町からのプレゼント

「まちのマスク」

f:id:kyokoippoppo:20200626065419j:plain:w330:left 我が町から、マスクのプレゼントが届きました。

一人に10枚ずつ。

「アベノマスク」はそれより少々前に届いています。
娘の所には何の手違いか、まだ届いていないというアベノマスク。
本当に、大枚使って残念な結果となったアベノマスクでありました。


とはいえ、コロナはまだ居座っております。
当分共に暮らしてゆかなければなりません。
両者とも、大事に使わせていただきます。

ホタテ配布

f:id:kyokoippoppo:20200626065322j:plain:w450:leftマスクに続いて配布されたのが、殻付きホタテです。
町の漁協からのプレゼントです。
一世帯25枚。

勤務時間中の配布でしたので、夫が地区の会館まで取りに行きました。

少々残業して我が家に着いたら、娘が来ており、せっせと我が家のホタテを剥いてくれておりました。
「おかあ、仕事から戻ってからのホタテ剥きは大変かと思って・・・。」
と。
ありがたや!!
です。
娘は、
自分の家の分プラス、
まかない仕事に通っている酪農家同級生の家の分プラス、
その同級生の祖父宅の分。
・・そして母親である私の家の分。

合わせて100枚も剥いたことになります。
よくがんばりました!!



f:id:kyokoippoppo:20200626065344j:plain


f:id:kyokoippoppo:20200626065358j:plain:w400:left
貝柱&ひも。
ひもは塩で何回ももんで、ぬめりを取り、さっと湯がいていただきます。
コリコリしていて私は好き!!
残りは冷凍いたしました。

ごちそうさまでした!!

娘のおでかけ

おでかけ・・・してない

 おでかけブログ・・・・ほとんど書いておりません。
おでかけしていないから当然です。
コロナの自粛ということもありましたが、それがあろうとなかろうと、どっこにも出かけない私たち夫婦。
以前、娘がまだ滝川で暮らしていた頃は、用があればそこへ出てゆくことはあったのです。
しかし、その娘がこの町で暮らし始めたため、ただでさえ出かけない私たちは、ますます何処へも行かなくなりました。


今後「おでかけ」のカテゴリで書く予定も当分ナッシングでしょう。

 一方、娘の方は時々出かけてゆきます。
先日は滝川時代にお世話になった「店長さん」の所へ出かけてゆきました。
ここに来るまで、パートで働かせてもらったラーメン屋さんの店長ご夫婦のところへ遊びに行ったのです。
とにかく可愛がってもらったらしい。
何でも話せたし、
甘えられたし、
助けられたし、
という娘。
もちろん、娘だってそれに応えるように、力を貸したし、厨房を明るくしたはずです。

血のつながらない人どうしが、このような絆を築けるものなのだろうか?
と感心する私です。
特に「おくさま」とは、血ではない別のつながりを感じるらしい。
春に温泉にでも行こうと考えていたようですが、コロナのために中止となり、結局この度、娘が滝川へ出向いて、バーベキューを楽しむことにしたのです。
あらかじめ当地の殻付きホタテを発送しておき、月曜日の朝、JRで向かうことになっていました。

f:id:kyokoippoppo:20200624062614g:plain:w500:left主要駅の貼り付け具合により、位置は少々ゆがんでおります。利用駅である遠軽がかなり内陸へ寄っています。

月曜日のモーニングタイム


f:id:kyokoippoppo:20200624063937j:plain:w400:left
 私は週明けの勤務日でしたが、気分はリラックス。
孫と娘はおでかけ。
ふふふ・・勤務後のフリー時間は確実です。
それだけで、私の気持ちはふわふわと緩むのでした。
次男が母の日に、送ってくれたコーヒーと、ジャムでトーストのあさご飯。
スマホで長男が投稿した編曲作品を聞きながら、良い気分。


www.nicovideo.jp



そこにけたたましくTELの音。
出発を控えた娘からです。
「どうした!」

スマホを通話に切り替えましたら
「大変だ!」
「どうしよう!」

切羽詰まったような半泣きの声が耳に飛び込んできました。
え?え?
どうした!
何事だ?
と私。
ケガか?病気か?
と身構えます。

毛虫があ!


