義父の死をきっかけにして②

 今回の記事は特別です。

前回の記事を書く途上で、私はとても大事なことに気づきました。
今回はそのことを綴ります。
私が私のために書き残すもの。
今これを読んでいる方にとって、有用であったり、面白かったりする要素はおそらくないと思います。
でも、最後まで読んで下さって、私の思いを分かち合っていただけましたら、大変うれしいです。

ブログのネタ

 じいちゃん(義父)の死があり、四十九日法要がありました。
日程にのっとって執り行ったということです。
そしてまあ、せっかくだからそれを記事にしようと思ったわけです。
そしてこれだけでは内容が貧弱だから、最近よく話題にしている「ルドルフ・シュタイナー」の文章を引用して体裁を整えようと目論んだのです。
その夜、数冊の本を引っ張り出し‘’死後の世界‘’に触れている箇所を探しました。
そこまでは、ブログのネタ以上のことを考えてはいませんでした。

手放したものは?

 しかし、私はちょいと立ち止まったのです。「でもな。」と・・・。
書くことに意味かあるのか?と。
解読の難しいシュタイナーの著作物を、私は手放さずに持っておりましたが、シュタイナーの思想(人智学)を学ぶことは、かなり前に手放していたのです。

そこに思いが至ったとき、ああ、私はもう一つのことに気づいたのです。
自分が手放したものはそれだけではなかったことに・・・・。 

高校って行かなきゃだめなの?

 私はかつて、シュタイナー教育に強く憧れ、それを知ろうとしておりました。
また共感の輪を広げるべく地域での上映会を行ったりもしたのです。
折しも長男が義務教育を終える時期と重なっておりました。

 そこから年月が流れ、過去のそんな自分を~シュタイナー教育に思いを寄せ、それに憧れを抱いた当時の自分を~今の自分が貶めていることに気づいたのです。

それに憧れた自分、
高校進学に疑問を持った長男に、「学ぶことは捨てたもんでないよ」というメッセージとして、憧れであった教育の存在を語った自分、
当時日本にはなかった「シュタイナー学校」を海外に求め、留学しようとして動き出した息子、
息子が動き出したと書きましたが、母親である私も相当に肩入れをしたことは容易に想像できることでしょう。
成績不良でもう机に向かっているのが苦痛であったという息子が留学を希望?
シュタイナー学校
何ですかそれは?
という中学校の先生方の当然のとまどい、
英語もろくに理解しない母子。
さらに悪いことに家庭という地盤がもろく、夫婦のやり取り、父子のやりとりもぎくしゃくし、不穏で張りつめた空気が常にありました。

 具体的な準備を進めてきましたが、結局息子は留学しませんでした。
家庭内のゴタゴタに心底疲れてしまったのでしょう。
とりあえず高校進学を免れてしまったことで、留学へのこだわりがいくらか醒めてしまったということも考えられます。
この結末で良かったと思うし、当然の結果だと思います。
高校という場所に希望を見いだせなかった息子に私の憧れを被せてしまい、息子を乗せてしまったというのが、当時の現実だったといえましょう。

つまり・・・この時期のことは何だか思い出すのが辛いのです。
今となって思うあの日々は、‘’‘自分が作った渦に息子を道連れにしつつまきこまれた‘’’という印象が強く振り返りたくなかったのです。
現実をしっかり見つめることもなく、憧れだけを携えて空回りした自分だったからです。

ピアノ

 息子の留学への熱は冷めましが、彼がこの時期に並々ならない熱意で取り組んだものがありました。
ピアノです。
このことはいずれ書きましょう。
その後彼は、音楽と共に歩いてきました。
作曲も学びました。
ピアノにしても、作曲にしても知識ゼロからのスタートでした。
勉強ができず、勉強がいやで高校に行かなかった息子ですが、彼のその後は勉強に次ぐ勉強だったのです。

うつ

 そのうちに彼はパニック障害になりました。
そして、数年後うつに・・・。
このあたりのこともそのうち書くことがあるでしょう。

 そう、鬱です。
当時就いていたコンサートホールでの仕事を、任期満了をもって辞め、その後療養期間に入りました。


完治はしておりません。
早く早く早く早く治れ治れ治れ治れ!


 息子にはゆっくりなおせだの、焦るなだの言いながら、私の願いは早く治れ!

で、息子は治らない。

鬱の息子

 そうやって1年2年3年・・。
しっかりと働けない期間が続きます。
そうこうするうちに、自分の息子へ向ける眼差しは変わってきたのでしょう。
もちろん、そうあってはならないという私自身の踏ん張りは捨てていない!
「息子は頑張ったのだ。」
「大変な苦労と努力によって技術を身に付けたのだ。」
「あなたは価値のある存在だよ。」

 でも、それはもはや私のふんばりであって、この思いの底には、氷の下のたゆたう水のように、不安と残念感と苛立ちが蠢いていたのです。

稼げない息子 
一人前ではない息子
助けを必要とする息子
残念な息子
私の目はすっかり‘’世間の目‘’と重なっていたのです。
もちろん、世間からきれいに自由でいることなど、多くの人にとって難しいのですから、それは仕方ないのかもしれません。
しかし、私の場合、これは仕方ないでは済まされないと思ったのでした。

将来‘’世間の目‘’で息子を見て、軽んずるぐらいなら初めから「シュタイナー」とか言うなよ!
そうやって自分の憧れを語り、
「高校いかない道もある」なんて言うなよ!
世間並が気になる自分であることをしっかり自覚していろよ!!!

でも私はそれを発し、その言葉は息子と私に作用し、息子はマイノリティーとしての道を歩き出したのです。

ここで是非書いておきたいことは、息子自身は鬱の症状や、そこから波及するままらない現実に苦しみはしましたが、自分が選んだ道を後悔していないということです。
彼自身の希望の灯は消えていないのです。

その道に泥を塗ろうとしていたのは他ならない私だということに気づいたのです。

あの時の自分を肯定するために・・・

 私は、泥で汚してしまった道をきれいにし直そうと思ったのです。
あのときの自分を否定せず、人智学で語られている言葉を再び拾ってゆくことにするのです。
そして、私は前回の記事を書きました。
kyokoippoppo.hatenablog.com

きっと分からないのです。
人智学を理解することは難しいから。
でも、今なら、世間が気になる未熟な自分であることを十分に自覚しながら、過剰な興奮や渦を作らないようにしながら進むことができそうです。
私のこの姿勢は、自分自身を助けることになるでしょう。
もちろん、息子のうつが軽減し、働けるようになることを望む気持ちは消えません。
それでも少しずつ、人の価値や人生の意味などを、新しい視野でもってとらえ直すことができるようになるのではないかしら?
いかがでしょうか?

翌日の追記
このページを開いては書き直しを繰り返しています。記述したことがしっくりしない箇所が次々に見つかります。
今後も書き直しては更新するページになりそうです。