それ?
先生は教室の端の生徒を立たせて、
「さあ、何が笑う?」
と、再び問いました。
「わかりません。」
「ではその後ろ」
先生は次々と生徒を立たせてゆきます。
「わかりません。」
の答が続きます。
来年が鬼ならこれか?と思った生徒は
「福」と答えました。
文三センセは鼻で笑って「ちがう」と言いました。
そもそも、「来年のことを・・・」という言葉だって今聞いたばかりで意味もわからないのですから、考えようもないのです。
全員の生徒が、しどろもどろでした。
文三センセは、その赤ら顔を軽蔑したように歪め、それでもって非常に満足そうに口元をほころばせました。
お前ら良く聞けよなって気分だったことでしよう。
彼は厳かに正解を発しました。
「来年のことを言うと鬼が笑う。
再来年のことを言うと・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・自分が笑うんだよ。」
そうでしたか。
が、どういう意味でそれが正解なのかも分からない私でした。おそらく周りの級友も。
ああ、高校受験のことを話題にしていたのかと気づいたのは、ずっと後になってから。
どだい入学したての私たちに、最終学年時を想定させようったって無理な話だったよなあ、と思うわけですが、今の子どもたちならピンとくるのかな?
自分の進路や職業について早くから話題にされることが、我が子ども時代よりずっと多いですから。
文三先生は生徒指導の先生でもあり、朝礼の度に中学生らしさについて語り、文三先生がイメージする望ましい中学生像に私たちを沿わせようと情熱を、傾けておりました。
外出の際も制服着用!とまで言っておりました。(それを守る生徒はおりませんでしたが。)
中学生の非行や暴力(校内暴力)が取り沙汰され始めた時期で、私の在学中にも、先生の指導に反発し、暴れ、投石したりする子がいましたし、くるぶしまでの長いスカートをはき自己主張する女生徒(スケバン)も、出始めました。
学校側はますます神経を尖らせます。
このような状況は我が校だけのことではありません。1970年代の教育に関するキーワードを拾ってみると
落ちこぼれ
受験地獄
教育荒廃
非行
校内暴力
不登校
塾の乱立
と、列記することができます。
消された学校
さて、そのような時代に
「楽園」と呼ばれた公立の中学校があったというのですが、ご存知でしたか?
それは山梨県にありました。
白根町立『巨摩中学校』
という学校です。今その名称を検索してみると、
南アルプス市立『白根巨摩中学校』
の名も、多くあがってきます。
この『巨摩中学校』と『白根巨摩中学校』は一つであって別物という存在です。
フォト・ルポルタージュ『子どもやかて悲しき50年』で、「消された学校」として紹介されている『巨摩中学校』のことを詳しく知りたくて
検索で表示された『地方公立校でも「楽園」だった』
という本を図書館にリクエストしてみました。
- 作者: 村上義雄
- 出版社/メーカー: 太郎次郎社
- 発売日: 1995/08
- メディア: 単行本
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地方公立校でも「楽園」だった―再生のためのモデルケース (中公新書ラクレ)
- 作者: 川村美紀
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2005/09
- メディア: 新書
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図書館では旭川の図書館にあったその本をさっそく手配して下さって、今は私の手元に。
興味深く読み進んでいるところです。
次回はそれを、紹介する予定ですが、うーむなかなか手強いぞ!うまくまとめられるかな。