わざわざ

稚貝放流

 町の一大行事『稚貝放流」が始まっております。
昨年この時期にも記事にしております。
kyokoippoppo.hatenablog.com
夫は今年も頼まれて老体に鞭打って出かけております。
朝・・・いや夜2時半には起き出してサロマ湖にある登栄床(とえとこ)漁港に向かいます。
私はぬくぬくお布団の中・・。
朝起きても一人・・いやブウタロウと二人きり。
いいねえ!!
普段だって特別に手の掛かることしておりませんが、
それでも・・・いいねえ!!
開放的な気分です。

「わざわざ」さんのパン

「わざわざ」というお店をご存知でしょうか?
waza2.com


●長く使えるもの
● 飽きのこないもの
●暮らしに寄り添うもの
●きちんと作られたもの

を厳選して売っているお店だそうです。

本当のところ、そこまでのこだわりがない。わざわざのパン作りで大事にしていることは、毎日食べても飽きないパンを、健康的な素材で焼いて、適正な価格で売るということだけで、とてもシンプルなことを目指している。

毎日食べても飽きない味というのは、普通の味ということで、つまりは特別に美味しくてはいけない。ひと口目が明らかに美味しくてはいけないし、それは一般的に一口目の美味しさというのが表層的な美味しさであり、甘かったり、濃かったり、インパクトのある味であることが必要なので、そういう派手な美味しさは毎日食べるものには要らないと考えている。

私のパンの好みをよく知る娘が、母の日のためにこのお店のパンを取り寄せプレゼントしてくれました。

kyokoippoppo.hatenablog.com

f:id:kyokoippoppo:20200517184135j:plain:w350:leftパンの到着が少々遅れ、昨日娘の住宅へ届いたというので、さっそく出向いてまずは試食と相成りました。
次男がジャムとコーヒーをプレゼントしてくれたことを先日記事にしましたが、二人で申し合わせ私の朝食で重宝するものを選んでくれたのです。
いまだ、生活苦の中にある長男を兄弟の話し合いに巻き込まず、二人だけで決めたとのこと。

わざわざお弁当

f:id:kyokoippoppo:20200518074543j:plain:w250:left 昨日は雨で一日中寒く震えるような天気でした。昼間の気温がたったの4度でした。
夕方娘がお弁当を作ってわざわざ届けてくれました。
牧場を営む同級生宅のまかないさんをしている娘ですが、そこへ届けるおかずの一部を、私のお弁当へと回してくれたのです。
自宅の調味料や米やガスを使って調理することも多いので、出来上がったものをシェアして良いことになっているのですって!!
一定のけじめをつけた上でゆるゆるとやっていますよ。
そのおかずを詰め合わせ、寒い中上着を着込み、孫を車に乗せわざわざ届けてくれた行為がとてもうれしかった。
(おかずは、エビマヨ・ゴーヤチャンプル・茄子と厚揚げあん)

朝食

 本日17日は晴天!!
気持ちのよい天気となりました。
「アダチコーヒ」ーをドリップして、
「百姓のいえ」のジャムを、「わざわざ」のパンに塗っていただきました。
夫は同じ時間サロマ湖ぼ漁船の上。
潮水かぶって働いていることでしょう。

www.adachicoffee.jp
www.tabechoku.com

素晴らしい週明けですこと。
娘が届けてくれた「わざわざ弁当」持って出勤です。
今日明日は女子トイレのお掃除です。
いよいよ分散登校が始まります。
手洗い
消毒
密防止!!に努めなければならない学校・・・ああ子どもたちに苦しい要求を強いなけらばならない学校生活となりますが、もうしばしの我慢ですよ。

kyokoの偶偶石 6・・・かわも

 はなぱんださんのお誘いに乗った形で始めた『kyokoの偶偶石(たまたま石)』です。

現代アート 石「簡素が 得る」 Contemporary Art 偶偶石vol.87 - 滋味日日 ・・・いいこと ”お福わけ”

「知識という前提を鑑賞者に要求せず、鑑賞者個人のオリジナリティを引き出すことのみを目的」とした現代アートです。
「作者の作意の理解を求めない自然石に対峙することで鑑賞者自らが感じたもの」は、”鑑賞者オリジナルの感性” であり、その存在に気付き深めてもらう』現代アートです。

