『三里番屋のあざらし』・・・サロマ湖学習をきっかけに②

ようやく手に取った本

図書館の棚の脇にいつもこの本は飾られていました。

作者である戸川氏に関しては以下の通り。

[生]1912.4.15. 佐賀
[没]2004.5.1. 東京
作家。日本の動物文学の草分け。幼い頃から動物に興味をもち,動物学者を志して山形高校理科に入学したが,健康上の理由から中退。 1937年に東京日日新聞に入社し,1955年まで記者生活を送る。 1954年,知人の小説家長谷川伸の勧めで書いた小説『高安犬物語』で直木賞を受賞し,作家生活に入る。その後も野生動物の生態や,動物と人間のかかわりなどを描いた作品を多く発表し,動物文学の第一人者となる。子供向けの読み物も多く手がけ,1962年『子どものための動物物語』 (全 15巻) でサンケイ児童出版賞を受賞。 1965年には絶滅したと思われていたイリオモテヤマネコを発見し,その経緯を『イリオモテヤマネコ』 (1972) に著した。ほかにも,時代小説やユーモア小説,ルポルタージュ,ノンフィクション,伝記,戦記物語など幅広く執筆。おもな著作に『咬ませ犬』 (1956) ,『山の動物たち』 (1956) ,『オーロラの下で』 (1975) ,『牙王物語』 (1976) ,『けものみち』 (1982) ,『人喰鉄道』 (1982) ,『王者のとりで』 (1984) ,『人間提督山本五十六』 (1993) ,『戸川幸夫動物文学全集』 (1976~77) などがある。また,日本動物愛護協会理事や世界野生生物基金委員などを務め,動物の保護・愛護活動にも尽力した。 1980年紫綬褒章,1986年勲三等瑞宝章を受章。 1985年児童文化功労者

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

ちょくちょく図書館に出向く私は、ちょくちょくこの本を目にしていたのです。
町民からの寄贈本のようで、かなり古びた一冊でした。
我が町の「三里」が舞台になっているだろうと思いながらも、私はその本を手に取りませんでした。
さしたる理由はありません。まあ心が動かなかったということですね。
しかし、勤務する学校の4年生がサロマ湖についての調べ学習をすることを知り、「ああ、こんな本が図書館にあったな。」と頭の隅に浮かんできました。
先日はスクールバスに乗ってサロマ湖周辺を見学してきました。その後、図書館に出向きこの本を借りてきたのです。
kyokoippoppo.hatenablog.com

しみじみとした味わいを持つお話でした。初版発行は1976年。50年ほど前です。・・・今の私と同年代の人たちが子どもの頃のお話ということ?
とんでもない昔の話ではないようです。

ブータマとあざらし

後書きとして、作者による「この物語について」という文章がありました。
一部抜粋します。

 三里番屋は、北海道のオホーツク海岸にある、ちいさな村で、サロマ湖というみずうみ(湖)とオホーツクの海にはさまれています。家の数は二、三十戸ばかりしかありません。オホーツクの海と、サロマ湖のあいだは、さし(砂嘴)といって、長い砂はまで、くぎられています。
(中略)
 わたしは、この村で、アザラシをかっていた 子どもを見ました。そのアザラシはゼニガタアザラシという 小さなアザラシでしたが、とても その子に よくなれていて、犬のように あとをついて あるいていました。よくきいてみると、赤んぼうのときに、ハンタさんからもらってさだてているということでした。ですから、もうすっかり 家の人になれて、じぶんも、その家のものだと 思いこんでいるらしい という話でした。

 本書にはブータマという男の子が登場します。もちろんあだ名です。少々知恵が遅れております。
ブータマの父ちゃんは、トッカリハンターでしたが、ブータマが幼いときトッカリを撃ちに行きそのまま帰ってきませんでした。
母ちゃんは生活が苦しくて家を飛び出してしまいました。
中気のじいちゃんそしてばあちゃんと兄ちゃんとで暮らす日々です。
上の兄ちゃんが出稼ぎで稼いだお金を送ってくれます。
このあたりの設定はフィクションを交えているのかもしれません。
 ブータマがあざらしを飼うことになったきっかけ、その後のあざらしとの交流、そして別れが描かれています。
なんというのか・・・文章に温度を感じるのですよ。
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ストーリーにも心惹かれるものがありますが、文章に穏やかな品性と温かみを感じました。
そして挿絵も美しい。
今の舗装された道路しか知らない私ですが、変わらずにある自然や地形に親近感を感じました。
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夫に挿絵を見せて
「10歳くらいのころの登栄床(中番屋、三里番屋地区の名称・トエトコ)ってこんな感じだったの?」
と尋ねてみましたところ、
「うん、こんなもんだ。」
とのお返事でした。
 また、この地区出身の同僚(私より若い方です)にも伺ったところ、貧しかった頃の生活の様子を語ってくれました。
冬はマイナス度になるこの土地で、外風呂しかなかったことなど・・・・。
そうです。私が嫁いで来た頃も外風呂は珍しくなかったな。
真冬、風呂から上がった人の身体から立ち昇るもうもうたる湯気・・その情景は今も私の脳裏に焼き付いております。


検索して見つけたブログです。実は写真を借用するために探しあてたブログですが、写真を無断で貼る行為は著作権上問題があることを遅ればせながら知ることとなり、ブログのみを貼りました。
わが町を訪れたかたの旅行記です。
ezorisuyado.com

豪邸が並ぶ登栄床(とえとこ)地区

 今やここは豪邸が立ち並ぶ地域となりました。
ホタテの養殖をはじめとする養殖事業が軌道に乗ったのです。
学校に通う児童の割合も多く、この地域の子どもたちだけが、大きなスクールバスに満員状態で乗り込み登校してきます。

戸川氏はあとがきで次のようにしめくくっております。

この村には、映画館も 図書館もありません。あそぶところなど、なにもありません。しかし、人間の手で よごされていない、うつくしいしぜんがのこっていました。子どもたちは、そのしぜんの中で、どうぶつや しょくぶつを友として、しあわせに、のびのびと くらしているのです。
 わたしは、都会の子と、三里番屋の子どもをくらべ、いったい、どちらが こうふくだろうかとかんがえました
。(後略)

(傍点部分は太字にして記述しました)

 いまやこの地域に住む子どもたちと都会の子どもたちを、単純に対比することはできないでしょう。
また、今の子どもたちと昔の子どもたちの暮らしを比べ、ブータマの生きた時代を「良かった」とすることもできません。
私はこの物語を、「自然豊かなところで暮らす幸せな少年の物語」として読むことはできません。
しかし、「過去にあったこんなお話」として、読むことは可能です。
しみじみとした味わいを持つ物語でした。