ブログ100記事目…悩みは私自身

密やかに祝!100記事目

 今回で100記事目です。
はてな100記事」のワードを検索にかけると様々な記事が・・・・。
ブログの一里塚的な地点のようで、ここを越えるとアクセスも伸びてゆくなどという声も。

 それにしても、そう書く人達のアクセス数たるや・・・我がブログとは、桁違い。
ええ!⁉️皆さんそんなに!!
とビックリ。
ビックリしたまま無策の私です。
100記事目ではありますが、あまり気張らず流れに沿って、99記事の続きを書きましょう。
  *    *    *

悩みを持ちこたえる

 うつに関する情報をネット検索していて見つけた泉谷閑示氏のメッセージを紹介しております。
前回は、
「健康な心が葛藤を生む」
というタイトルで、悩みを性急に解決しようとして一方を抑圧するよりは、双方を見つめたまま葛藤を続ける状態の方が健康的である、ということを話題にしました。
泉谷氏の著書『「普通がいい」という病』より下記の言葉を引用しました。

まずは悩み・苦しみ・葛藤を持ちこたえられる力、葛藤が解決するまで、持っている力、あるいは待っている力、これが養成されるように導くことが、ことに精神療法においては大切なことなのです。

これを読んだ私は、このブログの出発点である
「ネガティブ・ケイパビリティーと共通するものを感じ、その縁を喜んだのでした。
「ネガティブ・ケイパビリティー」は精神科医帚木蓬生氏が提唱する考え方であり、著書のタイトルにもなっております。
「答の出ない事態に耐える力」という副題に惹かれて手に取った一冊でした。
kyokoippoppo.hatenablog.com


 「葛藤」についての考え方に触れた私が行った、もう一つの行動があります。
それはいそいそと、かっての息子の部屋へ足を運んだこと。
ふと以前切り抜いた新聞記事を思い出したのです。
これも同じメッセージなのでは?と思い、確かめようと思ったのです。
それは、かつての息子の部屋のコルクボードに貼ってあるもので、もうすっかり黄ばんでおります。


息子にことさらに読ませようと思ったわけではありません。
ただ迷子にならないように貼っておいたのです。
長男は、パニック障害を経て4年前にはうつの診断も受け療養の途上です。

それを切り抜いたのはいつのことか?
日付のメモも付けておりません。
北海道新聞の、「朝の食卓」というコラムです。
児童精神科医の八十川真里子という方のメッセージです。一部を抜き書きますね。

精神疾患が治ることは、悩みがなくなり全てハッピーになることではなく、日常の苦労は続くが安心して人と関わったり、成長したりできるようになることーという考え方だ。患者さんが「適切に悩み」、相談し、対処できるよう、私も関わっていきたいと思う。

(太字はkyokoによる)
 八十川氏がかっこ書きで強調した、「適切に悩み」の言葉も、泉谷氏のメッセージ、そして帚木氏の主張と重なるものだと感じました。
新聞のコラムに目がとまり、その記事が黄ばむまでとっておいた行為が今につながり、再度光が当たったことを私は貴重な出来事として喜んでおります。

悩みは私自身

 さらに昨日、ちょいと用事があり足を運んだ図書館で借りてきた一冊も連動しました。

五木寛之氏の『あなたの人生を、誰かと比べなくていい』の中の一文です。

私は悩みというのは100%自分のものだと思っています。どんなに他人の好意や助けがあっても、自分自身しか解決できないものだからです。あるいは解決を求めず、ともに生きていくと覚悟を決めるべきものなのかもしれません。
それに、悩みとは自分の思考の癖を具現したようなものです。そう考えますと、悩みとは自分のこころの姿を映す「鏡」のようなものか、とも思います。時に、見たくないものも見せられる「鏡」。悩みとは実に厄介で、しかしいかにも自分らしい存在です。人生を歩む上で必要な同行者なのかもしれません。

おお!そうか、この悩みこそ私。
無理に引き剥がし引き離せば自身を失う。
共に歩けばよいのだな。いつまで共にあるか分からない、いつか自然に離れてゆくかもしれない・・そんな伴走者なのだな。
ブログ100記事目にしてそんな境地にたどり着きました。