はなぱんださんが語る『偶偶石』の説明の一部です。

 オホーツクの浜で目に留まった石たちを、拾っては持ち帰ってしまう私。
それをどうするか?って・・瓶に入れたり、かごに入れたり、灰皿に並べてあったり・・。
乱れた部屋の中で、乱れ気味に置いてあります。

それらに光を当てようと始めたわけです。
現代アート』というほどには気負わず、気軽に・・・と。
自らの中より感性が湧いてくる域には達しておらず、「うーむ」と絞り出す感じです。
と、おおいに前置きをしたあとで本日の『偶偶石』であります。


偶偶石・・・6 『かわも』

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ずっと見ていたのです。
川面を・・・。
そう・・・上ばかり向いていた。
きらきら緑や、魚の腹
雨が描く模様や
落ち葉の影・・・
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だからわたしは、「かわも」と名乗ります。

でもわたしは、
川底で、軽やかで楽しそうな川面にあこがれるばかり。




知らぬ間にわたしは動いていたのか?
流されたのか?

いつの間にかユウペツの浜にいたのです。
川面の色を映して・・。
その人は、「あら綺麗なみどり」
とつぶやいて拾い上げました。

子どもたちの声が響く日を待ちながら・・・。

 始めにお断りしておきます、記事の途中に汚い写真が貼ってあります。

目に入れたくない方は今のうちにクローズして下さいませ。

素敵な仲間

 私が勤務する小学校にいる支援員は4名。
年齢はもちのろん!!私が最年長!!
皆気持ちのよい人たちで、気も合い楽しく働いております。


とはいえ、通常の勤務でしたらそれぞれの学級に所属して動きますので、共同の仕事は全くといってよいほどありません。

しかし、この度のコロナ休校により、私たちのお仕事の対象である児童たちはやってきません。
それによって勤務を解かれることはなく、出勤することは可能ですが・・・・・・
では何をする?
私たちは自分たちでお仕事を捻出するのです。

できることを・・・

 まず、始めに手を付けたのが図書室整理でした。
低学年向けの本が書棚の上にあったり、返却がアバウトでジャンル外のものが混ざっていたりしていた書棚を、大幅に入れ替え改善したのです。
それに続いて
●窓のさんのごみ取り
●階段手すりのごしごし磨き
●水槽室(水道の大元配管のような場所)の不用品撤去
●畑の草取り(これはすでに書きましたね。)
kyokoippoppo.hatenablog.com

●家庭科室とその準備室の清掃と片付け
●体育館脇の物品庫内の棚の移動と整理整頓。
●水呑場磨き

そしていよいよ本丸!
●トイレ掃除!

這いつくばって

 建ててからかなりの年数が経つ我が職場の校舎。
壁は剥がれ、雨漏りする箇所もあり全体的にくすんで汚れた印象です。
ちょっとやそっとのお掃除では改善できません。
特にトイレ。
薄暗く、
汚く、
臭い。

5年ぶりにここでの仕事に復帰した際、
「ここのトイレはこんなに汚れていたかしら!」
とビックリしました。
とくに男子便所のオシッコ用のトイレの汚れがひどかったのです。

仕事の合間に忍びこみ、こすってみたり、薬剤をかけてみたりしましたが、黄ばみはきれいに取れませんでした。
ですから、この度もどこまで綺麗になるか!
わからぬまま、それでもトイレの掃除に手をつけたのです。

見て下さい!!!この黄ばみ。
(始めにお断りしておりますので、ここまで読み進めた方には心おきなく「見て下さい!!」と・・・・・)

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しかし、これをピカピカにする方法を見つけ出したのです。


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そう!ゴム手袋に粉末クレンザーを付けて、手袋そのものでこすり取るのです。
これが一番研磨力を発揮することがわかりました。
便器も、
銀色の管の部分も、
壁もこれでこの方法でこすりにこすりました。
床磨きはトイレの床に這いつくばって働きました。
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真っ黒に汚れた水を何回も何回も取り替えましたが、それでも床のくすみ、黒ずみは取りきれませんでした。

達成感!!!!

