長馬していた小学生

 校庭のない学校

 団地というのができて転校生が増えてきたのは、私が小学4年生のころ。
ある転校生は高架を走る新幹線を見て
「わあお!」
歓喜の声をあげました。

 団地は新しくおしゃれで、コンクリート製の頑丈な建物に住む友達は流行に乗っているように思えました。
うちみたいに押入れから布団を出して寝るのではなくベッドで寝るというのも、ステキに思えました。

 小学校では鉄筋校舎が増設されました。
新校舎のトイレは水洗でした。
木造校舎のトイレといったら、アンモニア臭が立ち込め、下を見ればよどんだ汚物が見え、落ちる恐怖がつきまとうようなトイレ、いや「お便所」でしたから、登場した水洗トイレに飛びっきりの新しさを感じました。

 旧来の木造校舎と、三階建ての鉄筋新校舎でも子どもたちを収容できず、プレハブ校舎が校庭に立ち並びました。
 野ざらしの渡り廊下が本校舎へと続いていたと記憶しています。そこを給食の食缶持って運んだような?いや屋根くらいついていたか?
       
 とにかく校庭は狭くなるし、さらには光化学スモックが発生したら外へ出てはいけないと言われ、外で思い切り遊べなくなったもこの頃・・・・「この頃」ってつまり、1968年頃です。

 3年生の時は男女入り交じり「長馬」をした記憶があるけれど、4年生になると確かにあまり外で遊んだ記憶がないなあ。それは取り巻く環境の影響ばかりでなかく、年齢に伴う変化だったかもしれません。
さすがに4年生で「長馬」はないものなあ。
 それにしてもみなさん、長馬・・・・ご存知ですか?

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 男女入り交じり互いの股ぐらに首を突っ込み、遠慮会釈なく飛んだなあ。
馬の子のズボンがずれてきてお尻の割れ目みえちゃったり、(男子だったけどね。)それでも、中断は許されずたたかったものだ。

 遠い昔の思い出に ついひたってしまいました。

 児童数の増加について語っていたのでした。
私が卒業した後もこんな状態が続き、我が小学校は数年後、‘’校庭のない学校‘’としてNHKの番組で取り上げられたのでした。
    *  *  *  *  *  *

疾走する世の中にあっての抵抗

  わが小学生時代・・・世の中は高度経済成長の波に乗っておりました。しかし、加速するその流れに抵抗する人たちもいたのです。
 千葉県三里塚では、1966年に、にわかに浮上した成田空港建設計画に対し、農民たちが反対の行動を起しました。
これには多くの子どもたちも行動を共にし話題になったようです。
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(写真は『子どもやがて悲しき50年より』)

子どもを含む農民が政府を相手取って闘うわけですから、そこには、やはり運動を引っ張る指導者が必要でした。革新政党がそれを担うことになり、政治的な闘争になってゆかざるを得ませんでした。指導者側からしても、闘う場や、旗印として三里塚を利用できるという相互関係が成り立ち、両者は抜き差しならない関係になっていったようです。さらに過激な党派も加わり死傷者をうむほどの闘争になっていったのです。

 現実的な生活を考えれば、条件付き賛成に転向したい住民も出始めるのは当然で、運動離脱に際しての怖れや仲間の本心がみえないことによる疑心暗鬼が農民たちを苦しめたことは、以前書いた三池炭鉱の闘争と同じ構図のように思えます。
kyokoippoppo.hatenablog.com


 さて、機動隊によってことごとく鎮圧された学生運動も、混沌としてゆきます。
kyokoippoppo.hatenablog.com
三里塚闘争へ加担したり、「安保反対」(10年という期限が迫った条約の延長阻止)の声を挙げながら街頭にくりだしておりました。彼らは、いつの間にか多くのセクトに分かれ、反目しあい、彼ら同士が戦い始めたのです。
違う色のヘルメットをかぶり、ゲバ棒を振り、火炎瓶を投げ、ただただ路上で暴れているようにしか見えない彼らの映像は連日テレビに映っておりました。


 ベトナム戦争から兵士を匿う動きもでてきました。戦場からの脱走した兵士を助け、受け入れる活動をする人たちが現れたのです。

 このように体制に抗う人たちの主義や方向性は一色ではありませんが、疾走する時代の中で様々な思いや、エネルギーが噴出した時代だったのだなあと思います。

 そのような世の中の流れに巻き込まれる年代でなかった私が、中学生になった頃には一転「三無主義」などという言葉があらわれ、無気力、無関心、無感動な若者気質について話題になったものでした。

 今回の記事は苦労しました。前半と後半がつながっていないように感じますがこのまま投稿。
・・・でタイトルも決めにくく、結局「長馬~」にしてしまいました。