松井氏が出会った天使と◯◯◯

 公衆電話からのワンコールで

ホームレス作家

 公団住宅を強制退去となり、路上生活を余儀なくされた松井計氏の体験か綴られています。 

 あてにしていた自著の刊行が見送りとなったことで、近々の収入は全くあてにできなくなり、
彼の路上での生活は、いやがおうでも長引きました。
呼応するように、彼の社会的な輪郭がぼやけてゆきます。
自分は夫か?
自分は父親か?
自分は今でも作家か?
作品を書くための、場所も紙も鉛筆も持たない自分は何者だ?
文無しの浮浪者となった松井氏。
 その彼が、本書を世に出すことで、作家として再出発できたのは、もちろん彼の不屈の精神あればこそでしたが、それを支え、力を添えた他者の存在も不可欠です。

 身を落とした松井氏に一貫して援助を差し出したのが作家仲間の「神山」でした。
彼とてギリギリの小遣いで暮らす身であることは、文面から伝わります。それでも彼は松井氏の公衆電話からのワンコールに必ず応じ、安い牛丼を奢り、少額ながらも手持ちの金を渡し、松井氏を助け続けたのです。
 食事や金銭の援助はありがたたく、これがなければ松井氏の路上生活は早々に立ち行かなくなったことでしょう。しかし「神山」が松井氏に差し出したものはこれだけに留まりません。以下をお読み下さい。

神山と逢って良かった、と私は思った。普通の人間として扱われることの、なんと心地いいことか。いつのまにか私は、社会ー私を取り巻く様々なものを恐れ始めていたのかもしれない。そして、浮浪者である自分を、自分自身が見下し始めていたのかもしれない。私は、より意識的に生きるべきだった。神山と過ごした牛めし屋での短い時間が、そう考えられる力を私に与えていた。

 新宿から都立大学前まで

 ある日、松井氏は知人より、サウナ風呂の無料招待券をもらいます。冷えきった厳しい日でした。
ありがたい、ありがたいプレゼントです。

風呂に入ってさっぱりし、暖かいところでゆっくり眠れると思うと、新宿から都立大学までの距離など、あってないようなものだった。

 松井氏は歩いてサウナにたどり着くのです。
彼は招待券を提示し、「使えますか?」と尋ねます。相手は「使えます」と応じます。
ほっとしたのもつかの間・・・・・
「今は深夜料金の時間帯なので、追加料金1000円がかかります」
「えっ?」
 あからさまに情けない声を挙げた松井氏に店員は、明日早朝でしたら、この券だけで入れます。
と教えてくれるのでした。

 それにしても、凍てつく夜空の下歩き通して来た松井氏にとって、さらに6時までの7時間はとてつもなく長く、温かいサウナへの期待があった分、
寒さはますます身に滲みました。

 彼は近くの交番で寒さを凌げる場所はないか?と尋ねます。人の良さそうな巡査は、遅くまで開いている店を教えようとします。
「いえ、違うのです。」
松井氏は事情を説明するのです。

 近辺の駅のシャッターが閉まらないことを教えてもらった松井氏は、やむなくそこへ向かいましたが、そこは吹きっさらし。
とても寒さを凌げる場所ではありませんでした。

 そこに現れたのが先程の巡査です。

「ああ、よかった。いらっしゃいましたか」

 この言葉に巡査の姿勢が現れています。
尊厳のある‘’一人の人‘’へ向けられた声なのです。
彼は洒落た包装紙に包まれたお菓子と使いかけのテレホンカードを手にしており、それを松井氏に差し出しました。
「大変ですな。でも頑張って下さいよ。ほら、あの人もー」

 巡査は、ここを塒とするホームレスの存在をを教えます。
もとは会社経営者だったというその人は、今は雑誌を拾い、廃棄される弁当を食べて命を繋いでいるのでした。

 この巡査とのしばしの交流、そして塒に戻ってきたホームレス「北村」の姿を目にしたことで松井氏の内面に変化が訪れます。

北村は段ボールの上に座り、弁当を開いた。ゆっくりとした上品な食べ方に、彼の路上以前の生活ぶりが窺えた。食事を終えた北村は座ったまま、辺りに捨ててあった週刊誌を手に取り、ページを繰り始めた。
 そんな北村の姿を見るともなしに眺めているうち、いわくがたい感情の高ぶりが、私の胸の一番奥のほうから、激しく迸り始めた。その感情の正体が何なのか、この時の私にはっきりとした答が見えているわけてはなかった。それでも、何かが、激しく私を揺り動かそうとしているのだった。それは唐突な行動として結実し、気軽付くと私は北村に歩み寄っていた。

 松井氏は手にしたサウナの招待券を丁重な態度で「北村」に渡すと
これは用無しだと、新宿区役所でもらったドカジャンを駅に放り投げてしまいます。
そして、今来た道を引き返していきました。
松井氏にとって、歩く行為イコール生きる行為だったからです。

 本書はここで、「暗転」の章から「光明」の章へと移ってゆきます。

 ドカジャンを脱ぎ捨てて駅構内を立ち去った松井氏は飯田橋へと向かいました。アンソロジーの注文を受けた出版社に向かい、恥も外聞もかなぐり捨て印税の前借りを頼みこんだのです。
「俺は死ぬわけにはいかない、何としても生きるのだ。」という声に従って動いた松井氏でした。
しかし、

担当の編集者は逢ってさえくれず、私は受付の内線電話を遣って彼と話をしただけだった。送受器ごしの呆れたような声で、彼は私の頼みごとを退けたのである。

 眠らず食わずの身体で歩き通し、疲労は極限に達していました。
しかし、死の恐怖は遠くにあり、悲観もせず、精神は研ぎ澄まされたように高揚していたという松井氏。
その時唐突に閃いたのが、この体験を書き残そうという思いだったのです。

 まさしく、これは喪失した「作家としての自分」を取り戻すための一歩であり、彼にようやく届こうとする光明でした。

 もちろんこの日を境に一気に問題が解決したわけではありません。

 しかし、季節が冬から春に向かうように、三寒四温の行きつ戻りつをしながら、彼を取り巻く景色が変わっていくのです。

天使がいれば、◯◯◯も・・・・・

 浮浪者松井氏を、常に変わらぬ姿勢で助けた友人神山氏。目の前にいるどのような状態の人にも尊重の態度で接する巡査。暗転した自分の人生を淡々といきる「北村」。
 彼らは‘’松井氏が出会った天使‘’たちといえましょう。
(続く「光明」の章にも、’’天使’’は現れますがここでは触れずにおきます。)

 天使がいればそれと対比する存在もいたわけで、
皮肉にも、それば「本間」という仮称で呼ばれるケースワーカーであり、品川区役所福祉課の職員「羽田」なのです。
 弱者に寄り添い助ける立場にある彼らは、それが日常の仕事てあるためか、彼らの人間性の問題か、想像力の欠如か定かではありませんが、尊厳とは程遠い対応で、松井氏に向かうのです。

 たがらといって彼らを天使に対する‘’悪魔‘’と呼ぶことはできないように思います。
 きっと、標準的な人の標準的な対応なのかもしれませんね。
自分に置き換えて考えた時、彼らを簡単に’’悪魔’’呼ばわりはできないなあと感じた私です。