しかあし!!!!
便器や、銀色の配管部分、壁は見ちがえるほど綺麗になりました。
ご覧くださいませ!
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先生方も驚いて
「ありがとうありがとう」
という感謝の言葉をいただき大満足です。

しかし、疲れたよ・・・・・・その日は口もきけないほどに疲れました。
皆も同様。
次の日は「いやあ、疲れたね。」
がご挨拶でしたよ。

息抜き

 昨日14日は、校舎内の掃除と、最近空き教室を利用してできた第二図書室内の整頓を行いました。

でもね、さすがにずうっと肉体労働というわけはいきません。
気力も体力も続きません。
合間合間に、骨休め時間も設けます。

ある先生が持ってきた知恵の輪は、今職員室でのブームです。
もちろん勤務としてやることではありませんが、職場の潤滑油としては有効なのです。
みな、それぞれの仕事を全うしているという信頼感があるからこそ、知恵の輪も正しく潤滑油としての機能を果たしているのだと思います。
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私は牛乳パックで作るブックスタンドをYouTube見ながらこしらえました。
昨日はある折り紙作品の作り方をああでもないこうでもないと考えていたら退勤時間になってしまいました。
結局YouTubeで同じものを発見。
さっそく作ってみました。



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同じ形のものを、少しずつずらして組んでいくもので、動かすことで形が変化します。
(色の組み合わせをたいして考えず作ってしまいました。私以外の3名はもっと美しく制作中であります。)




 すっかり”子どもたちのいない学校”が日常になってしまって、”あるべき学校の姿”は遠ざかり、その印象すれ薄らいでおります。
このまま「美装屋さん」に変身してしまいそうな私たちです。

来週は、ようやく分散登校が実現するかもしれません。
綺麗になった水呑場やトイレに子どもたちは気づいてくれるかな?

学校に子どもたちの声が響く日を待ちながら・・・。

冷蔵庫とソファー

ネタが押し寄せてくる

 続けて書いた『犬ものがたり』を終え、書かねば!と思っていた『長男のこと』の記事を書いたら、一息つけるかと思っておりました。

 ところが、ネタが押し寄せてくる。
いや、書く義務などないのはわかっておりますが・・・・
「書き残そう!!書き残したい!!」
と思ってしまうのだから仕方ない。
そこでこの度は、記事にしたい二つをうまくつなげて一つの記事にしようともくろんでいます。
で、タイトルは『冷蔵庫とソファー』ですが、
あぶり出されるのは冷蔵庫とソファー以外のものになりそうです。

冷蔵庫

 発端は冷蔵庫からの水漏れです。
ふと目をやった冷蔵庫下の床が濡れている。
床が黒ずみウエッティーになっている。
もう、24年間も使っているものです。
ブーーーーーーーーーーンという不穏な音を立てながら、それでも冷凍し、冷蔵するお役目は果たしておりました。
「そろそろ寿命では??」
と夫にいうも
「大丈夫だ!!」
それっきり!!
夫とは、まず会話がつながりません。
冷蔵庫の下に発泡トレイを突っ込んで凌ぐも、やはりそれからはみ出た水が床を濡らす。
「いやああ!!これ床が腐るよ。」
「・・・・・・・・・」
会話にならず。
夫は風呂場で使っていた珪藻土のマット(これも二つに割れて壊れていた)を持ってきて敷きました。
水は滴れても床は大丈夫!!
・ ・ ・ ・ ・ ・
とやり過ごすこと数日。
珪藻土マットから外れた部分が濡れていて、もう、床の表面は浮き上がりはがれている。
「もーーーーダメだ!!どう凌いでも数ヶ月。ならば買い換えよう!!」
娘も加勢してくれて
「こりゃ買うしかないでしょう!!」
「うーーーーー。」
エスかノーか分からない返事を、娘が勝手にイエスと解釈。
冷蔵庫購入の運びと相成りました。

 こんな時期に?と思われるかもしれませんが、食料品の買い物も兼ねて隣町まで繰り出しました。
冷蔵庫の幅と予算に見合った、11万円ちょいの品物を選びました。
同日夕方には搬入してくれるとのこと。
大急ぎで買い物を済ませ家に帰り、これまた大急ぎで昼ご飯をかきこんで、新品冷蔵庫を迎える準備をはじめました。

旧冷蔵庫の中身を引っ張り出す仕事もなかなかなものですが、それに先立ち、搬入のゲートとなる玄関ホールにある
”やっかいもの”をどうにかしなければなりませんでした。
それは重たいスチール製の骨組みのソファーです。
次男からの預かりもの。
次男が引越しした際の荷物を、我が家が一時預かりしているのですが、そのソファーだけが玄関ホールに置いてあったのです。
当時荷物が届いたとき私は勤務中でして、駆けつけた時はソファーだけが玄関ホールに残っておりました。
次男が住んでいたマンションから出たものが、我が家の、ホールと居間をつなぐドアから入らないなどということがあるでしょうか?
「え???なぜ?入るでしょ。」
こんなものがこんなところに置き去りだなんてあり得ない!!
「工夫したら入るでしょ。」
と、促しても我が夫
「無理だ。」
数回ねばって声をかけるも、不愉快という反応しか戻ってきませんでした。
・ ・ ・
終了です。



