娘の誕生日

出産そして誕生

 毎晩少しずつ『極夜行』を読んでおります。
角幡氏はたどりついた拠点から、一か八かという覚悟でさらに北を目指しました。
食料となる獲物を手に入れることはできるのか?という緊迫した場面で昨夜は本を閉じました。

 さて、この本には序章がありまして、そこでは順調にお産が進まず、大変苦しまれる奥さまの様子と喜ばしい誕生の瞬間が伝えられています。
命が命を生み出す場面に立ち会いたく、また奥さまの力になるべくそばに添った角幡氏てしたが、出産という母子の命がけのたたかいに手を出すことは全くできなかったと書かれております。
出産というのは、自分の今までの探検体験なども及ばないほどに命がけで、孤独な闘いであると感じた角幡氏だったのです。
冒頭のこのシーンが、このあとの本編である「極夜体験記」とどのようにつながってゆくのか?今はわかりません。
それも楽しみにしながら読み進めているところです。

何故産んだの?

 本日1月31日曜は娘の誕生日です。
この日を迎えると、私はいつも思い出すのです。
なんで私を産んだの?
と問われたときのことを・・・。

 それはずいぶんと前、2007年のこと。
娘は高校2年生でした。
3年生への進級も間近に控え、卒業後の進路をそろそろ決めてゆかねばならない時期でした。
「どうしよう」
「何をしよう」
「自分は何をしたいのか?」
「あれはヤダ」
「これはダメ」
「努力なんてしたくない」
「したって仕方ない」
「私には何もない」
進む方向が定まらず、もんもんとしていたある日、娘はポロンともらしました。
「お母。何故産んだの?」
「え!?」
一瞬言葉につまってしまいました。
「すごくめんどくさい。生きていくって大変だ。
なのに何故産んだの?」

それは、責める言葉ではなく、素朴な疑問として投げかけられました。
私は正直に「できたから産んだ」と答えました。
そうとしか答えられませんでした。
事実そうだったからです。
「私は生まれたいと思ったわけでないのに、気がついたら生まれていて、周りから『勉強しれ』だの『努力しれ』だのって言われるのおかしくない?産んだのはお母さんなんだから、私がどんなでも許すのが本当じゃない?」
「十分許してるでしょうが。」
「ちがくてさ、‘’こうすべき‘’とか言うのおかしくない?」
「たとえばさ、親がさ、こういう子ならいいけど、こんなんじゃダメっていうことは言っちゃいけないと思うんだ。ホント‼️そう思うよ。そうじゃネ?」

 つまり、子どもは産まれるとき、覚悟を持って産まれたわけでもないのに、大人は自分が産んだ責任には一切触れず育てた恩を語ったり、子育ての大変さを子どもに向けてことさらに発信したり、子どもに当然のように何かを要求する・・・・これは絶対おかしいというわけです。
私はその通りだと思いました。
でもだからといって娘の荷物を代わりに背負うことはできません。
「それはその通りだけど、だからってお母さんに何ができる?お母さんだって気がついたら産まれていた。この点ではこの世のすへての人が平等なはずだよ。」
こんなやり取りがあったのでした。

このような会話をどう感じ、どう受けとるかは様々てしょう。
私はもちろん喜ばしいできごととは思いませんでしたが、「なるほどね」と思ったのです。
私も親に対してこれと似たような思いを感じたことはあったはずです。
しかし、このようなことを親に向けて発するなど考えもしませんでした。そんな自分のありかたが、決して良いばかりとはいえないと思ってもおりました。

