ろうそくだせ

『桐の花』『グスベリ』

(このブログ七夕の日に間に合いました。)

 石森延男によるこの本が大好きでした。f:id:kyokoippoppo:20180806154929j:plain:w200:right
石森氏の幼少期の思い出が語られております。
読んだのは高校生の頃です。
文章が素晴らしく、楽しく共感を呼ぶお話がたくさん。
読むと風景や様子がまざまざと目にうかぶのです。
個人的な思い出や体験が、このように他者の共感を呼ぶのは何故でしょう。
これを見事に文章にしたものが、「グスベリ」の巻末にありました。
以下は森田たまさんの文章の一部です。

南国九州に生まれた者も、北の果て北海道に生まれた者も、心の底には通ひあふものを潜めている。
これは世界各国のあらゆる人について云へることではないだらうか。人間といふもののすべての心に住んでいるもの、それを実に見事に石森さんは描き出してくれている。石森さんの『グスベリ』はわらべうたであり、少年の詩である。これを読んで童心を誘ひ出されぬものががあるだらうか。これは子供の本であると同時に大人の本でもある。

(原文のまま旧かなづかいで書きましたが、『い』の字は変換されず『い』で書き表しました。)

 舞台は北海道・・・・・その頃の私にとっては未知の土地でした。
『グスベリ』に収められている「たたなばたまつり」も印象に残りました。
北国には竹が育たないので柳の枝に短冊を吊るすということを、これを読み知りました。
飾るものは本州のものと似たようなもので、色紙を色々な形に切ったり、折り紙でだましぶねややっこさんを作ったりして下げるのです。

たんざくには、「天の川」と書いたり、「たなばたさま」とかいたり、「ひこ星」「はたおり姫」と書いたりしました。みんなすみをすって筆で書くのです。
 わたしは、画用紙を小さく切って、それに鳥の絵や魚の絵をかいてさげようと思いつきました。
「そんなものかいたら、いけないわ。」
姉が、こういってとめました。
「どうしていけないの。」
「だってお星さまにあけるんだもの、ふざけちゃわるいわ。」
わたしはべつにふざけるつもりはなく、かえってにぎやかになっていいと思いました。お祭りらしい気持ちになると思ったからでした。〈鳥は空を飛ぶものだし、魚は天の川にもいるだろうし、お星さまだって、べつに悪くは思わんだろう。かえってこんな絵を見て、お星さまも喜ぶかもしれんぞ。〉
 姉にとめられましたが、わたしはどんどんかきました。ちがったものをたくさんかきました。チョウチョウやカブト虫やトンボもかきました。おしまいには、カエルもトカゲもブダもかきました。姉はあきらめたらしく、もうこごとはいいませんてした。

短冊を飾りつけた柳の枝を、弟とかついて歌います。
「たけに たんざく
たなばたまつり おお いや いやよ
ろうそく 出せ 出せよ
出さないと かっちゃくぞう」

夜になると、ほおずきぢょうちんに火をつけて、町の、通りをねり歩きます。子どもたちは、とこの家ということなく、玄関先にはいって行っては、ろうそくをねだるのです。

 歌のはじめが、「たけにたんざく」とあるので内地のほうの歌が伝わってきたのではないか?と石森氏は書いていますが、私はこのたなばたの様子を北海道の風習のようにとらえ、心に残したのです。

子どもたちの七夕イベント ~ろうそく出せ

 その数年後、私は結婚し、なんと北海道に住むことになりました。
 そしてある8月7日の夜、近所の子どもたちがやって来たではありませんか。
「ろーそくだあせ、だあせえよ🎵」

わあ、本当に来るんだ!
用意のなかったためビックリです。
子どもたちは「ろうそく出せ」と言いながらお菓子をねだるようです。
その時は、たまたまあった飴の袋を、みんなで分けてと渡したのではなかったでしょうか。

 我が子が生まれ、もの心ついた頃、私は近所の同じくらいの年齢の子どもを持つ親たちと相談しました。
この「ろーそく出せ」のイベントを体験させてやりたかったのです。
でも、夕方どこの家にでも押しかけるのは迷惑です。参加したい家庭どおしで、このイベントを行うことにしました。
子ども一人に50~60円くらいのお菓子を用意して、やって来た子どもたちにあげるのです。
二十人ほどの子どもが、集まっても1000円ほどの出費ですみます。
 大抵その位の人数が集まり、十数軒ほどの家を回りました。その夜は子供会の花火が予定されていたりして、七夕は子どもたちにとって楽しい一夜となるのです。
 次の日からは、手に入れた袋いっぱいのおやつを食べ食べ、残り少なくなった夏休みを過ごすのです。
 (北海道の夏休みはお盆頃までです。たなばたを過ぎるとあと残りは一週間ぼど)

 お盆を過ぎる頃には、冷涼な風が吹き、空が高くなり、秋の気配が一気に押し寄せてくるのです。
この七夕のイベントは、私の子育て真っ盛りの時期の思い出として、今でも懐かしく思い出されます。

思い出のマーニー

 まず原作本と出会いました。

思い出のマーニー〈上〉 (岩波少年文庫)

思い出のマーニー〈上〉 (岩波少年文庫)

とても、とても、とても良くって図書館のカウンターで語ったのです。
「映画化されても良いかもね。」
「あら!これ映画になったのよ。だから目立つ所に置いてあったの。」
あらあ、そうだったんですね。

 私は期待しつつも、大好きな作品が映画によって味を損ねてしまうのなら嫌だなあとも心配していました。
イギリスを舞台にした原作なのに、映画では浴衣姿の女の子が出てくるみたい・・・・ううむ。どうなのかなあ?
そして、見に行きましたよ。
・・・・・・・素敵でした。大変気に入りました。DVDも買いました。

舞台は違えど原作のテーマが損なわれることなく伝わりました。
それでいて、違う味わいを持っ別作品として成り立っているなあとも思いました。


 原作の舞台は湿っ地(しめっち)です。
一方映画の舞台は北海道釧路のあたり。
そこで少女「あんな」はひと夏を過ごすのです。
七夕の夜、子どもたちは、ねりあるきます。
「ろうそく出せ だせよ。」と。


 ああ、北海道の、七夕だ。
もちろん映画の舞台はあくまでも釧路を描きながらも「とある場所」なのでしょうけど、私は「北海道の七夕だ!」と思ったのです。


 高校生の頃、子育ての頃、4年前の映画封切りのころ・・・北海道の七夕祭りの風景が、私のこれまでの人生に思い出深く、印象深く姿をみせることに感慨深い気持ちをいだくのです。


 今年もまた七夕の夜がやってきました。
残念なことに、ご近所ではこのイベントはとだえてしまったようです。
   *  *  *  *  *
 この方はマーニーの映画と炭鉱の写真集がつながったようです。
人それぞれが、それぞれの自分の記憶や思い出に思いを馳せるものなのですね。
共感できるブログでした。

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