そのまま2年間。

しかあし、!!
そのままでは今度は冷蔵庫が入りません。
娘も
「入るはずだよ。」
「とりあえずもう一回挑戦しよう。」
と言ってくれました。
重い重いそのソファー・・・娘の協力が得られるのなら、何とかもう一度動かして試すことができます。
「無理だ。」
吐き捨てるように言う夫を尻目に挑戦!!
縦にしたり、
斜めにしたり・・・・無理なのか?
無理なら一旦外へ出すしかありません。
外はあいにくの雨。

でも、もう少しの角度の余裕で何とかなるのです。
扉を外してみることにしました。
こうすることで可動域が増えるのです。
・・・
・・

とおった・・・・。
「やったああ!!!!」通りました。

ずうっとずうっと我が家の玄関の邪魔者であったソファーが、お部屋に移った瞬間でした。

皆さんなら、こんな時、「無理だ」しか言わなかった相手に
何か言いますかねえ?
何と言いますかねえ??

私はね・・・・・・・何も言いませんでしたよ。

夫も何も言いませんでした。
私たちはこんな夫婦です。
まあ、馴染んでしまった有り様なのです。
それより、ホールからソファーがいなくなったことがとってもうれしかったです。
滞っていた気がようやく動き出すような気持ちになりました。
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(冷蔵庫搬入のために、引き戸は外してあります。)
さあて!!ゲートはできた。
次は・・・・
テーブル寄せて、邪魔な棚を寄せて、冷蔵庫の中身を出してゆきます。
さんじょう漬けの瓶がいくつも出てきました。
底にわずかに液体が残るドレッシングとか。
封をされたまま忘れられていたタッパー内の食品とか・・・。
すごいね。
「ばあさん!!写真はいいのかい?
ブロガーたるものこれを記事にしなくて良いのかい??」
「おおおお!!!撮るわ。撮るわ。」
どうだ!!!!!
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 冷蔵庫・・やってきました。
ピカピカ光る真っ白な冷蔵庫。
黒ずんだ床の上に・・・・・黄ばんだ壁の中に無事収まりました。

その日、食器棚の中も整理しました。
いらない食器、リサイクル店に持っていく食器なども出して気分は爽快。

いらない食器やグラス類は燃やさないゴミとして出します。
でもこれらは消えてしまうわけではない。
これらのものは最終処分場に埋め立てられるのです。
ゴミゴミゴミ。
目の前から消え去っても、それは山奥に運ばれる。土の中に、自然の中に、地球の中に・・。
なんだか後ろめたい気持ちにもなるのです。

ソファー

 さて、ソファに話を戻しましょう。
次男の引越し・・。
ここにも、我が家の問題が存在しております。
次男のお荷物預かりは、当時、相当に苦しみあがいていた次男に対して私たちがしてやった、たった一つのことでした。


kyokoippoppo.hatenablog.com


うれしいプレゼント

 今は東京で暮らす次男。
どんなところで、どんな仕事をしているのか?
想像することもできません。
叔父叔母の助けを借り、生活を建て直し、コロナの渦中ながら精力的に働いているようです。
生活も安定したようです。
そんな息子が母の日に美味しいコーヒーとジャムを送ってくれました。
ありがとうね。
ずっとインスタントコーヒーで済ませておりましたが、今朝はさっそくドリップしていただきした。
もちろんこれからも・・。
ジャムも美味しかったよ。
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息子よ!!
ありがとう。

これを読んだら、相変わらずの父と母だなあと思うだろうな。
なかなかお父とお母は変われない。
でも、何とか折り合いつけて暮らしてゆくよ。

鳥に狐にお弁当

満月の日に

 満月の日、5月7日の出来事です。
『犬ものがたり』の区切りをつける事を優先したので、後回しの記事になってしまいました。
没にしようかな?とも思いましたが・・いやいや書いてみましょうと・・・。

 
 孫の通う保育所は、開所はしているものの「できるだけ自粛を・・」と呼びかけられており、ずっとおうちで過ごしております。
近所の公園に行ったりお散歩したり、パンを焼いたりと工夫して時間を過ごしているようですが、やはり退屈してしまうのでしょう。
(写真は先日一緒にこしらえたパン)

夕方こちらへ顔を出したり、逆に「遊びに来てえ!」
と呼び出されたり・・・。

7日は小鳥が住宅の窓にぶつかってしまい、しばし見守ったものの死んでしまったというハプニングもあり、娘はその死んだ鳥をどうしても触れないというのです。

そんなもんでばあば出動です。


ウグイスでしょうかねえ??

