『地方公立校でも「楽園」だった』

卵を立たせた上級生

 湧別図書館の司書さんが調達してくれたこの本。
2005年9月の発行で、著者は川村美紀さんという方です。

私は主婦である。どちらかというと、家事の苦手な、なまけものの主婦である。

このように書き出されています。
息子さんが一人おり、「教育」に大いに関心を寄せるお母さんです。
主婦と宣言してはしていますが、調査研究や執筆の作業を抱えており、なかなかお忙しそう。
また、勉強熱心な方で、息子さんが小学校にあがったのを機会に、再び大学に入学したのです。(1996年)
東京学芸大学の、大学院。
指導教官が面白いと評判で、開講時間が午前中なので息子さんの帰宅時間にもちょうど良いという理由で授業を選び、学び始めたのでした。
つまり、偶然の要素が強かったというわけです。
さて、授業が始まって数回目のこと、ぼんやりとしていた彼女の耳に思いがけないワードが飛び込んできました。

巨摩中学校」・・・・その言葉は、彼女の母校、「巨摩中学校」というものでした。
長浜功教授は、戦後のすぐれた教育実践として、山梨県の巨摩中学校の実践
さらには無着成恭の『山びこ学校』
ropeth0313.hatenablog.com

東井義雄『村を育てる学力』
をあげたのでした。
hiro12.cocolog-nifty.com

 川村さんは驚きました。

私がいた中学校はそんなにすごいところだったのか。楽しくて楽しくて仕方がなかった中学時代だったが、そんなに評価されるものだったのか。

 川村さんが、この学校に入学したのは1975年のことでした。その入学式でもう、彼女はこの学校の魅力に取りつかれてしまいます。
第一部の式典のあとの、上級生による卵を立てるデモンストレーションとヨガの逆立ちの披露がありました。新入生にはできない卵を立たせる技を、なぜ上級生たちはやってのけられるのか?
その種明かしが語られ、今度はその原理による人間の倒立。
「私たち人間もこの卵のように立つのです。」というメッセージで第二部が締めくくられました。

私は心底興奮した。雷に打たれたような感じだろうか。このことを通し、なぜだろうと考える楽しさ、真実を知ったときの感動、思考の枠を取り外すことのおもしろさに興奮し、これからの三年間に胸踊らせたのである。

 川村さんにとって中学校での生活は大変楽しいものだったのですが、彼女が、入学した1975年春には、この学校は変質を余儀なくされていたのでした。

 私は、75年4月、「巨摩中学校」に入学し、78年3月、「白根巨摩中学校」を卒業した。この校名の変化の意味するものは、はかりしれないほど大きく、そして重い。私の在籍していたこの3年間に、「巨摩中学校」の教育を担っていた教師たちは、望んでいないにも、かかわらず、分散して異動になり、その教育は姿を消した。

 こう書く川村さんですが、この学校を卒業後、大学院で教授の言葉に出会うまで、この歴史的事実をしっかり受けとめていたわけではなかったのです。
 大学院生になった彼女はこれをレポートのテーマにし、貴重な教育の事実を掘り起こしていくことになるのです。
そして、7年もかけて彼女が掘り起こした貴重な事実は、中央公論新社によって書籍化され、世に出たのでした。

何故消されたのか?

 ここに触れていくと、収拾がつかなくなりそうです。
はっきり言えることは、巨摩中学校の実践は100パーセント子どもたちのために行われたのに対し、これを良くない事例と断定し、つぶしていった行為は100パーセント大人の都合であったということです。 

 今日はここまで。伝え切れなかったことは次回で。

 はてなブログで、本書について触れたものがあったので、貼り付けておきますね。
かなり過去の記事で、ブロガーさんはもう店じまいしていらっしゃるようですが・・・・。
大変的確な意見だと感じました。

d.hatena.ne.jp