「おっきなやつ!」
「10センチはあるの。」
「それが、出口の、引き戸の、さんの、出ようと思ったら、それが!10センチもあるの!」
「今まで見たことのない大きさで!!!!」

裏から出て、いま外には居るけど・・。
もう、どうしよう!

と。

外まで出たなら、行けば良い。
毛虫は私がどうにかする。

と伝えました。
伝えながら、
その毛虫とやら・・なるべく早く行ってやらねば・・と思いました。
時間をあけてしまえば、行方をくらますかもしれません。
そうすれば、「またひょんな所から現れたらどうしよう!!」
という恐怖につかまってしまうことは目に見えております。
「すぐ行って片付けといてやるから、行きなさい。」
なんて優しいママでしょう!!

毛虫捜索

 すぐに車で、娘の住宅へ向かいました。
でもな、10センチ?

そんなに大きいなら、さすがの私も見たくはないな。
住宅に着きました。
集合住宅の入り口引き戸が開けたままになっており、そこを閉めることもできずに裏の引き戸から二人は逃げ出したもよう。

10センチの毛虫は?



おりません。

薄暗い場所で、風が吹き込むためいつも枯れ葉や、死んだワラジ虫や、干からびたミミズなどか落ちているエントランスです。
折々に掃き出すのですが、すぐに汚れるその玄関を改めて掃き清めながら、あちらこちらに目をやりますが、巨大毛虫は見当たらず。

おかしいなと思い、最後に引き戸の上のレールを箒で一なでしてみました。
ポトリ
落ちてきました。
オレンジ色の毛虫が。
うーん10センチもないよ。

ほうきで塵取りに乗せて証拠写真をパチリ。
フェンスの向こうの草むらに放り投げておきました。


すぐに娘にご報告。

 さてさて・・毛虫で大騒ぎして、母親を煩わす娘と、お世話する私の関係・・・どうなの?
と思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。
でも私は思うのです。
これがだったら、と。
私は引き戸に近づけない。
目も向けられないでしょう。
私は何としても蛾が怖いのです。
虫に罪はないのは分かります。でも無理なものは無理なのです。
だから、毛虫を蛾に置き換えて想像するのです。
帰宅後、それがまだ居ると思ったら心穏やかではないだろうその気持ちがわかるのです。
私は娘を助けてやります。
娘は、蛾に怯える私のために助けてくれるのです。

 夜送られてきたラインです。
娘が”父の日”のプレゼントと称して、手渡した手作りクッキーを手にするご満悦の店長さんです。

f:id:kyokoippoppo:20200622190143j:plain:w400
f:id:kyokoippoppo:20200624061616j:plain:w200:left


 昨晩火曜日に、二人は帰宅しました。
大好きなハスカップジャムを挟んだお菓子を買ってきてくれました。
毛虫処理のお礼ですと。
今朝さっそくいただきました。酸味の効いたハスカップジャムと、生地の相性が抜群です。




ハスカップジュエリーは、ジャムとクッキー、バタークリーム、チョコレートの、4つの素材の調和のとれた美味しさ。
北海道特産の果実「ハスカップ」を甘酸っぱい味わいのジャムに仕立てて、バタークリームと共に薄焼きクッキーでサンド。 周りをクーベルチュール・チョコレートで縁取って仕上げた、甘酸っぱさと、まろやかなクリームが調和する繊細で上品な味わいのお菓子です。
北海道のお土産のお菓子として、新千歳空港でも人気のお菓子「ハスカップジュエリー」をぜひお楽しみください。北海道のこだわりの詰まったお菓子は、贈り物としてもおすすめです。

morimotoのホームページより。


そして、今朝トーストに添えたルバーブジャムは、同僚である支援員さんの手作り品でいただきました。
美味しゅうございました。

最後に!!

