うれしい気持ち

 朝✨
 私が一番元気な時間です。
その朝時間のリズムが少々変わりました。
夫がアルバイトを始めたのです。遺跡の発掘作業。
朝6時半には出勤します。お弁当持って。
私はそれに合わせて起床時間を早めました。
4時には起床します。
夏至を過ぎたとはいえこちらの明けは早いし、今までだって大抵その頃には目を覚ましておりましたので苦にはなりません。

洗濯、お弁当作り、朝ごはん・・・とひと続きの流れを一直線に済ませ、夫を送り出してしまいますと、自分の出勤時間までは、
完全フリーの時間となります。

 朝の「なんちゃって瞑想タイム」をここから始めます。
今までは食卓で行っておりましたが、場所を変えソファに腰を下ろして行うようになりました。
瞑想のお供も変えておりますよ!!
『鏡の中の鏡』・アルヴォ・ペルト
タイトルが綺麗でしょう?
メロディーも美しいのです!
www.youtube.com


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さらに残る時間はブログに向かったり、庭に出たりと気ままなひとときとなります。
ああ、気持ち良し!!。




今朝は、今は盛りと咲いている「マトリカリア」とミントの葉などを摘み、トイレと流しの出窓に置きました。

こんなことで私は十分にうれしくなります。

そうそう、そういえば、「マトリカリア」という花の名前を突き止めるのには苦労したなあ!!

kyokoippoppo.hatenablog.com

遠足日和

 今日は遠足。
2年生の遠足に同行しました。隣の地区の図書館と公園まで(約4キロ)行きました。
行きはバスに乗り、帰りは歩き。
公共の乗り物に乗る機会が少ないここの子どもたち。
スクールバス以外のバスに乗るのは初めてという児童がたくさんおりました。

日差しに恵まれ、それでも風は涼しく爽やかで絶好の遠足日よりでした。
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 f:id:kyokoippoppo:20210709164714j:plain:w250:leftそれぞれの場所から戻った職員に、校長先生がアイスを差し入れて下さいました。
週末のイベントを無事終えて、ほっと緩んだ空気に包まれた職員室てした。




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こちらもみてほしいわ。
同僚の支援員さんの手作りゼリー。梅シロップで作ってあるのよ!!
こちらも放課後の職員室で、数日前にごちそうになりました。
どちらも思わず一口、口に入れてから、慌てて写真に収めました。
うれしいなうれしいな。
気持ち良い職場、温かい職場。

何だかこの頃うれしい気持ち。

しかしね、このようなささやかな日常を突然失った方たちもおられます。

ささやかな」と形容しましたが、穏やかに一日を終えるということは
とてつもなく、ありがたいことなのです。
ありがとう。
今日の一日。

質量として残る思い出・・・1

片付かぬ原因

 片付けられない大きな要因として指摘されることの一つに、
そもそも物が多い‼️
というものがあります。
すっきり暮らしたいなら、
必要のないものを見極め、
増やさない、
置かない、
捨てていく。

こんな流儀が浸透して久しいです。

私もこの流れに乗り、すっきりした環境の中で暮らしたいものだ!
と思う一人です。
が、なかなかそうはなりません。

色々とっておく私。
引っ張り出しては再び納めてしまう私。
紙切れ、布切れ、ビニール袋。
毛糸にレース、ビーズにボタン!

さらには、『思い出』
そう・・・思い出です。

質量のある思い出

 写真や、子どもたちが描いたもの、書いたものなどがそれです。
子どもたちを様子を録画したVHSのビデオもそれです。

我が子たちの写真はコツコツとチビチビと、10年以上もかけて整理しました。
残された量が適正かどうかはわかりませんが、私は満足しております。


以前の記事で『ポイ活お片付け』を進めることを宣言したわたくし!
kyokoippoppo.hatenablog.com
続けておりますよ。
部屋の景観は全く変わりませんが、今までで処分したものを、kyoko流で換算いたしますと200ポイント以上にもなっております。

さてさて、ブログの力を借りてお片付けを進めます。
思い出の品々をここにご披露し、引っ張っられる後ろ髪をばっさり切り捨てつつ、質量を減らしてゆくことにいたします。
ああ、前置きが長かったな!