強制的贈与

 こんなことがあった数日後、娘が語ったことと同じ意味を持つ文章に出会いました。
芹沢俊介氏の『解体される子どもたち』という本の中にそれはありました。

共時的とも思えるタイミングで興奮したのを覚えております。

 子どもはイノセンスであるというのが、私たちの(執筆にかかわった他の著者たちも含めての)子どもについての観点である。イノセンスとはこの体、この性として、この家族に人間として産み落とされた(分離された)ことに対して、「そのままでは引き受けられない」という心的なあり方を指している。言い換えると子どもという存在は、親から「そのままでは引き受けられない現実」を強制的に贈与された存在ののことである。誕生は自分の意志の外の出来事である。自分がうまれたこと、およびそれにともなう外=親からのこうした強制的な書き込み、すなわち暴力。これが誕生という母胎からの分離劇における主人公である子どもの内的構成である。

 母親は、乗り越えた苦労と苦痛の末に生まれた新しい命を喜び、誇らしさでいっぱいになるものですが、子どもにとっての「誕生」を客観視すれば、それは親から与えられた「暴力」だといえないか?
と芹沢氏は言うのです。
暴力という言葉には抵抗も感じる方も多いと思いますが、相手から「生まれたい」という確認をとれないうちに生み出していまうという点では一方的であるわけで、芹沢氏は相手の意志におかまいなく「生」を与えるという点で、それを強引な贈与=暴力ととらえるのです。
子どもは「それ」をそのまま受けとるわけにはゆかない。
そこで無力で泣くばかりの状態を親に投げ出し、親から与えられた暴力にまず対抗する。
その後に続く親にとってはままならなさの連続といってもいい子育ても、子どもから戻されてくる対抗暴力(一方的に産み出されてしまったことに対する抗議)と考えます。

親がそれを、肯定的に受け取ることによって、子どもはようやく自分が生まれた現実を受け止めることが可能になる。
逆をいえはそうしない限り、子どもは自分の誕生を受容できないというのが芹沢氏の持論です。

子どもは親を選んで生まれてくるという考えもあり、霊的な次元ではそういうこともあるのだろうと思う私です。しかし、私たちが通常自覚しうる次元でとらえれば芹沢氏のこの持論はおおいに共感できるものでした。

産んで母になった娘

 さて、そんな日から12年が経ちました。
「私には何も無い」という気持ちを長く伴いながらも娘は生きてきて、今は一児の母親です。
できたから産んだのです。
『かわいいかわいい』といって育てています。
生きていく苦労も十分にあり、大きな選択を迫られている今・・・それでも、面倒でままならない生活から逃げずに日々を送っている娘です。

※「産む」と書いたり「生む」と書いたり不統一です。あまり深く考えず気持ちにフィットした方で書きました。
 
今朝起きてびっくり!!再びの吹雪模様です。
先週の木曜日、私の誕生日も吹雪でした。休校になるかな?大丈夫そうにも思うけど・・・・・。


追記
吹雪はぱたりとやんで、いつも通り職場へ・・。
そしてスキー学習も行われました。リフト一基の小さな山ですが、平野の先のオホーツク海がきれいに見渡せました。
さらに先には流氷の帯が見えるのですが、撮影技術が未熟なものでこんな写真となりました。


2月10日の追記
 読者になっているgoldheadさんの新着がこのようなタイトルでした。
goldhead.hatenablog.com
 この方が以前から”反出生主義”に関わる記事を書いておられることは知っておりましたが、私がこの記事を書いた当初は貼るのを控えておりました。
生まれてしまったという苦悩が大変に重く、出生そのものを拒否するというお気持ちも強く、当時高校生の娘のボヤキと重ねてよいものか?という思いが勝ったからです。
また、芹沢俊介氏の主張は、”強制的な贈与”の先の親のあり方へと向かっており、そこで留まってはおりませんので、”反出生主義”とはちがうからです。
しかし、「生まれることに同意していない」というワードが含まれた今回の記事を読み、気持ちが動き、加筆し貼り付けることにいたしました。
goldheadさんは”生まれることに同意していない”サファエル・ムンバイ氏の反出生主義と、ご自分の意見との差異ついて述べておられます。

goldheadさんは、貼られることに同意しないかもしれないなあと思いつつ・・・・。