タイムトラベル

旅の道連れ

 先週は滝川へ出かけたことを記事にしました。
個人的な、行った見た食べたなどの記事なんて価値あるのかな?という思いを打ち消すように、
「何を躊躇うことある?これは私の日記だよ。自分のことを思いのままに書けばよいじゃないか!」
と自分を励まし、記事を投下したのでした。

すると程なく旅の道連れとなってくれた人がいたことを知るのです。
「ああ、ありがたい。」
スターまで下さった方は、途中下車することなく付き合って下さったということになりますね。
私は恐縮すらするのです。

花月園前駅

今回はタイムトラベルです。
過去の横浜へ、花月園前の京急線へ。
白黒の世界です。
ブログに取りかかる前、"京急花月園前駅” "昔”で検索し、覗いた画像の陰気なムードにちょっと怯んだ私です。
しかし、その写真を見れば見るほど
「ああ、こんなだった。」
と思うのです。
こうなるとますます個人的なノスタルジーの旅となります。
まず私!!行って参ります。

母の実家

このブログを書くきっかけになった出来事は昨日の夕方にありました。
kyokoippoppo.hatenablog.com

 私は幼少時代を横浜で過ごしました。
横浜といっても昭和30~40年頃であり、やや内陸に位置するそこは、雑木林があり、畑が豊富に残る場所でした。
バスに乗ること20分ほどで横浜駅に着くことができたと記憶しております。
母の実家は横浜駅から京急線に乗り「花月園前」という駅で降り、徒歩数分のことろにありました。

当時の横浜駅も薄暗く全体がくすんでいた印象があります。
私鉄である京急線は構内の端の方に改札口があったと思います。

 赤い電車に乗ると、たくさんの並走する線路が見えました。
花月園」というのは大正から昭和にかけて存在した遊園地の名称だったそうで、その遊園地がなくなったあとも「花月園競輪場」が存在したため、この駅名は名実を保っていたのです。
母の実家「つるみの家」へいく日と競輪開催の日が重なると、赤い車両はいつになく混雑しました。
いかにも競輪場へ行くといった風情のおじさんたちで溢れかえりました。

 花月園前で降り、有刺鉄線を頂にのせた灰色の壁沿いに歩くと、立ち飲みの酒場が現れます。
そこにも、いかにも昼間からお酒飲んでいますよという風情のおじさん方が溜まっておりました。
そこからすぐが、「つるみの家」でした。
角地に立つ木造の家で、玄関は土間だったのではなかったかしら?
台所にはかまどの名残がありました。
庭に面した廊下があり、そのとっつきにお便所がありました。
(トイレのイメージではないのです。)
入り口には金物の手水器(ちょうず)がぶら下がっておりました。
私の弟が面白がって何回も手で押して、周りをビチョビチョに濡らしてたと言う話は、昨日昔を懐かしむTちゃんから聞いたばかり。
黒い階段を上がると右は天井の低い納戸となっており、火鉢やら行李やらが置かれておりました。
左はやはり低い天井の和室になっていました。

救急車

 私と弟はこの家に1週間ほどお世話になったことがあります。
母が10歳年下の弟を出産する時でした。
私とすぐ下の弟が夏休みの1週間ほどをここでお世話になったのです。
 ある晩救急車のサイレンがけたたましくなりました。
いとこのTちゃん(昨日電話をくれたTちゃんです)は、「見に行こう!」
と勢いよく立ち上がると、ぐいと私と弟の手をひっつかみ外に駆け出しました。
駅前の電柱に、男が足をだらしなく広げよりかかっておりました。頭からはおびただしい血が流れていました。
血は男の顔を真っ赤に染め、道路の縁に溜まり流れていました。
半分目を開け、口もだらりと開けて呆然としている男の人・・。
今思えば、酔っぱらいがその泥酔ぶりによってケガをしたと想像がつきますが、私はただただ目の前の光景に驚き身体を固くしておりました。
するとTちゃんからあっけらかんとした、笑い声があがりました。
「いやだあ!きょうこちゃんったら震えてる。」
 そう、Tちゃんにとってこれは、怖いことではなく面白い事件でしかなかったのでしょう。
だからサイレンと同時に、いいものを見ようと飛び出して行ったのです。
花月園を思う度、この情景はセットなのです。

風景も駅名も消えて行く

 結婚後、一度そこを訪れましたが、広かった庭には賃貸マンションになっていました。
以前の母屋も立て替えられておりました。
わずかな来訪時間は私にとっては無いようなもので、私にとっての「花月園前」は、はるか昔の面影のまま時を止めているのです。

花月園前」という駅名とのつながりを保っていた花月園競輪場も2010年にはなくなっているそうてす。
そして、今やその駅名までも新しいものに変えようという動きがあるようです。
いや、もう決まってしまったようですね。
栄えある東京オリンピック開催に向け、昭和の下町の匂いの残るこの駅名も、「花月総持寺駅」に変わるようです。

ネット検索すると、競輪場のなくなったこの町は、都心に近い、便利でクリーンな場所へと変貌を遂げていることがわかりました。
もうあの場所は、タイムトラベルしなければ訪れることはできません。
だからこそ、せめて駅名くらい残っていて欲しいものだと思うのです。
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立憲民主党に関わる方のブログです。
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