私・娘・孫の作品展示



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これは私が幼い頃使っていたスケッチブック!
我が母が捨てられず、私の手に残され、今の今まで残っていたもの。
昭和のかほりがプンプンだわ!
開いてみましょう!!


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私が描いた女の子。
4~5才頃に描いたものでしょうか?
丹念に色を塗り、その世界を存分に楽しんでいます。



こちらが同じ年頃の娘のもの。
これは、スクラップ帳に貼って保存していたものです。
字を覚え始めた頃ですね。何やら書き連ねておりますが判読不能。(「みき」は私の字だと思います。)
私の絵には見当たらない、お洋服の装飾がここには施されていますわ!!

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そして孫。
鬼滅の刃』のキャラクター、『胡蝶さん』だそうですよ。











お次は動物編



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私のぞうさん直立しているのね。
まるでお地蔵さん!!
画用紙いっぱいに描かれています。
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娘によるタコ
耳が付いているのですよ。
「かわいすぎる」という私のコメントが・・。




そして孫が描いたZOO
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私が200って何だ?
と尋ねたら
「ズー!(ZOO)でしょや!」
と娘に呆れられました。


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アイパットでのお絵描きも、お手のものの孫。
時代はどんどん進んでいるね!

はいはい・・ということで・・・

「昭和のスケッチブック」と、娘のお絵描きを貼っていたスクラップ帳一冊を処分。

規定により、5ポイント×2点で10ポイントとなりますよ。

しかーし!
ここに紹介した娘の絵と、その他数点は現物として取ってあります。
そう、全てを捨てることはできませんでした。

おそらく、しばらく、こんな記事が続きます。
わが家のお片付けのためです!
お付き合いのほどよろしく!

割り込み雑記

 写真があるから書きますか?!!
というだけの記事です。
前回に続いての「割り込み記事」です。お付き合いのほどを・・。


新しい3粒・・

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では・・・1枚目の写真です。
おわかりか??
性懲りもない私なのです。

こちら・・結晶化し始めたばかりのミョウバンですの!!

昨日、溶液から取り除いた(育てることを放棄した)ミョウバンの結晶一つを、熱湯にて溶かしました。
一から育てるミョウバンがまた欲しくなったのです。
「赤ちゃん育てたい!!」っていう母親のような気分なのか??

溶けて透明になった溶液の温度は、火から下ろせば降下を始めます。
するとみるみる溶けきれなくなったミョウバンの粒が出現いたします。
温度降下の過程で出現するのです。
放っておけば、大きくなり、がさつな形に育ちます。
ですから出来たて粒をつまみ出して、常温の飽和溶液に移し替えました。
お兄さんがたのお部屋に同居させたのです。

こんなことしてどうしたいのかね??
私・・。

バーベキュー

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 昨日土曜日は、保育所の運動会でした。
保育所生活最後の運動会!
感染対策がとられ、同居家族のみの観覧しか許可されませんでした。
娘一人しか園庭に入ることができません。
歩道越しに見る手段もありだったのかもしれませんが、遠慮しました。
午後は我が家の庭でバーベキュー!!
焼肉屋さんから仕入れた「サガリ肉」(ハラミ)!!
炭火でジュウジュウ美味しかった!

さて・・こちらおわかりか??

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いたずら心で盛り付けしたのはkyokoです。
バーベキューの後、孫は近所のお友達と合流!
広場の公園へ遊びにゆきました。
滑り台があるだけの広場ですが、友達といっしょなら数倍楽しめます。
ばあさんはこれ幸い!と、
おうちに退散!!

しばらくすると、
「ばあさーん」
と呼び声が・・。
玄関に出ていきましたら、
木の実のようなものを差し出して
「これ?何だろう??Hちゃんかじってしまったのだけど、食べられるものなのかな?」
と尋ねられました。
見たことのない形状と色です。

広場で拾った、汚れたインスタントご飯の容器にそれらは、ころころと集められ、入っておりました。
いったいどこにあったの??
ということで、くたびれきったママ2人と、はしゃぎまわっている子ども3人と、ばあさん1人で公園へ!!