このように母親を頼りにし、その時間を奪ってしまうことを娘は申し訳ないと感じてもおりまして、せめても・・という気持ちからでしょう。
お弁当のおかずを作っておいてくれました。
休校中の小学校で働いておりますので、給食がない今は、お弁当持参です。
ありがたいです。

小鳥は帰りに私が持ち帰り、我が家の庭に埋めることにしました。

孫はベランダの小鳥が気になるらしく、食事中も何度も立って・・いや・・小鳥の存在を立ち歩く理由にしたかったという方が正解かな??
窓にかけよります。
その孫が
「キツネだ!!」
と大きな声をあげました。
小さなさな明渠をはさんだ向こうの畑で、キツネが二匹・・・・
くっついたり離れたり、
飛び上がったり、
じゃれあったり、
追いかけあったり・・・・
実にのびのびと活動しておりました。

一匹は明渠をまたいで、住宅近くまでやってきました。

娘がパチリ。

暗くなってきたので小鳥をタオルに包み、ビニル袋に入れて持ち帰りました。
孫は何やら妙に寂しくなったものか、鼻の下をのばして、長い顔になって泣き出しました。

 外にでたらオレンジ色の満月が東の空に・・。
駆けもどり、娘と孫に声をかけましたが、ほんの少しの間に月は雲間へ姿を消しつつありました。

でも、その夜高く昇った月は煌煌と輝き、寝室はそれはそれは明るく照らされ、神秘的だったと娘。

8日

 小鳥を埋葬
出勤・・・花壇の草取りに精を出しました。

 タンポポ、スギナ、増殖したムスカリだのに埋め尽くされた花壇を掘り起こして、綺麗にしました。
ムスカリは、前任校以前にここで働いていた時期に私が植えたもの。
ここまで増殖した責任は、はい!!ワタクシにございます。

 今こちらの開花状況は、水仙とチューリップとユキワリコザクラ
(ユキワリコザクラの画像は「四季の山野草」のページからいただきました。)
桜は開花寸前という感じですねえ。




 例のお弁当もおいしくいただきました。
前日作ったものですので、一晩冷蔵庫に保管。
職場のレンジで温めていただきます。
お昼時間は、お弁当やおにぎりを温めたり、カップラーメンにお湯を入れたりする人が順番待ち。
「おおお!!密だねえ!!」
と言いながらも、和気あいあい。
楽しいお弁当時間となります。


美味しかったよお!!娘よ!ありがとう。

犬ものがたり⑧・・・・エピローグ

タロとジロ

『その犬の名を誰も知らない』を再び開きましょう。

その犬の名を誰も知らない (ShoPro Books)

その犬の名を誰も知らない (ShoPro Books)

  • 作者:嘉悦 洋
  • 発売日: 2020/02/20
  • メディア: 単行本

 1959年1月北村泰一氏は、第三次南極越冬隊として再び南極へ向かっていました。
地球物理に関する観測調査をすることを希望し、志願をしたのです。
しかし、北村氏の内心の目的は他にありました。
一次越冬隊撤退時に置き去りにした犬たちの弔いをしたかったのです。
その本音を隠して選考審査にエントリし、再び越冬隊として南極へ行くことが叶います。
14日接岸。
一年間放置された基地の様子を探るために一番機に乗った隊員数名。
彼らは、基地上空より、走る2匹の犬を確認したのです。
すぐに「宗谷」に残る隊員たちにも連絡が入りました。
「いったいどの犬だ?」
到着した先発の隊員たちは、激しい敵意をむき出しにする犬に対面することになります。
近づくこともできませんでしたし、もちろん2匹の個体の判別もできませんでした。

そこで北村氏がヘリに乗り込み現地へ向かいました。
到着した北村の100メートル先に犬たちはいる。
「おーい。」
北村氏が駆け寄るも、犬たちは後方に下がります。
そう、寄っては来なかったのです。
この対面の様子は、YouTubeでちろりと観た映画のものとは違っています。