最後に毛虫公開です。
せいぜい4cmほどの毛虫君です。
スクロールしたあとに、出現いたします。
娘よ!
そして毛虫の画像を目に入れたくない読者の方よ!
みなさんはここで、さよならしてくださいな。

スターの心配もご無用です。




























f:id:kyokoippoppo:20200622190352j:plain:w400

長男のこと⑬

ようやく仕上がった新作

 長男Hが、新作(編曲作品)をニコニコ動画に出しましたので、
今回の記事は、『長男のこと⑬』となります。

作品のアップに合わせて、綴っている連載です。
いくらかでも、力になってやりたいのです。

時間をかけ、細部にまでこだわって作った作品だそうです。
YouTube動画の方も貼りますね。)

www.nicovideo.jp
www.youtube.com

 初めてこの記事に接する方や極最近の読者の方のために、今までは、ざっとこれまでの経緯を書き記しておりました。
しかし、今回はそれを省きます。
●高校に進学しなかったということ。
●中学を卒業するころ、始めてピアノにさわり、それ以来夢中になったこと。
●バイトとピアノに明け暮れた10代であったこと。

それくらいの説明に留めましょう。
前回の記事を張り付けましたので、説明の足りない部分はこちらで補っていただけましたら幸いです。
kyokoippoppo.hatenablog.com



 今回は息子のパニック障害についてです。
息子は当時、家を出て札幌で暮らしておりましたので、彼のパニック発作の状態を、私は直接は知りません。
ここに記述したことは全て、息子Hから聞いて私が記憶していることとなります。

さばの味噌煮

 長男Hがまだ、我が家で暮らしていた頃、彼の好物はさばの味噌煮でした。
缶詰めのやつです。
安っすいやつね!
その甘じょっぱいさばをご飯にかけると
ご飯が進むくん!
もりもりとかきこんでおりました。
 テレビのグルメ番組などをみては、
食レポの仕事はいいなあ。仕事で美味しいものが食べられるんだから。」
などど、つぶやいてもいましたね。

 Hは、2007年春より札幌で暮らし始めております。
15の年から働いていたのだから、バカンス気分で一人暮らしをちょいと体験してみのも良かろう・・・・とそんなラフな気持ちで出ていったのでした。
しかし、程なく、札幌在住の作曲家の先生のところで作曲を学び始めます。
中卒の、得体の知れない兄ちゃんを、よくぞ拾ってくださいました。
M先生の自宅に通ってのレッスンが始まりました。
与えられた課題(和声の課題)を携えて行くのです。
課題の評価は??
先生は◯をくれるのか?
バカンスどころではなくなりました。

 さて、その年の晩秋の頃か初冬の頃か?
とにかく胃腸炎のウイルスが流行る時期のことです。
Hもそれにやられたのでした。
嘔吐と下痢に苦しんで、ようやく状態が落ち着いてきた。
しかし、ろくな栄養もとっていない体はフラフラでした。
そこでHは、とにかくそろそろ食べなくては、と思ったそうなのです。

スーパーのお惣菜コーナーで見つけたさばの味噌煮。
「ああ、缶詰めではなく、ちゃんとしたおかずを食べることにしよう。」
そう思ったそうなのです。



ああ、このチョイス危ないな!と思われる方も多いかと思います。
当たりです。
そのお惣菜のさばの鮮度が悪かったものか?
そもそも病み上がりに、「さば」という食材は相応しくなかつまたからか?
それを食べた息子のお腹は、もう、再びの大波乱となったようで、トイレからしばらく出られず、疲労困憊の末、友人に電話して来てもらったそうです。

駆けつけて来てくれた友人の車は、何とそんな季節にオープンカーであったとか?(この辺私の記憶違いでなければそうであったと。)

息子はガタガタ震えながら、嘔吐に備えてビニール袋を持ち病院へ向かった。そんな顛末でした。

食べ物が怖い

 そんなことがあった後、Hに変調が訪れたのでした。
食べ物を前にすると動悸がし、冷や汗が出て、苦しくなると。
何度か一緒に食事をとった音楽仲間の友が、
これはメンタルクリニックを受診するべきだ、
と判断しました。

そしていただいた病名が
パニック障害でした。

私はその話を聞き、にわかには信じられませんでしたが、何より息子自身が、
「オレがメンタルクリニックを受診するなんて!」
と事実を受け止められずにいたようです。
しかし、身体は容赦なく反応する。
食べ物を前にすると
「これは大丈夫なのか?」
という疑いが先に立ち、動悸が始まるようで、
Hはどんどん食べられなくなってしまったのです。

元々細身の男が、がらがらと体重を減らしてゆきました。
そのうち、身体は食べ物以外にも反応し、乗り物や閉所などでもパニックを起こすようになってしまいます。
あの時、さばなんか食べなければ・・・。