「生垣に使っているのはツツジばかりだよ。」
件の実のようなものをつけた植物も、まぎれもないツツジ!!

Hちゃんのママが、ツツジ」・「実」
と検索をかけます。
「いやあ・・・花の後にできているものではないからなあ・・」
と私。
ツツジ」・「こぶ」
と検索してみることを伝えます。

「あ!!」「これだ!!」


「もち病」という奇形の一種ということが分かりました。
「毒」という注意事項は記載されていませんでしたが、食べて良いものではありません。

もち」は、まさしく食べ物のを指していて
特にツツジの場合、焼いた餅のような形にふくらむので、この名前がついたそうです。
つまり美味しそう!!
ということ。
かじってみたくなる気持ちは理解でしますね!

それにしても・・・全く、大ふざけ、暴走気味のこどもたちでした。




アクティブだった一日の夕方は、勢いに乗って娘の住宅へ行き、ずっと気になっていた植木の植え替えを行いました。
写真は作業前のもの。

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充実した一日でございました!!!

さらば!!手塩にかけた君たちよ!!!!

 次に予定している記事があるのですがその前に・・
小さな記事を挟みましょう。

 6月の北海道といえば、降り注ぐように聞こえてくる春ゼミの鳴き声。
そして、かっこうののどかな鳴き声が印象的なのですが、
今年はとんと聞かないうちに7月がやってきました。

 今シーズン今までで、半袖で通勤したのは何回あったかしら??
そもそも寒がりの私のことですから、道民みなさんの標準にはなりませんが、5回もあったかな??
これまでに夏日もありましたが、たいていオホーツク海からひんやりした風が吹きつける、ひんやりした日が多かったです。


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それでも野の花、庭の花は次々に代変わり。

オダマキは種を結び、薔薇の原種といわれるロサ・グラウカが咲きました。
鉄線もみごとに絡まりながら、花を咲かせております。

f:id:kyokoippoppo:20210701181232j:plain:w500:left住宅周りの空き地では
コウリンタンポポが咲き乱れております。

写真に収めた花を見ていただいたところで、本日の話題に移りましょう。






容器の中で窮屈に・・・

 

 さて、昨年秋から溶液の中に浸して育てているミヨウバン結晶のその後です。

10個以上のミヨウバン結晶が、ずくずく大きくなってきましてそれに合わせ容器も大きくして浸しておりました。

が、そうなるとそれなりに溶液も必要になります。
飽和溶液は折々に作って継ぎ足ししていましたが、それを作るための粉末ストックの在庫が少なくなってきました。
不足気味の溶液だと、浸りきらず頭を出してしまう結晶が出てしまい、形の乱れにつながります。
また大きな容器の中でさえ、窮屈ぎゅうぎゅう!!


ミョウバンを買い足してこの作業を継続するか?
どうするか?
しばし迷った末に、この機会に思いきって結晶の選別を行うことを決めました。
いくつかを残してあとは煮溶かしてしまうことにします。
煮溶かしたものは、溶液として再利用いたしましょう。

さよなら君たち

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さよなら・・と書きましたがまだ煮溶かす作業はしておりません。
溶液から出され、瓶に入れられておりますよ。


残された精鋭たちはこちら・・。
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また一ヶ月後くらいに報告いたします。

   *  *  *

 本日は勤務する小学校の運動会でした。
感染対策のため、低中高の3分割で、3日間にわたって行われた運動会!
全校あげて行う華々しさはありませんでしたが、各学年工夫を凝らし、精一杯取り組みました。
本日は最終日、高学年5・6年生の運動会でした。


今日も涼しい風が吹き、爽やかな天候でしたよ。

ぼくはわるくないのにい~~

 以前の記事の中で、「次男についても話題にしてゆきましょう。」
と書いた私ですが、そのきっかけがなかなかつかめないでおりました。

長男ならば、彼の編曲アップに合わせて、という決められたタイミングがありました。
また、連載形式でしたので時系列に沿って書き進めればよく、内容の選択に迷うこともありませんでした。

次男のこと・・となるとどうするか??
私は未だに決めかねております。

 「次男のこと」のカテゴリでアップしたものは、これまでにも数記事あり、時系列はバラバラです。
次から次へと拠点を変え、仕事を変え、環境のアップダウンがあった彼の暮らしについてを、折々のタイミングで綴ってきたのです。
今後はどうするか???