そして北村氏も、2匹の犬の判別ができなかったのです。
「こんな犬いただろうか?」
頭の整理ができません。
置き去りにした犬は、飢えてやせ衰え、死んだであろうと想像してきた北村氏ですので、まるで子熊のような立派な体型の犬たちを前に、戸惑いを感じるのでした。

「お前?ヒップなのか?」
2匹は同時に唸り声をあげ、北村氏は恐怖を覚えます。

ゴロなのか?」


モクかい?」

体毛の黒かった犬の名を呼ぶも、警戒の唸り声をあげ北村氏を近づかせない2頭。

タロ?」
一頭の目がふっと穏やかになりました。
下げっぱなしの尾が心なしか上を向く。

「タロ!タロ!」

激しく尻尾を振る犬。
ああ、犬はこの言葉を待っていたのですね。
自分がタロと呼ばれていたことを覚えていたということです。

ジロ!」
これに反応し、右の前足を上げた犬。
これはジロが甘えたいときにする癖でした。

北村が雪原にひざをつき、手を広げるとタロとジロは猛烈な勢いで突進してきました。
歯を剥き全身で敵意を表出していた2匹の警戒を解いたのは
「タロ」「ジロ」
という言葉でした。
久しく呼ばれなかった自分の名から、全てを思いだし北村氏に抱かれたのです。
一年ぶりの人間との出会いはこのようなものでした。
映画で描かれた場面より、ずっと感動的です。
私はそう思います。

 2頭が生きていたというニュースは、世界中を駆けめぐりました。
北村氏にとっても、人生一番ともいえる幸福を味わった瞬間でした。

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(写真は2018年の西日本新聞のウエブページよりお借りしました。)↓
www.nishinippon.co.jp


 しかし、他の犬たちの消息は?
残る13頭の消息を調べなくてはなりません。
しかし、それはここでの仕事の優先任務ではありません。
空いた時間に係留地近くを掘り起こす北村氏でした。

「見つかるものが首輪だけなら・・。」
そう願う北村氏。
せめて自由を得て、生きる可能性をつないだかもしれないと思うのでした。
掘り起こす場所が定まらず、時間が過ぎていきましたが、とうとう・・・・

2月26日・・・・風連のクマの首輪発見。
3月2日・・・・ジャックの首輪。
犬たちは皆逃れることができたのかもしれない・・そのような安堵が胸によぎったのもつかの間。

3月3日・・・・ゴロの遺体が見つかりました。
解剖されたたゴロの胃袋にあったものは縦20センチ横15センチほどのビニール片でした。
飢えにさいなまされ、口にしてしまったのでしょうか?
体重は22キロ。以前の半分になっていました。
同日・・・・・モクの遺体。
3月4日・・・・ペスの遺体。紋別のクマの遺体。
3月16日・・・・アカの遺体。クロの遺体。
リキの首輪・・・「ああ!!お前は首輪から逃れたか。」

アンコの遺体。
首輪も名札もなく体毛のみ残したのはデリー。

生存2頭
死亡確認7頭
不明6頭。

7頭の犬たちは、水葬により葬られました。
何とか仲間と近づこうとして鎖ギリギリまで接近して死んでいた犬たちを、北村氏は、積み上げてひとかたまりにして運びました。

犬ゾリに積まれたカラフト犬七頭の遺体。それは南極で置き去りにされて死んだ犬への、哀悼のケルンだった。

『その犬の名を誰も知らない』より

 一頭一頭に言葉をかけ水葬にする場面は、涙なしには読めません。



さて
タロとジロは、なぜ過酷な南極で生き延びることができたのか?
また、「第三の犬」は結局どの犬とされたのか?
これは、本書をお読みになってお楽しみ下さい。

ウヤミリック

 『極夜行』について綴った過去ブログから一部抜き書きいたします。
角幡氏と相棒ウヤミリックの過酷な旅の場面です。
当てにしていたデポ(あらかじめ配置し保管しておいた食料のこと)が熊に食い荒らされてしまいました。
獲物を獲らなければウヤミリックの食べ物はほとんどありません。
しかし、生き物が一匹も姿を見せない日が続きます。
何度か貼ったもので恐縮ですが・・・・。
kyokoippoppo.hatenablog.com
   *  *  *

 絶対に犬を死なせない、旅を終わらせないと固く決意してここまで来たが、現実として獲物がとれず、暗闇のなかで体力がむしり取られていくうちに、私は犬の命や自分の旅に段々無関心になっていった。そしてもはや犬の死肉は完全に計算のうちに入っており、犬が将来死ぬことを想定することで私は自分が死ぬ恐怖から逃れることができていたのだ。

