我が家のお片づけ・・・番外編

年末のお片づけ

 年が明けてから、発信する内容がバラバラです。
当分思いついたことを思いつくままに書くことにいたします。
さてさて・・・
kyokoippoppo.hatenablog.com
こんな事があってから、私は私のペースながらも片付けました。捨てました。
その進捗状況をブログで発信することも含め、大変楽しい作業でしたし、気持ちは前向きでした。(過去ブログは貼らず。興味を持って下さった方はお片づけのカテゴリーからお読み下さいませ。)
もちろん完璧の域に達しているとは思いませんでしたが、年末も迫ってきてその作業を一旦終えたのでした。

そして年末。
秋に私に片付け(というよりものを捨てること)を強く勧めためた次男も戻ってきました。
そして
「いったいどこを片付けたの?」
というのです。
「何もやっていないじゃない。」
「これって要るわけ?」
に始まり、あれよあれよという間に長女と一緒に片付け始めたのです。
その場所こそは、私がまさしく手をつけきれなかった場所。
ここだけはやってなかったんだよ。😞💦」
「・・・・・」
「うわあ!何これ!」
「ゴミでしょ!」
「きったねえ!!」
「これいらんしょ。」
「は?意味分からんし・・・・」

そんな言葉を発しながらバンバンと棚の扉を明け、引き出しを引っ張り出してゆくのでした。
「ちょっちょっ!待ってそこ待って!私やるから。」
など言っても取り合わず、
「お母はまず、ここ見て!!絶対いるものだけ残して。
と私に段ボール一箱預けると、あとは長女である妹との相談でばっさばっさと捨てていったのです。
娘は、
「ちょっとお!これちゃんとお母に聞いてからにしな。ほらお母の顔がショボくなっているよ。」
僅かに気を使うものの次男は、
「だっていらんしょ。後で必要ならオレが買うからまず捨てな。」
などと言ってノンストップです。
私はもう観念しました。
これブログのネタにするわ。
と開き直りました。
色の悪くなったタッパやら、洗って取っておいたジプロックやら、使い残りのスプレーやら・・・スポンジのかけらやら・・・

スッキリ☆☆☆

 次々に棚が空いて、そこにテーブル上の雑多なものが移動して・・・・。
はい。確かにスッキリしました。
ありがとさんです。
でも、その作業の間、私は自分のハウスキープの能力を徹底的に断罪されたような気分になりました。
そして心の中でブログに書くべき2つの話題を決めていました。

白旗挙げつつも・・・

 これは、片付けをした二人に対抗するために書くわけではありません。この件に関しては私は潔く白旗を挙げています。
 その日から、二週間程がたちましたが、彼らが捨てたもので不自由しているものは何一つありませんし、他者の力を借りなくてはできないこともあるということを知りました。

『母の手まり』

 改めて「ありがとね。」を伝えた上で2つの本を紹介しようと思います。
良い悪いを越えた’’人の現実”を紹介したいのです。

 1つは『'90年版ベスト・エッセイ集』の中の『母の手まり』という作品です。
当時英語講師だった長谷川美智子さんは、年老いたご両親が心地よく暮らせる終の住み家についてご兄姉と共に考え、ご両親の家の買い換えに乗り出しました。(ご両親は同居を望まず夫婦で自立して暮らすことを希望されました。)
買い換えに関しては、すんなりとはいかない現実が押し寄せ、ノイローゼになるような思いもしたものの、何とか新しい住居を手に入れることができたのてす。

今、その夢が実現した。涙か出るほど嬉しかった。新しい家には、新しい布団、ベッド、スリッパ・・・全部そろえてあげようと思っていた。
母には、古いものは全部捨ててくるように何回も言っておいた。これから新しい人生が始まるんだから、古いものなんていらないよ、と。
ところが母は、トイレのマットから銀行でもらった湯飲み茶碗、ぼろ同然の布団・・・・あらゆるものを持って来たのだ。