そうね・・。
今まで同様時系列を整えず、思いついたときの”単発のばらばら記事”で綴ってゆくことにしました。
あっちこっちにピースをはめてゆくジグソーパズルのようにね!!
ある程度まとまったところで、全景を並べなおし眺めてみてはどうだろう!!
そのように決めました。

母親が息子を語る記事です。
どんなにしょうもない記事であっても、しょせん親バカをさらす内容となります。
お付き合いに耐え、読んで下さる方には感謝申し上げます。

病気ばっかり

 病気がちだった次男の幼少期についてを書こうと思います。
愛息智少年の闘病を見守ったお母様の手記『さとしわかるか』を読み、それに関する記事をアップしております。
kyokoippoppo.hatenablog.com

成長過程で盲ろうになった福島智氏のお母様の手記を読めば、
「ああ、それに比べて我が身のなんとありがたいことか??」
と思いますし、
「こんなことを苦労と思うなんて甘いわよ」
とも思います。
「レベルが違うだろ!!」
と・・・。
確かにそう思うのですが、
ですが・・
ですが・・・

我が身に起きたできごとは、人と比べて小さかろうと、浅かろうとその人のその時点での悩み事となります。
今から思えばその程度のことだったと思えるのですが、当時はやはり
「なんでなんで??」「またか!!」
と自分の抱えた心配事に心を奪われたものです。

そんなこんなを思いだし記事にすることに・・・。

ゆっちはわるくないのに~

これは、以前ちょいと話題にしたものと重なる内容です。
お付き合いの長い読者の方の記憶に残っていらっしゃるかもしれません。あしからず・・。

 こちら・・私が子育て期に描いた絵です。
母親に向けて、我が子のことを綴った手紙に添えたものです。
びんせんにささっと描いたもの。
母の死後、母が保存していた「私からの手紙」を引き取ってきました。
家へ持ち帰った私は、それをつらつらと読み直しました。
母親に伝えたい一心で書いたそれらを、懐かしい思いで読み直しながら、少しずつ処分しました。
しかし、どうしても捨てられなかったものは、子どもたちのアルバムの中に残したのです。
これは、その中の一枚です。
私のお腹の中には第3子が・・・。(このブログに度々登場する娘です。)
手を引かれているのは次男Y。
しょっちゅう風邪をひき、喘息の発作を起こし、中耳炎をぶり返した息子です。
これは耳鼻科にかかった時のもの。
私はその頃ペーパードライバー。
病院へ行くためにバスに乗り、大きなお腹で半日かけての通院でした。

Yはもうバスに乗る段階で泣き、バスの中でも一言も口をきかずしんみりと悲しそうでした。
病院までのみち、下をむいてついてくるYは不憫です。
そしてなかなかめんこいです。

 診察を受けると案の定・・「あらら・・・水がたまっている」と言われ、診察台に押さえつけられてしまうのです。
私は、大きなお腹であばれる息子を抱きかかえなければなりません。
(ある日は看護師さんが代わってくれました。
あまりの暴れように、「お母さん破水しちゃうわ!!」と・・・。)
Yの断末魔のような叫び声。
「ゆっちー!!ゆっちは悪くないのにいいいいいい!!!!!」
看護師さんが苦笑して返します。
「君は悪くなくても、耳が悪いんだよお!!」
帰り道は、Yは絶好調!!
バスの旅を楽しみますが、私は口もきけないほど疲れ果ててしまうのでした。

ついて・・ついてゆきたい!!!!!!