 犬はげっそりと痩せこけ、惨めな身体つきになっていった。前日よりも明らかに腰回りの肉が削げ落ちており、日一日と小さくなっていくのがよく分かる。雄々しい狼のようだった顔つきも飢えた狐のように卑屈になっていた。
 身体つきだけではなく行動にも今まで見られなかった顕著な変化が現れていた。私に物乞いのような仕草をするようになったのだ。
 前日の行動中に休憩しようと橇に座って行動食の袋を開けたときだった。犬はゆっくり立ちあがり、のろのろと私の横にやって来て、お座りの姿勢をしたまま、カロリーメイトやチョコやナッツを頬張る私の様子を、力を失ったくぼんだ目でじーっと見つめたのだ。

 角幡氏は犬の身体を頻繁にさわり痩せ具合を調べます。
触られるのが大好きなウヤミリックは恍惚の表情をして目をつぶります。
しかし、その尻や骨のまわりにも肉はほとんどなくなっているのでした。
毎夜犬の死を想像し、眠れぬ夜が続きます。
   *   *   *
ウヤミリックのその後についても、ここでは書かないことにしておきましょう。

ブチ

 白瀬南極探検でそりをひいた先導犬ブチは、ヤヨマネクフとともにカラフトの落帆村(オチョポッカ)に帰ってきました。
そう、海南丸に乗ることのできた一頭だったのです。

ヤヨマネクフは帰る前にアイヌ語研究者の金田一京助とともに『あいぬ物語』を書いています。
ヤヨマネクフがアイヌ語で話し、金田一氏が日本語にまとめたものです。

そのなかに、「メーヂ、レパー、イカシマ、イーネ、クンクト、パー、ネー、パーケヘ、サキータ、ナンキョク、タンケン、ウェペケレ、アン、ヌー」
「明治四十三年の夏の頃、南極探検の噂が聞えた」と始まる「南極探検」もおさめられています。

『やまとゆきはら』より。
(本書では日本語にアイヌ語ルビが乗る形で記述されておりますが、ここでは分けて書きました。)

『やまとゆきはら』はこのようにお話を閉じております。
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写真は落帆村にあるヤヨマネクフとシシラトカの功績を讃えた慰霊碑。
ロシア語と日本語で書かれています。
写真は稚内市のサイトからお借りしました。


www.city.wakkanai.hokkaido.jp

終わりに・・

 思いのままに、8記事も書きました。
大満足です。
お付き合いくださった方々・・・本当にありがとうございます。
 
物語の中の犬たちの姿に感動し涙した私でしたが、物語にもならない場面で、ペットとして多くの犬が商品として生み出されていること、
その過程で痛ましい環境に置かれたり、売れ残った命が粗末に扱われていることなどにも目を向けていかなければならないと思います。

犬ものがたり⑦・・・・出航命令

トゥトゥ!!

 絵本『やまとゆきはら』を参考にしながら、記事を書き進めましょう。

 白瀬南極探検隊は、もちろん南極点を目指しておりました。
「トゥトゥ!」



「トゥトゥ!」というかけ声は、『その犬の名を誰も知らない』の中にも出ていましたね。
アイヌ語のかけ声だそうです。
そのかけ声は今でも、犬ぞりを扱うときに使われているようです。
「トゥ」は進め。
「ブライ」は止まれです。
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この表紙の犬たちの表情をご覧下さい。
何とも愛らしく、お茶目な顔つきの犬たちです。
舌を出し息を切らし、重たいそりを曳く犬たち。
走る喜びに満ち満ちているように感じます。
しかし、このような走行が続くわけではありません。

本のページをめくりながら、雪のはらを進みましょう。


そりは何度もひっくり返りました。 

隊員たちは、食料や防寒服などを下ろし荷物を軽くしてやりました。

荷物を置いた場所には目印の旗を立てました。

針のような雪が隊員たちの目を刺します。

零下25度の寒さで犬の鼻はマヒ。

後のそりは前のそりを見失います。

凍傷で傷ついた犬の足からは血が流れ、後のそりはその跡を追いながら進んだのです。

1月20日より南極点を目指して進んできた隊員たちですが、9日目の28日
隊員たちは、もう、動けなくなってしまいました。
犬たちは走れなくなってしまいました。

やまとゆきはら


 南緯80度5分西経156度37分のその場所で、白瀬は突進を断念しました。
見渡す限りの雪野原を『やまとゆきはら』と名付け、日章旗を立て日本の領土とすることを宣言したのです。
(あとになってこの場所は、陸地でなく棚氷の上であったことが判明します。
また、第二次世界大戦後のサンフランシスコ平和条約第2条において、日本国政府は南極地域の領有権を放棄しております。その他各国の領有権主張は1959年に締約された南極条約の第4条により全て凍結されて今日に至っています。)