引っ越しの日、その荷物を見た運送屋が
「まるでゴミの運搬だな。」
と言うのを聞いたお兄さんは、顔から火の出るような思いをしたと彼女に告げるのでした。
新しい家で両親を待っていた美智子さんは、姉夫婦の車で到着した母親が手にしているものを見て絶句するのです。
両手に色あせた手製の手まりを五つも抱いていたからです。
ああ!何で!
親が運び入れたものは新築の家には不釣り合いのものばかり。
兄姉はこれでは足の踏み場もなくなっちゃうよ、などと言いながら早速両親の持ち物を選別し、捨て始めました。
台所の隅にぼうぜんと座り込んでいた母親は、不用の手まりは持っていたものの、必需品の血圧の薬は箱のどこに仕舞い込んだか分からないという始末。
そんな母親に美智子さんはとがった声を挙げたのです。
「大事な物とそうでないものの区別くらいしなさい!」と。すると母親は言うのでした。

「皆で、これは捨てろ、あれは捨てろ、ゴミ同然だって笑うけど、どれもこれも私の人生の一部なのよ。千代紙人形も和紙の花の壁掛けも、この手まりも、趣味に没頭してた頃の思い出の品なんだよ。毛布も布団と古いけど、品はいいんだ。私達は、台湾に何もかも置いて裸同然で引き揚げてきたからね、あの時のつらさは死ぬまで忘れないよ。だからもうこれからは人形一つだっていやいや捨ててくることだけはしたくないって、いつも思ってた。あんた達にはわからないだろうねえ。一回でも無一文になった人間が、物に執着する気持ちなんて・・・・・」

両親に良かれと思ってやったことではあったけど、いつの間にか自分たちの考えに執着して、老人の気持ちを踏みつけてしまったのかもしれない・・・。
美智子さんたち兄妹は、和室に棚をこしらえたり、物置小屋を調達するなどして、お母さんの気持ちに添うことにしたのです。
この母親の気持ちを知った後、車から手まりを抱えて降りてくる親の姿を思い浮かべるたびに美智子さんは声をあげて泣きたくなるのでした。

*  *  *  *  *

このエッセイは、印象深く私の心に留まりました。
そして、この度の我が家のお片付けの際にしっかりと私の脳裏にのぼってきたのでした。
私は戦後生まれで、良き昭和時代を味わった人間ですが、親の「物の無い時代に育った」とか「食べるものは粗末にできない」という言葉は身近なものだったのです。

汚屋敷をどうしよう!

 もう一つはコミックです。

”汚屋敷状態となった実家の片付け”をテーマとして描いたものです。ご自分の体験や、世間でのあるある体験を盛り込んだフィクションです。
片付けに前のめりになる子どもたち若い世代と、老親の間に横たわる感覚のギャップがリアルに描かれており印象に残っておりました。
「捨てるなよ!洗い替えに使うんだ。」
「勝手に捨てないでよ、もったいないから。」
「大丈夫よ、腐ってないから。」
などという両親の姿が自分と重なって見え、面白いのです。

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高いところにある棚にトイレットペーパーを置いたものの、親は手が届きにくくいくつかを床に置こうとする場面です。
その行為が若い世代には清潔観念の欠如に見えるのです。
汲み取り便所にチリ紙のトイレ(トイレットペーパーという言葉すらなく、使用する紙は新聞紙、黒チリ、白チリの三段階のグレードだったなあ。)
を経験している世代に対し、生まれたときからそこそこ清潔な環境で育った若い世代・・・・若者は私よりもキレイ好きなのであります。

ある日親は子どもたちに言うのです。
大変ならもう来なくてよいと・・・。

「お前たちの手助けは本当にありがたいよ。でも、年寄りには年寄りのペースがある。若いモンが考えるような暮らしはできないんだ。」

親の気持ちを汲みつつも、せっかく手がけた片付けはやり遂げたい・・ということで片付けアドバイザーの登場となるのです。
さすがアドバイザー!
老親の気持ちも汲み取りながら理想的な空間を生み出すことに成功するのです。
そうやって迎えたお正月・・・・お父さん茂野尾溜男(モノヲタメオ)のあいさつです。

「生きていると様々な面倒が持ちあがります。足腰が弱って階段の上り下りだ億劫になったり目が悪くなって新聞の字が見えづらくなったり記憶力が衰えて昨日の夕飯のことを忘れてしまったり、若いころには難なくできていたことができなくなり周りに迷惑をかけ情けない思いをすることも多々あります。今回も家の汚さを指摘されたときはショックでした。
でも思い切って片付けて本当によかった。心から感謝している。」

こんなハッピーエンドでしたよ。
私自身はまだまだ動けると思っておりますが、少しずつ身体や気力の不自由を感じるようになるのでしょうねえ。
今年もたゆまずお片づけに励みましょう。