サターン・リターンかも?③

サタリタコレクション

 始めに断っておきますね。
単なる趣味のストックブログです。

先日
『地域とともにある湧別高校魅力化講演会』
というイベントに参加してきました。
と言いましても、イベント参加のつもりはなく、
隠岐郡 海士町で統廃合の危機にあった高校の魅力化に携わり、2008年には28名しかいなかった入学者を、2012年には59名にまで増やした事業とはどんなものだったのか?
それを行った人、隠岐國学習センター長豊田庄吾氏の話とはどんなものか?
チョイと聞いてきましよう位の気分で、ふらあっと出掛けていったのです。


 そしたらそこは、予め申し込みをした(仕方なく動員に応じた方もいたにしても)人が名札をもらい、指定のテーブルにつき、なにやらワークショップするらしき形式で、後方の席に座り気軽に聞いて帰ってくるという、私が想定した講演会とは違うものでした。
受付で、それを知り、びっくりの超超普段着姿の私。慌てて帰ろうとしたことろ、
「飛び入りでいいよ。」
KさんはY小学校だからHの席にどうぞ。」
と言われました。H席にはスーツ姿の各学校の校長先生方が。私が勤務するY小学校の校長も。💦💦

 それでもしっかりお話を聞き、ワークショップにも参加して、夕方疲労困憊で帰ってきた次第です。

 さて、ここでの内容はそのうち書くことがあるかもしれませんが、今日は別件です。

 この日の講師の豊田庄吾の検索によって知った情報についてです。
http://motokurashi.com/amacho-toyotashogo/20151115
 豊田氏は1973年生まれ。
新卒で、大手情報出版会社に就職。人事、営業、WEBプランニングの仕事に携わりました。
早朝から、深夜1時~3時くらいまで働くような生活ぶりだったそうです。
29歳のときこの会社を退職し、起業をすることに。ところが時を同じくして、父親の飲食店関連の事業が、うまくいかなくなったのです。
豊田氏は起業のための資金を父親に差し出しました。
その後豊田氏は貧乏を味わいます。
パン屋のレジ横にあるパンの耳で食いつないだというほどの苦境だったと語られています。
この生活に出口は無いと思い詰めつるも、転機はやってきました。
たまたま友人に誘ってもらい参加したクリスマスパーティーで、出会ったウイル・シード社(人材育成や、研修などを行う会社)の社長に声をかけてもらい入社することとなりました。

 入社後すぐに、子どもたち対象の授業を受け持つこととなります。今の仕事に繋がるものです。
 友達からのたまたまのお誘いが大きな分岐点になっていることが、印象的です。

 さらに、29歳が試練の始まりとなるタイミングになっていることに注目して、誠に勝手ながら、「サターン・リターンの出来事3」として、ストックさせていただきます。