そんなことも思いましたよ。
でも、さばは”引き金”となっただけであって。
パニックを起こす素地は、すでに出来上がっていたのだと思います。

作曲の勉強・・・・。
・・そもそもが身の丈に合っていなかったのかもしれません。

先生に認めてもらえるような課題を次回までに持っていく。
そのことで心はいっぱいになり、
頭の中は音符だらけ。
眠れず、常にこのことにせっつかれていたとHは言います。
そんな状況が、いつでもパニックに繋がるような素地を準備万端整えていたのでしょうね。

2008年お正月

これは、当時発行していた手書き通信の一部です。
(発信したがりの私は以前からこんなことをしておりました。)
楽しい語らいの一場面です。
バンド活動真っ盛りの次男Yは、金髪の髪をライオンのようにして、ブイブイいわせております。
長女Aは高校卒業間近。
立ってコーヒーを淹れているのがHです。
父親でもある夫の姿がありません。
これも悲しいかな我が家の実状であります。


「あれは食べられない」
だの
「これは、大丈夫かな??」
などといちいち確認をとる息子に対し、もどかしさを感じた私でしたね。


 そんな帰省の折に聞かせてもらった話です。
Hは自分の体調に関することを、先生にはひた隠しにしておりましたが、先生も、息子の様子の変化に気づき、先生なりに心配をして下さったのです。


先生は、
「こりゃ、この子にはリラックスが足りないのだな。」
と思ったのでしょうね。
勉強以外の楽しみを与えてやらにゃあいかん!
と。

先生は、音大で学ぶ女子学生を自宅に招き、パーティーを開くことにしたのです。
もちろんH君も来たまえよ。
そう、その時Hから確かにTelをもらいましたよ。

「お母!パーティーってどんなものなの?」
「何着ていけばいいの?」
「何か持っていくのかい?」
切羽つまったような声で電話をしてきたHでした。

パーーーティ??

そんなもの我が家に縁は無い!!
知らんがな!!
です。

息子は、気後れと何を食わせられるのか??
という大いなる心配を携えてパーティとやらに出向いたそうです。
立食形式のそのパーティー
皿にとにかく安全そうなお品を一品乗せて、ひたすらそれをキープするのに苦労したそうです。
いかにものを食べないように、しかも楽しんでいるように振る舞うかに神経を使ったというその話は、面白かった。

決して笑い話ではないのだけれど、飄々とそれを語る息子のユーモアは健在でした。


パニック障害予期不安。
鬱に移行。

そんな情報を目にしながら
「鬱だけにはなりませんように。」
と祈るような気持ちの私でしたが、
結局なりましたね。
鬱というものに。
それは次回以降の記事といたしましょう。

kyokoの偶偶石 11・・・・ネオン

 はなぱんださんのお誘いに乗った形で始めた『kyokoの偶偶石(たまたま石)』です。
 
www.hanapanda.com

「知識という前提を鑑賞者に要求せず、鑑賞者個人のオリジナリティを引き出すことのみを目的」とした現代アートです。
「作者の作意の理解を求めない自然石に対峙することで鑑賞者自らが感じたもの」は、”鑑賞者オリジナルの感性” であり、その存在に気付き深めてもらう』現代アートです。


はなぱんださんが語る『偶偶石』の説明の一部です。

 オホーツクの浜で目に留まった石たちを、拾っては持ち帰ってしまう私。
それをどうするか?って・・瓶に入れたり、かごに入れたり、灰皿に並べてあったり・・。
乱れた部屋の中で、乱れ気味に置いてあります。

それらに光を当てようと始めたわけです。
現代アート』というほどには気負わず、気軽に・・・と。

11記事目を迎えて

 これまでに10記事、なんとか絞りだすように綴ってまいりました。
「色が綺麗」「模様が面白い」・・・それだけの思いで拾い上げたものばかりです。
川から浜に流れて来た・・・・そこにストーリを添える形で綴ってきました。

らしい名付けをして、川から浜への時間の中で形作られ、色をまとった
・・・そんなストーリーです。

しかし、はなぱんださんとの コメントのやり取りを通して、ん???むむ!!!!!
と立ち止まったわけです。
はなぱんださんは、私に次のようなコメントを下さいました。

