心に効くもの

光の春

 ブログで続けて話題にしてきた一冊・・・『極夜行』を昨日図書館に返してきました。
節分を迎えるこの時期は「光の春」とも呼ばれるそうです。
alg.jp
(ほほう、ロシアで生まれた言葉なのですね。)

なるほど、2月に入ったばかりとはいえ、南中の太陽はピカピカで、雪に反射して眩しかった。
『極夜行』の舞台になった土地ではまだ暗く、吹雪が猛威をふるっているのかもしれません。
しかし、南中時刻にもなれば南の一角がほの明るくなり、少しずつ近づく太陽に期待を寄せる頃なのでしょう。

もちろん私が暮らすこの地だって、これからも吹雪模様の日は訪れるでしょうし、春そのものを実感するのはまだまだ先の話です。

空っぽな感じ

 図書館で次なる本を借りてきました。
が、『極夜行』の印象がとても強かったために、帰りは何だか空っぽな気分だったのです。
実は朝から気持ちは下向きでした。
些細な出来事をきっかけに私の心には不安の霧が立ちこめていたのです。

でも、いや、うん、そうだ・・・・・
私は私に声をかけます。

極夜行を読んだのではないか!
失望に次ぐ失望を角幡氏は味わったのではないか?
「あああ!」
と悲嘆の声をあげ、
「終わった」
と呟いたのではなかったか。
その時点では彼はその状況を呪いあがき、別の活路を探し逃れようとしました。
しかし後に、実はそもそも自分の旅の目的はそれであったのであり、その絶望を起点とした模索に絶大の価値があったことに気づいたのです。
彼が果たした旅とスケールこそ違え、人々の人生にも同じようなことがいえるはずなのです。

いやあ、そんな大きな話を引き合いに出すほどのことが私に起きているわけでもないのです。

でも、私の心は曇っていたわけです。
この朝
この頃ちょくちょく訪れては読んでいる「サチコ」さんのブログを開きました。
この言葉を味わいました。
funcyqutton.hatenablog.com
私は慰めになるものを欲していたのでしょう。ちょっと寄りかかるものが欲しかったのです。
コメント寄せたところお返事までいただき、一息つくことができました。

やっと話がもどります。
図書館帰り、それでも妙に空っぽな気分を携えて戻ってきました。
「ブログ・・・何書こうかな?」
発信するものも枯れたような気持ちになりました。



❇️  ❇️  ❇️  ❇️  ❇️  ❇️

心に効くもの

 早い復活です。
書くこと決まりました。
心に効くもの」です。不安の霧が立ちのぼってきたら、まずそれを味わいましよう。
おろおろし、ざわざわするどうしようもない自分の気持ちに従いましょう。

次にそれを晴らすための”太陽の光”のようなものを探しまょう。
身近にある小さなものから見つけましょう。
そしてそれを発信しましょう。
カテゴリも追加
「心に効くもの」

で、本日はここに貼り付けた二つのリンク先を”心に効くもの”にエントリー。
双方画像が美しく、それだけでも気持ちいいし、内容にも興味がそそられます。

本日2月3日・・・今日もピカピカの晴天です。

追記
 図書館で借りてきた東野圭吾昨『手紙』・・・
良かったです。

手紙 (文春文庫)

手紙 (文春文庫)

 強盗殺人を犯した兄から手紙が来るたびに、自分の人生が負の濁流に呑まれていくようで、忌避し続けていた弟直貴でしたが、最後の最後で解るのです。

手紙が届かなければ苦しむこともなかっただろうが、道を模索することもなかった。

と。
‼️‼️
先程書いた自分の「模索」のワードがすぐに頭にのぼりました。

その絶望を起点とした模索に絶大の意味があったと気づいたのです。

小さな奇跡を感じました。