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(写真はWikipediaより引っ張ってきました。その出どころは、 毎日新聞社の「昭和史第3巻 昭和前史・日露戦争」のもの)

やまとゆきはらに留まること14時間。

帰路となる下り坂を急ぐ隊員たち。

食料が乏しくなってきたのです。

ヤヨマネクフとシシラトカは自分たちの行動食を犬たちに分けてやりました。

しかし、それにより犬たちは下痢を発症し、後続のそりは下痢の跡を頼りに進む始末。

3頭の犬は血を吐き弱ってしまったため、つなから放してやりました。

その3頭は、もう、そりを追うこともできませんでした。

流氷

1月31日、基地に到着。

2月2日夜、海南丸も湾にやってきました。

天候が悪化。
流氷が次々に押し寄せます。

流氷で湾が閉ざされる前に離れなければなりません。

2月4日早朝、隊員と6匹の犬が乗り込んだとき・・・
白瀬は出航を命じました。


ああ、涙がこぼれてきます。

風ははげしく、波は大きく、流氷も集まってきました。
山辺も花守も、泣くような思いをしながら、犬たちの遠ぼえの声を聞きました。
船がはなれるにつれて、犬たちは近づけるところまで走ってきては、尾をふり、ほえつづけました。

        『やまとゆきはら』より

氷の先端まで走り寄る犬たち。
前足を開き、呆然と立ちつくしています。
しかし無情にも「海南丸」は動き始め、黒味がかった冷たい海水が船と犬たちを隔てます。
船の艫(とも) から身を乗り出しているのは、ヤヨマネクフとシシラトカにちがいありません。
かろうじて乗船した犬たちも、仲間を求めるように後ろ足で立ち上がり吠え立てています。

(絵本のこの場面の様子です。)


 海南丸が帰国したのは6月20日のことでした。
ものがたりは、このあと物悲しいエピローグへと続いてゆきます。

『蘂取はるかなり』

 さて、私はここで、ようやく切り抜いた北海道新聞の記事を紹介できます。
ある日目に留まり、よほど余裕の無かった時であったか?指で引きちぎっておいたのです。
『犬ものがたり』の連載記事を書こうと決めたとき、その切り抜きも是非活用しようと思いつきました。
が・・・・どこへ行った??
切り取った記憶はあるものの、いったいどこに・・・?

f:id:kyokoippoppo:20200411203220j:plain:w200:left乱雑にストックされていた切り抜きたちをぶちまけて探す作業にいそしんだ末に・・
出てまいりました。
(黒いものは我が家の愛犬ブウタロウです。ストーブの前で呑気に寝てばかりいるワンコです。)
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(写真を撮るときには、さすがにハサミでカットしましたよ。)

ところが、日付が記載されておりません。
まあ、指でちぎり取った行為を考えれば、日付メモまで気が回らなかったのは当然でしょう。

日付無しでよいかあ??
いやあ!!何とか調べられないかしら??


ダメ元で検索して見つけたのがこちらのブログです。
moto-tomin2sei.hatenablog.com

なんと!記事の執筆者である谷内紀夫氏は、はてなのブロガーさんでもあったのです。

海に飛び込み飼い主を追う犬たちの姿は、南極で置き去りにされた犬たちの姿と重なります。

 北方領土について、私はずっと無関心でした。
しかし、『熱源』や『やまとゆきはら』(あとがき・解説)により、「サハリン」(樺太)への関心が喚起されたことで、北方に位置する島々へも関心が向くようになりました。(サハリンは領土問題の枠外ですが・・・)
「取り返せ!!」
という姿勢ではなく、
遠い昔よりロシア人・アイヌ民族・オロッコ民族・ギリヤーク民族・和人がそれぞれの境界をゆるく保ちながら暮らしていた時代を偲ぶという姿勢です。
これは、以前紹介した『伝蔵と森蔵』にもつなるテーマです。