自然石の模様は、誰が描いたというより、焼き物で、「備前焼」は高熱と降りかかった灰が色と模様を作り出したものだったり、「国宝の曜変天目」は焼成の際の高温で何かの結晶が生じてあのような宇宙を思わせる景色が出現しているように、”巨大な窯” で高温と高圧と遥かな年月をかけて生み出された模様であるわけです。描いたという表面的なものでなく、石の中身にまで模様はつながっていて、”焼き物の欠片” に近いものかもしれません。
 そしてそれを作り出した ”巨大な窯” とは、言うまでもなく、”地球” です。

石の出所は”地球”という”巨大な釜”である・・。
と。

 私に欠けていた視点です。
なるほど・・と思いつつも、私の中にはささやかな抵抗感もあるのです。
自分が表面の色や模様に惹かれただけである・・という事実は今でも変わらないわけで、
この単純な楽しみを、記事にしようと思うあまりに、自分の実態に合わないものに仕立てあげることへの抵抗です。

それでいながら・・この緑の石を~川での生活で緑に憧れ色づいた~というような、これまでのパターンに添ったストーリーに安住する自分ではなくなっているから不思議です。

・・ということで

11記事目で、私はちょいと脱皮。
気負いを削いで、拾った石の紹介をメインにします。
石たちをすべて紹介し終わったら、全ての石を浜に返そうと思います。
石の紹介と人生の店じまいを目的にします。

添える文章はラフにラフにラフに・・・していきます。

偶偶石11・・・ネオン
f:id:kyokoippoppo:20200621061134j:plain:w500


どこで取り込んだものか?

そもそも自分そのものなのか?

このみどり

ここの

「ネオン」と名づけてもらったけれど

ネオンって何だろう?

時代と場所によせる共感

夢の中で

 上菅田町の「源氏が丘」から、向かい合う「富士見ヶ丘」をながめる私。
「ああ、私の家のあるところ。」
と一瞬思うも、
「ああ、私の家は町田に引っ越したのだった。」
と思い出す。
そして、我が家にたどり着くためには西谷駅から、大和駅まで相鉄線にのり、そこから小田急線に乗り換え・・・などと路線図を頭に描くや、
いやいや、親はそこから千葉に越したぞ!
となれば、上菅田からどうやって千葉まで?
と途方に暮れる。
夢がそこで、途絶えることもあれば、
ああ、私北海道で暮らしていたんだ!
までたどり着くこともあります。
そう、私は川崎生まれですが、物心ついてから18歳までを横浜で過ごしました。

 北海道に嫁いでから38年にもなりますが、横浜界隈や故郷ともいえる上菅田は、時々夢にでてきます。

・・・今日のブログは、自分のノスタルジーに浸るもの。
ご了承下さり、その上で読み進めていただけましたらうれしいです。

kyokoippoppo.hatenablog.com
このブログはタイトルの通り母のことを綴っておりますが、少女だった私が見た横浜についても書かれております。
その部分を下にコピーし、貼り付けました。

 私は川崎で産まれましたが、物心つく頃には、横浜におり、そこで幼少期から18歳までを過ごしました。
それを言うと、地元の方に、「まあ!都会から!」
と言われますが、住まいのあった場所は横浜駅(港)より内陸部で、周りはほのぼのした風景でした。
住宅地の周りには田んぼと畑と雑木林が点在し、田んぼにはレンゲが咲き、畑周辺には肥やしの匂いが漂っていました。
f:id:kyokoippoppo:20180407065817j:plain:w250:left
 横浜駅は身近な駅でした。
 東口と西口を繋ぐ連絡道がありまして、そこは薄暗いトンネルのようでした。その入口に足を踏み入れると、ハーモニカのもの悲しい音色が聞こえてきました。復員した傷夷兵が、ハーモニカを吹いているのです。手足を失くした者は四つん這いになり、じっと動かず頭を下げておりました。

 東口は開発途上で、商業施設はほとんど無かったと記憶しています。
これが幼少期の記憶に残る横浜の風景です。
(写真は駅西口のものでしょう。1964年開催のオリンピックの旗が掲げられていますね。)

 


kyokoippoppo.hatenablog.com

これは夢に出てきた「横浜」。

もう、夢の中でしか訪れることがない「横浜」。
そう、私は北海道の広い空の下で暮らしているのです。
ブログを綴ることを楽しみとして暮らしているのです。

ああ!!相鉄線!!