次男Yの持って生まれた性分についてはこちらに書きました。


kyokoippoppo.hatenablog.com
 持って生まれたYの性格に私が翻弄されたこと、病気がちだったことで「かわいそう」という思いがつのり、甘やかして育ててしまったこと・・その事実は否めません。

 


 そんな次男坊がお兄ちゃんになる日がやってきました。
長女出産の日の次男の様子を絵に描いて、アルバムに貼ってあります。
夜中に陣痛が始まり、急遽夫の実家に兄二人をおいて病院に向かうときの様子です。
こんな甘えん坊の泣き虫を預かることとなった義父と義母・・さぞかし大変なことだったでしょう。









H(長男)もどこかにいたんだろうけど、Hどころではない大騒ぎ!!
Hはがまんするしかない。

イラストの下にはこのようなコメントが・・。
無事長女が誕生し、病院にお見舞いに来てくれた兄たち。
きっと
「ママには会うだけだよ。」
「帰りはじいちゃんばあちゃんと帰ってくるからね!」
と言い聞かされて連れて来られたと思うのですが、帰りはやはり・・
大泣き!
「ママと一緒に!!!!!ママといっしょにいいいいい!!」
という壮絶な泣き声と共に、エレベータに乗り込み降りてゆきました。
フロア中に響き渡った泣き声だったと、病棟の助産師さんから笑われました。

その後も・・・

 これは、保育所の「虫取り」に参加したときのものです。
保育所なのに、こんな行事にも親の参加が募られました。
廃線後の「湧別駅」裏の草薮。(レールがちょろりと写っています。)
かなり前の写真ですし、うつむいているこの表情が私の気持ちを表しているからね、修正無しで公開です。

病気あがりで痩せてしまった次男。
「こわい」「こわい」(疲れたという意味)を連発し、とうとう抱っこ。
周りの元気に跳ね回る子どもたちの中にあって、早々に疲れてしまった次男です。
背中にはまだ一歳の娘がくくりつけられています。
保育士さんが撮ってくれた一枚でしょう。

一週間も保育所へ通うと、熱を出し、喘息の発作を起こし、病院に行けば、いとも簡単に
ひどい気管支炎だの、肺炎だのと言われて入院。
たいてい一週間も点滴つけて養生すれば治るのですが、おっぱい飲んでいる娘も連れて病院生活をしたものです。
長男は、義母がめんどうをみてくれました。



シーツの上のバナナの皮に頬がゆるむ。


あの頃・・・ワタワタと目の前のことに振り回されながら暮らしていました。

自転車4人乗りで保育所の送り迎えをしたなあ。
ハンドル前に取り付ける椅子に次男。
サドル後ろに長男。
娘を背中にくくりつけ・・。
私・・・タフでした。

ご覧あれ!!の日常記事!!

 せっかく撮った写真をアップしたいだけの日常記事です。

まずはこちら。


f:id:kyokoippoppo:20210623190406j:plain:w250:leftバターです。
今年の1月、私の誕生日に次男と長女からプレゼントされたのが
トースター&バター&メイプルシロップでした。
バターは業務用の大きい包装のものが数個!!
娘と分けました。
今々使わないものは小分けにして冷凍保存し、
それからというもの日々美味しくいただいておりました。
そのバターもとうとう最後の一片に・・。
「いよいよ買わなければならないなあ」
と思っていたところ、素晴らしいタイミングでバターが手に入ることになりました。


毎年この時期に、町(漁協)からホタテ貝のプレセントが各世帯にあるのですが、今年は何と!!!!
農協からバターもいただけるというのです。
回覧のお知らせによりそれが分かりましたので、買い足しを控えておりましたら、
ほうら!!
バターの残りはこんなに小さくなりました。


 昨日23日が配布日。
私は勤務がありますので夫が持ち帰りました。
そして娘と一緒に、貝から外し・・。
私が帰宅したときは、きれいに処理されておりましたよ。
ありがたや~!!!!
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娘は、賄い仕事で雇われているM牧場の分25枚、
プラス別宅で暮らすM家のじいちゃんの分の25枚、
自分の家の25枚、
プラス我が家の25枚・・・・計100枚のホタテをむいたとのこと。

すっかり湧別の暮らしに慣れた娘です。
育ったのはもちろんここですが、ホタテをむくやら魚を捌くやらの仕事を当時身につけたわけではありませんからね。
これらは、元の夫くんとの別居後の暮らしの中で身につけたものです。

●ホタテの刺身
●ホタテのひもの刺身
●ホタテの塩ふり焼き
●焼きアスパラ(これは農家からのいただきもの)
●白菜キャベツのみそ汁
娘が作った
●ゴーヤのサラダ
●鶏の唐揚げ



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ひもは塩で何回ももんで、ぬめりを取り、さっと湯がいていただきます。
コリコリしていて私は好き!!








