寒い日・読書

寒いです

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(画像は tenki.jp アメダス実況・気温のページより)本日8月10日のものです。
 寒くなってしまいました。
寒がりやの私は、厚手の長袖パーカーを羽織ってもまだ寒いという程です。タイツもはきました。
いきなり”寒い”地点まで気温が下がらなくてもよいのにな。
熱中症を心配するニュースは、まるで外国のニュースのようですよ。

さて、
ブログが現実に追いつかず、昨日のことを今ごろ綴っております。

 昨日は、「新カテゴリー・切り抜き」をアップした後は、ソファに身を沈め、本を読んでは眠くなる・・・を繰り返す午後でした。
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おべんとおべんとうれしいな♪

 孫の通う保育所には、町の給食センターから副菜が届きます。
所児はお弁当箱にご飯だけを詰めてゆけばよいようになっております。
でも8日、9日は、センターのメンテナンスでも予定されていたのでしょうか?
給食が届かないことになっていたそうです。
お弁当持参ということでした。
その2日目・・・娘は孫の好物のお赤飯を作りました。
北海道では、お赤飯に甘納豆を使うことが多いです。
こちらに嫁いですぐの頃は、大いに驚き、お菓子のようなお赤飯に馴染めませんでしたが、今は「これが好き!!」という程の好物になりました。
pucchi.net

娘は、これにさっぱりした小豆も混ぜて作ります。(食紅は使わず。)
我が子のためのお弁当と一緒に、私の分も作ってくれました。

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夫は、お赤飯は苦手。
でも、アルバイト先から昼休憩に戻った夫は、コンビニで冷凍の出来合いおそばを買って戻ってきました。
チンして温めて食べるやつ・・。
「今日はもう、温かいおそばが食べたくなるよね。」

『表の体育 裏の体育』

 今読んでいる本です。
写真は先日、町の図書館で行われた「古本市」の時に手に入れた本たちです。

シュタイナー教育や思想に関わるものなどは、私の手垢が染み付くほど何回も借りて読みました。
それが、放出されていたので迷わず頂きました。
表の体育 裏の体育』は、タイトルに惹かれ持ち帰りました。

ちょうど
善く死ぬための身体論』(内田樹・成瀬雅春対談)

善く死ぬための身体論 (集英社新書)

善く死ぬための身体論 (集英社新書)

を読み終えたところだったので、いくらか流れもできていたのでしょう。


f:id:kyokoippoppo:20190810182459j:plain:w200:left 裏の体育とは切り離せないルーツ・・・「霊術」から語り始められており、なんだかおどろおどろしく、難しい。
私自身は、ヨガとも、禅とも、呼吸法とも縁のない暮らしをしております。
丹田」という言葉は知っていても、それを意識することもありません。
文章は難しく、文字を追っていると、瞼が下がってきてウトウトしてしまうのでした。

そのウトウトを心地よく感じながら、昨日はのんびり過ごしました。

肥田春充という人物

0877koan.com

 ソファの上で切れ切れながらも読み進んだのは、独自の方法で、健康・不老・疲れ知らず・幸福・並外れた馬力を手に入れた肥田春充氏について書かれた部分でした。
生まれながらに病弱で、その虚弱が悲しく、体格の貧弱が恥ずかしくみじめであった肥田氏でしたが、一生かけてでも丈夫で立派な体格を手に入れようと志します。
まずは解剖学、生理学を学び、内・外の身体の形状やしくみを知るや、後は一日も欠かさず自分の身体と対話しながら鍛錬を重ねていったのです。
その意志の強さ、信念に驚かされます。
・・・・・という感想を持つ私は、ほんわり気だるく雨の音を聞きながらソファに寝転んでいる始末・・。




読み進むすち、肥田氏はもう、宇宙と一体となり、宇宙的な力を授かり、もう超人としかいいようのない高みへと達してゆきます。
精神は俗から離れ、自然と一体となり喜びに満ちてゆきます。

下記は
甲野善紀によって引かれた、肥田氏の著作物内の文章をさらに私が引用したものです。
岩の上に結跏趺坐し、岩と一体となり、正中心を決めたときの描写です。

悟道の妙境に突入するのに、私は一段の力を覚えた。ーピタリ・・・・正中心が決った時、脚の激痛も我自身も、茫洋として無限の虚無に消え去り、大生命の活泉は滾々として腰腹の中心に沸き起こった。この時の呼吸は極めて、静かで殆ど止まっているかの様である。光芒天冥の間にあって、生死のけじめも分らぬ位だ。
 刮目すれば、・・・・オオ何という、素晴らしい美しさだ。なんという神々しさだ。枝を差し伸べた青木は・・・その平凡な、ありふれた木の枝までも、ユラユラと微風に戦いて神々しく、祇園精舎菩提樹にさも似たり。満目の光景ことごとく、新たなる粧いを凝らし、あたり一面は、白紫紅の宝玉を鏤めたる様に、美しく輝いた。私の心は灼然として燃え上がった。その新世界の崇高壮麗なよりも・・・・。見よ。我が正中心をー。
そのまま燦然として、ダイアモンドの神殿ではないか。

道を極めるとはこういうことなのでしょうか??
ここでいう正中心が『丹田』のことのようです。




一番身近な自分の身体のことを、私は何にも知らないなあ。

自分の身体ひとつとっても、まだまだまだまだ分からないこと、未知なるものがいっぱいあるのだなあ。

そんなことを思いながら、ウツラウツラ過ごした午後でした。

追記・・はてなさんから、「一年前の記事を振り返ってみませんか?」
というメールがきました。

これは振り返って、懐かしい気持ちで読み返してみては??
という親切なメールなのかな??
ふりかえってどうすれと???


でも、せっかくですので提示されていた3つのうちの一つと、関連するもの、計二つを貼ってみることにします。
まだまだ他者の目に触れることの少なかった時期のものです。


素晴らしい求道者であった、頼東進氏を紹介したものです。そのひたむきさにおいて、肥田春充氏と重なるものがあります。
お時間がありましたら覗いてみて下さいませ。
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