 ブログを綴ることを楽しみにしている私。
いただいたスターに喜ぶ私。
読んで下さり、スターを残して下さるありがたい方々。
さて、前回投じた記事についたスターを確認、スクロールしておりましたら、「はじめまして!」の方を発見。
これも、うれしい出来事ですよね。
さっそくその方のブログを訪問しました。
出会った記事はこちら。

hachi555.hatenadiary.jp

 ビックリ!!なんと相鉄線を綴ったブログではありませんか??
クリック一つで、自分が相鉄線界隈に飛び出したように感じました。

最も利用した駅「西谷」(にしや)を、検索ワードにして飛んでみましたら・・・・ありました。ありました。
hachi555.hatenadiary.jp
し・か・し・・・
懐かしい!!   のか・・・??
懐かしい!!
地名は・・。そう・・地名は。
相鉄線」も「西谷」も「二俣川」も・・

しかし写真は、私の記憶との隔たりが大きすぎて・・。

当たり前ではあるけれど、懐かしさを誘う欠片すら残っていないのでした。
はるか昔・・・
田舎の親戚から届いた餅や干し柿の入った荷物の終着は、「西谷駅」でした。
幼少期、母と一緒に歩いて行き、駅で木箱を受け取り、それを持って帰ってきたのでした。

星川の「しょんべんプール」という異名を持つプールに通ったのが小学生時代。
改札では、駅員さんが切符にパンチを入れてくれるのです。

高校へ行くのもこの駅から。
上り電車に乗る友人が多数いた中、私が通ったのは辺境に建った新設校。
下り電車で三ツ境まで。
定期をかざして、西谷駅の改札を毎日毎日利用しました。

その西谷駅・・・
今や変貌著しい駅だそうで・・。
jafmate.jp

ああ!!
地味だった「西谷」がこんなに脚光を浴びている!!
新宿とつながっている!!
とはいえ私には、そんなこと何の関係もありはしない。

が、それでもなお、私はこの出会いがうれしかったのです。
記憶に刻印された駅名を目にするだけで、うれしかったのです。

時代と場所によせる共感

 
 この度のブログのタイトルは『時代と場所によせる共感』です。
たとえば・・・
saitama-dame.hatenablog.com
jh0iamさんのこの記事・・。
自分が生きてきた時代の空気感までが、届けられるように感じるではありませんか!!
そして、
uwisizenさんが寄せて下さったこのコメント。

2020-01-30・ブログ開始2周年の節目に書いた記事に寄せられたものです。

id:uwisizen

きょうこさん。

3年近く「孤独のブログ」。
そのブログが終了するので、やめようかと迷ったあげく、
「もう一度、チャレンジ」と思って始めたのが「はてなブログ」。
本当に、いろんな方につながることが出来ました。
まさか、町田駅をご存知の方と会えるとは、感激です。
しかも絶対に住まないであろう北海道の方に。


私の返信が以下の通り。

きょうこ (id:kyokoippoppo)

uwisizenさん、コメントありがとうございます。
そうなのです。
普通に暮らしていれば、会う可能性も、知り合う可能性もないであろう人たちと繋がり、交流を持てたのはブログのおかげです。
古き町田界隈を知っているということで、親近感を伴い分かち合えるのもブログのおかげ。
末永く楽しんでゆきたいです。
これからもよろしくお願いいたします。


この時代のこの場所を知っている者同士ですね!!という強い共感と、しみじみとした喜びのやりとりとなりました。

それぞれの場所から、思い思いに発信する糸が、ところどころで交差し、出会い、感応し合う。
スターが残され、コメントがやりとりされる。
そのまま続く関係もあれば、一瞬の火花のように交わされる軽やかな関係もある。

ブログのこのようなつながりがとても楽しいと感じ、この度の記事といたしました。

 * * *

  

※過去記事をスクロールしていて気づいたのですが、
 貼り付けたはずの写真が所々消えておりました。
 なぜ????
 先日「デバイスの空き容量が増やせます。」の忠告にしたがって、スマホでその操作をしたからか??
 少しずつ手直しする必要がありそうです。
 まだまだ色々わからないワタクシです。

