長浜功氏の理念を手がかりに④・・・・イクバルの闘い

このブログは先日投稿したものと関連しております。
 お時間が許しましたら、こちらと合わせてお読み下さい。
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びっくりした写真

 まず先に、この写真に出会いました。

  『未来って何ですか  ぼくがいちばん撮りたかったもの』 著郡山総一郎より

 まだおしめを当てていても不思議でないような幼児が働かされ、じゅうたんを織っているとは。
そして、『イクバルの闘い』という本につながりました。

イクバルの闘い

 これを書いたフランチェスコ・ダダモさんは、生前の「イクバル・マシー」を知りませんでしたが、目にした新聞記事から彼の生きざまを知ることとなりました。ダダモさんは、イクバルによってじゅうたん工場から救い出された少女を設定し、彼女を一人称としたこの物語を創作したのです。

 イクバル・マシーの、実際の経歴が、別の子どもむけの絵本『イクバル』~命をかけて闘った少年の夢~ の巻頭に書かれておりましたので、下記に抜粋します。


 イクバル・マシーは、1982年に、パキスタンのムリドゥケという小さな村の、貧しい家庭に生まれました。イクバルがまだ4歳だったとき、父親は、わずか12ドルの借金と引きかえに、じゅうたん工場の親方にイクバルをわたしてしまいました。イクバルは、じゅうたんを織る機械のまえにすわらされ(親方によく逆らったので、くさりでつながれることもめずらしくありませをんでした)、1日12時間以上、毎日働かされました。
 9歳のとき、イクバルは仲間をさそって、牢獄のような工場を抜け出し、「債務労働解放戦線」(BLLF)という、児童労働をなくすために活動している団体の集会に参加しました。そのときはじめて、自分が自由になる権利を持っていることを知りました。その後弁護士の助けをかりて、イクバルはじゅうたん工場で働かされてていたほかの子どもたちとともに自由の身となり、ようやく働かなくて済むようになりました。
 解放後は、以前の自分と同じような境遇にいる子どもたちを救いたいという思いから、弁護士を目指して、一生懸命に勉強をしました。また、BLLFの活動にも積極的に参加し、児童労働の現実を世界じゅうの人に知らせるとともに、「子どもたちの手には、仕事の道具ではなく、ペンやエンピツがにぎられなければならない」という言葉で、教育の大切さを訴えました。
(後略)

 フランチェスコ・ダダモ氏による『イクバルの闘い』では、唯一字を読むことができる少女としてマリアが登場し、主人公の「わたし」は彼女から字の読み方を教わります。
そしてある日・・・

 ある夜、わたしたちはついにイクバルが持ち帰ったチラシ(児童労働解放戦線のチラシ)を解読した。突然あの土の上に描かれたいびつな記号や、鳥の足あとにしか見えなかったものが、ちゃんと意味のある言葉になった。チラシの上にならんだ文字を読んでいくとーなにもしないのにーひとりでに言葉がつながって、なにを言っているのか、わかったのだ。
 信じられなかった!心臓があばれていたのを覚えている。これが、字が読めるってことなんだ!動かないものを見ていたはずなのに、それがとつぜん、人間のように生きて、話しかけてきたのだから。

(  )内はkyokoによる。

 この文章は印象的です。
文字とは、こういうものか!という認識を新たにします。私たちは文字という抽象から、真実を知り、他者の思いを知り、世界を広げ、ときに笑い、怒り、涙するのです。


 工場の子どもたちは、秘密裏に学び、絆を深め、知恵を出しとうとう、再びイクバルを工場から脱走させます。イクバルは児童労働解放戦線指導者との接触に成功。そして子どもたちはようやく解放されるのです。


さて、その後のイクバルについては再び、絵本の巻頭ページの引用に戻りましょう。

 1995年4月16日の日曜日、イクバルは久しぶりに故郷の村へ帰り、2人のいとこと自転車にのっていたところ、突然なにものかに銃で撃たれて即死しました。まだ12歳でした。イクバルを撃った犯人は、じゅうたん業界の利権を守るための組織「じゅうたんマフィア」の殺し屋だと考えられていますが、いまだに特定されていません。イクバルが殺されたというニュースは、またたくまに世界中に伝わり、悲しみがひろがりました。
 イクバルたちを殺した犯人たちは、その残虐な行為をきっかけに、労働による子どもの搾取という悲劇にますます世界の目が注がれるようになるとは、予想もしていなかったことでしょう。イクバルの思いは、たくさんの、人々に引きつがれ、児童労働をなくすために、いまなお大勢の人が闘っています。

 イクバルはこのようにして短い一生を終えました。しかし、彼がまいた種は大変貴重で、大きな実りをもたらせたことがわかります。
とはいえまたまだ、児童労働はなくなっておりません。マララさんが、自身が学び、女性達にも学びを!と主張したために銃撃されたのは、2012年のこと。
 ああ、今もこのような子どもたちがいるという事実を見ないようにして、関わろうともせずに過ごしている常日頃の自分に気づいてしまいました。

   *   *   *   *   *

学ぶ幸せを感じられない子どもたち

 このような現実にに比べ、今の時代の日本の子どもたちは、幸せの対象になるはずなのに、当の子供のたちは学ぶ幸せからほど遠いところにいるように感じます。
 腹が減っていなければ、食べ物が美味しくないように、飢餓感がなければ、学ぶ喜びが味わえないのでしようか?
そんなはずはないはずだ!と思いつつも、ではどこに?

 飢餓感のない子どもたちに食べさせる「ご馳走」~新しい発見に出会う喜びや驚き、ワクワク感を伴って受け取られる教育は存在するのでしようか?
「消された学校・・・・山梨県の巨摩中学校」はまさしくそういう存在だったのでしよう。
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以前紹介した斎藤喜博やこれから紹介していくつもりの林竹二の授業なとも、私のこの疑問に答えてくれるとのだと思います。