ごちそうさまでした!!

次回は次男ネタで書こうと思っております。

さ・と・し・わ・か・る・か

点字

 前回の記事の続編となる今記事です。
借りてきた本を、我慢できずに読み出したところ二日で読み終わってしまいました。
同じ名字であるお母様も登場いたしますので、福島智さんを智氏。お母様を令子氏と記述いたします。
(このような記事を書くときの敬称・・難しい!)

『さとしわかるか』表紙の上部にはタイトルが点字で打たれております。

目も見えず、耳も聞こえない「盲ろう者」でありながら昨秋、東大教授となった福島智氏。9歳で失明してから、18歳で耳が聞こえなくなり、「指点字」という独自の会話法を編み出すまでの苦難の日々を、母親である令子さんが初めて綴った感動の子育て、闘病記。


目をつぶりそれをそっとなぞってみます。
まあ!!
さっぱりわかりません。
目の不自由な方はこれを瞬時に判別できるのか??
見える私は点を見て理解しようとしますが、見えない方は触った指の感触でこれを判別します。

智少年もすかさず声をあげました。
「そんなん無理や。こんな小さい点々が読めるわけないやろ。・・・・・・」

腹が立つのも無理はない。点字の一つずつは、カイコの卵ほどしかない。

一字ずつは、ほんのわずかに異なるだけである。

しかし、視力の回復が見込めないことが確実となり、盲学校へ編入することが決まった智少年は、点字を解読できるようにならなければなりません。

「これは何という字かなあ。おいおい八っつあんや。おまはんはどないに思うかな」。
落語の好きな智は、その世界の住人と会話をしているらしい。
「大家はん。わいにはどうも『そ』に見えますけどな」
「はいな。おまはんもそないに思いますか。」・・・・

引用は『さとしわかるか』より。

智少年が持つこのようなユーモア。
このユーモア精神は、その後の過酷な人生においても大きな助けとなりました。
点字を覚え、盲学校に通い、残された聴覚をフルに生かし楽しんだ福島氏でしたが・・・。
大事な聴覚が徐々におかされてゆきます。


どん底

 3歳で右目を失明。
眼球摘出。
9歳で左目を失明。
それだけでも過酷なことなのに、今度は耳が・・片耳ずつ聴こえなくなってゆく。
じわりじわりと、時間をかけて苦しみへと絶望へと追い詰められてゆく。
 
どんな治療をしても治らない。
何の薬を飲んでも好転しない。
それどころか、深刻な副作用に苦しめられる。
補聴器に頼れば、耳は更なるダメージを受け、残りわずかな聴力までが容赦なく削がれてゆきました。