今宵はこの本

ステキな日曜日

 6月14日・日曜日。
娘と孫はママ友さんと焼肉のイベント。
自由時間いっぱいでした。
久しぶりに布いじり。
娘に頼まれていた「洗濯バサミ猫さん」を試作しました。
カーテンをくくるために使いたいとのことで、用意したものは、洗濯バサミというよりは、竿バサミですね。
作る過程を見せてくれる動画が大変参考になりました。

時間にとらわれず、チクチク針を動かすのは楽しいものです。
器用ではありませんので、作品の到達目標は低めに設定しておきます。
布は不用のパジャマで・・・。

しっぽはまだ付けていません。
そしてしっぽをつける前に、夕方お風呂に入りに来た孫が気に入り、持ち帰ってしまいました。
次は孫に頼まれたウサギさんを作ります。
娘には改めてカーテンに合う、黒っぽい色で作りましょう。

今宵はこの本

 そんなステキな日曜日だったのに、夕方、ズドーーーーーンと落ち込むような出来事が発覚しました。
それが具体的な何であるのか?を書くべきかもしれませんね。
でも、自分の落ち度であり、がさつさであり、非常識であるところの出来事を書いて、ようやく静まりつつある気持ちを再び波立たせたくないのです。
ご勘弁くださいませ。
娘は
「あるって!!長く生きてりゃそんなこと。一度ぐらいはあるのさ。」
と慰めてくれ、孫は涙ぐむ私の頭をなでてくれました。
ありがとようーーーー!

 
「あ~あ」の気分を引きずって迎えた就寝時間。
『サガレン』を読む気持ちになれませんでした。
なんていうのか・・・・・自分の沈んだ気持ちに添う本、それでいて慰めになるような本をお供にしたかったのです。

そして、タイムリーなことにそんな一冊が私の手元にあったのです。
北海道新聞のこの記事を目にし、図書館にリクエストしていた本が、まさしくその日に手に入っていたのです。

兄の終い

兄の終い

Amazon
数時間で読み終わりました。
うん、うん、その日の私の慰めになりました。
しかし・・、
著者のお兄さまのことが赤裸々に綴られているのです。
これが世に出されるって、お兄さんのお子さんにとっては喜ばしいことではないかもしれないな?
とも思いました。

また、お兄さまを自殺で亡くした田口ランディさんの『コンセント』を思い出しました。
  *  *  *
 これを綴っている今。
すさまじい雨が降っております。
投稿し終えたら、
お風呂に入って、
布団に足を突っ込んで、
今晩は『サガレン』を読みましょう。

kyokoの偶偶石 10・・・・はやせ

 はなぱんださんのお誘いに乗った形で始めた『kyokoの偶偶石(たまたま石)』です。
 
現代アート 石「バナナもしくは」 Contemporary Art 偶偶絵石vol.4 - 滋味日日 ・・・いいこと ”お福わけ”


「知識という前提を鑑賞者に要求せず、鑑賞者個人のオリジナリティを引き出すことのみを目的」とした現代アートです。
「作者の作意の理解を求めない自然石に対峙することで鑑賞者自らが感じたもの」は、”鑑賞者オリジナルの感性” であり、その存在に気付き深めてもらう』現代アートです。


はなぱんださんが語る『偶偶石』の説明の一部です。

 オホーツクの浜で目に留まった石たちを、拾っては持ち帰ってしまう私。
それをどうするか?って・・瓶に入れたり、かごに入れたり、灰皿に並べてあったり・・。
乱れた部屋の中で、乱れ気味に置いてあります。

それらに光を当てようと始めたわけです。
現代アート』というほどには気負わず、気軽に・・・と。
自らの中より感性が湧いてくる域には達しておらず、「うーむ」と絞り出す感じです。

日曜日に一つずつ更新する計画です。(たまに見送ることも有り。)
では、本日の「偶偶石」であります!!

偶偶石・・・・10  
 『はやせ』

f:id:kyokoippoppo:20200614081926j:plain:w380:left
わたしは はやせ

スピードが好きなんだ

素早く身をかわす魚や

とどまることなく、動いてゆく水




f:id:kyokoippoppo:20200614082030j:plain:w380:left


でもわたしは石

自分の力では動けない

だから

増水を待ったんだ
激流に身を任せたんだ!

楽しかった

あれ?いつの間にか魚になったのかな

目が付いたよ

でも、もう動けない

浜にたどり着いたんだ