サロマ湖学習をきっかけに

砂州の突端に

 近所の小学校で支援員として働いております。
四年生の子どもたちと過ごす日々。
この学年では、総合学習で『サロマ湖』について学びます。

先日は、町営バスに乗って湖とオホーツク海を隔てる砂州の先端まで行ってきました。(一般の人は立ち入り禁止区域です。許可をもらい役場職員・・・当学校の卒業生ですがね・・・立会いのもと見学させてもらいました。)


地図の竜宮台とある部分・・・砂州の切れ目の先端部分です。
写真に見える細い陸地は対岸部、常呂町ワッカの先端になります。
海とつながるこの場所は第一湖口と呼ばれております。しかし以前ここは海と繋がってはいませんでした。
ここで漁師を営む住民によって人為的に開削されたのです。




 1929年のことです。
しかし工事の甲斐なく、思うような潮の流れは得られませんでした。
ところが翌日、暴風雨がこの地を襲いました。
増水した湖水が一気にここから流れ出て7メートルだった開口部は一夜にして100メートルの幅となり永久開口部となったというのです。
地域住民の悲願に対し、あまりに絶妙なタイミングでもたらされた天の采配だったのです。
現在は開口部は400メートル以上あるそうです。
永久開口部になったとはいえ、やはり砂が堆積しやすいのでしょうね。
航路にふさわしい深さを維持するための掘削工事が、重機により行われていました。

 ここまでの記述に際し、参考にさせてもらった記事です。
わが町の出来事をこのように丁寧に取材し、記事にされている方がいることを知りちょっと感動しております。
noah.snowdrop.jp
子どもたちは波打ち際に駆け寄り、石をひろったり、蟹やウニの骨格を拾ったり、流木を掲げたりと大喜びでした。
そういう私も石を3つポケットに滑り込ませておりました。
綺麗な石、変わった色の石を見つけると、つい持ち帰りたくなるのです。

ここが通学路・ここが通勤道

 砂州の先端から「竜宮台」に戻り、そこにある碑や、展望施設もしばし散策。
素晴らしい景色です。




浜防風をどっさり取っていたご夫婦に遭遇。「都会で食べると高いんだぞ!」などと聞いてさっそく探して堀り始める子も。
「おおい、勉強に来てるんだぞお!!。」
kyokoippoppo.hatenablog.com

漁師の自宅と倉庫が並ぶ、湖沿いのこの道路。
「あれは◯◯ちゃんの家。」
「あっ、ここは◯◯ちゃんち。!!」
豪邸が並んでいます。
素晴らしい景観のこの道は子どもたちの通学路。(スクールバス)
そして、この仕事につく前の私の通勤路だったところです。
以前私は、ここの浜仕事でお金をもらい家計の足しにしていたのです。

図書館で・・

 図書館でこんな本を見つけました。

ここで暮らす漁師がまだ貧しかったころのお話です。後書きによると、ベースになる事実をもとに書かれたことがわかります。
なんだかしみじみする話で、町の歴史、時の推移に改めて思いを馳せてしまいました。
子どもたちより一足先に「サロマ湖学習」を始めた私です。

次回も続きを書く予定です。

明日は運動会です。


6月3日の追記
砂州」と書くのが正しいのか?「砂嘴」なのか?とっかえひっかえ迷いましたが「砂州」に落ち着きました。
ともあれ、サロマ湖は湾から湖へと変貌を遂げたラグーンであることはまちがいないでしょう。(貼り付けた下記記事最後の方で、サロマ湖についてが書かれています)
geography-trip.com