 O病院O医師による、自然治癒力をあげるための療法に挑んだのも、”藁にもすがる”思いからでした。
「リンデロン」という副腎皮質ホルモンに対する強い疑念からでした。

●食事は一日一食。玄米菜食のみ。
●毎日運動。10キロのランニングか、もしくは縄跳び5000回。

過酷な療法です。
父親は反対しました。
家庭にも不協和音が生まれ、
母親は更に孤立。
孤立の中での迷い。

これでよいのか。もしかして手遅れになったのではないか。


智氏もその頃、存在そのものが飲み込まれてしまったような圧倒的な孤独の中にありました。

私はこの「世界」にありながら、実は別の世界で生きていた。私一人が空間のすべてを覆い尽くしてしまうような、暗くて狭い、静かな「世界」で生きていたのである。

『生きるって人とつながることだ!』より。


同じ空間に居ながら、息子のその孤独に手を差し伸べることができない家族。



手記は第八章、どん底へと続きます。

 いったいどうすればよいのか・・・・・・。夫婦も家庭も、もう終わりかもしれない。人生さえも・・・・。

毎夜しのび泣きする妻に夫が声をかけました。
「死にたければ、お前が一人で死ね。智を道連れにするな。」
と。

ここがこの一家のどん底でした。

夫の言葉を、当時は切なく悲しく受け取った令子氏でしたが、後から、これは夫からの精一杯の励ましであったと思うようになりました。



どん底が浮上の転機になる・・・このような事例は人々の体験の中でよく聞かれることです。

その頃病院帰りの親子は小柄な白いひげの爺さんに会います。
見ると「八卦」の看板がある。
その老人は福島氏の顔をしげしげ眺めると、次のように言いました。
「このお方は、今、人生の岐路にたっておる。しかし、ご先祖たちが大勢で見守っています。先祖の中には尊いお方のお姿も見受けられます。大変ですが頑張って下さい。」

指点字の誕生

 「指点字の誕生」という記念すべき日がいつのことだったのか?
令子氏は覚えていないといいます。
ある日突発的に思いつき試されたものだったのです。

令子氏が、あまりに偉そうな息子の物言いに苛立ち何か言い返してやりたい!!
ととっさに思ったときであったというのです。

しかし、言い返したところで息子には聴こえない。
台所には点字ライターも紙もない。
ふと思いつき令子氏は、智氏の両の手をとって引き寄せ、両手の人差し指、中指、薬指計6本を、点字タイプライターの配置に見立て打ってみました。
向かい合っているので逆に伝わるのですが、お母さんはその調整をする余裕はない。
「さ・と・し・わ・か・る・か」
生意気な息子に直ちに、ものを言い返そうとして行った意思疎通が指点字だったのです。

ここには、お母さんの生々しい感情がありました。
血が通った、なまものとしての言葉の伝達がここに成立したのです。



ヘレン・ケラーが手で水を受け「water」を知ったときに匹敵する重要な瞬間。
令子氏はこのように書いておられます。

しかし、智氏は初めは指点字をあまり歓迎していなかったようです。

後に東大の博士論文執筆のために、母親にインタビューした折、智氏は、
「まあ、気色悪かったんだよ。あんたは点字下手だし」
と当時のことを語ったそうです。

母の声

 母親に手を取られて、気色悪いなどと思ったらしき智氏ですが、
この瞬間について、彼は『生きるって人とつながることだ。』の中で次のように語っています。

「な、なんや、何しと・・・・・・?」。また文句を言いかけた私の言葉が、途中で止まった。
突然、母の「声」が私の心に伝わってきたのだ。
(さ と し わ か る か)
点字の組み合わせを利用して、指から指へ、直接伝えている。これはおもしろい!
「ああ、わかる、わかるで。妙なこと考えよったなあ」
口ではそう言いながら、私の内部で、何かの光が激しくスパークしたように感じた。「指点字」考案の瞬間だった。

 突然伝わってきた「母の声」・・「声」・・・それは智氏が失った「音声」として伝わってきたのでした。
指点字がなければ、今の智氏は存在しなかったでしょう。
お母様の発案された指点字は、音のない闇に暮らす息子を救ったのでした。

 どん底からの浮上が始まります。
しかし、V字のように一直線に・・
全ての悩みを払拭するように・・とはならなかったでしょうね。
その後もあがきあがきの日々を続けているうちに、少しずつ陽の当たる場所へ近づいていった。
そんな風だったのではないか?と思いますよ。
 
* * *
 
 智氏が大学院生になった年、お父様である正美氏が蜘蛛膜下出血で倒れ、一年八ヶ月の療養の後にこの世をさりました。
智氏には二人のお兄さんがいらっしゃいます。
母親は智少年の世話にかかりきりとなり、お二人の養育はもっぱらお父さんが引き受けました。
お仕事(中学校の教師)をしながらの養育。
さぞかし大変だったことでしょう。
また、幼いころからお母さんと引き離され、自由に触れ合うことが少なかったお兄さん二人もさぞかし淋しい思いを味わったことでしょう。
それを思うお母さん、令子氏の辛さも厳しいものだったことでしょう。

ご一家の皆さまおひとりおひとりに、尊敬の念を抱く私です。