長浜功氏の理念を手がかりに⑤・・・この道のむこうに

このブログは先に投稿したものと関連しております。
お時間が許しましたら、こちらと合わせてお読み下さい。
kyokoippoppo.hatenablog.com
kyokoippoppo.hatenablog.com

パンチート

この道のむこうに (Y.A.Books)

この道のむこうに (Y.A.Books)

 今回ご紹介する本『この道のむこうに』の原題は、『The Circuit』~サーキット。
カーレースを想像するのですがさにあらず。
様々な農作物の収穫期に合わせて転々と移動を繰り返す貧しい季節労働者の生活を象徴した言葉、ミグラント・サーキットのことなのだそうです。
ミグラントは渡り鳥という意味)

 このような暮らしをしたパンチートの、少年期の物語です。
作者であるフランシスコ・ヒメネスの自伝的な作品だということです。

 パンチートの家族は、メキシコから不法移民としてアメリカにやってきました。
有刺鉄線をくぐり抜けて・・(・トランプ大統領はだから壁を!と考えるのでしょうね。)
過酷な労働に加え、不法滞在者をとりしまる、ラ・ミグラの存在にも怯えながらの暮らしでした。
収穫作業が落ち着いたときには、パンチートは学校に通うことができましたが、その期間は飛び飛びであったり、次の土地の、別の学校であったりするのです。
 そして、なにより大変だったのは、パンチートは英語がさっぱり分からなかったということです。

 スカラピーノ先生がみんなに向かって話し始めたけれど、ぼくにはひとこともわからなかった。先生がしゃべればしゃべるほど、不安になってきた。その日の授業が全部終わったときには、すっかり疲れてしまっていた。結局、スカラピーノ先生が話したことはなにひとつわからなかった。一生懸命聞けばちょっとずつでもわかるかもしれないと思ってためしたけれど、やっぱりわからなかった。その日は一日頭が痛くて、夜よこになってからも、頭の中で先生の声がひびいていた。

パンチート少年の初めての学校体験はこのようなものでした。

青いノート

 パンチートはサンタマリアのごみ捨て場で一冊のノートを見つけます。
‘’まるで新品みたいなノート‘’

ぼくはマーティン先生の英語の授業でおくれていた。先生は毎日黒板にちがう単語をひとつ書いて、クラスのみんなに、できるだけはやく辞書を引いて意味を調べるようにいった。いちばん先に調べた子が点数をもらって、週の終わりにはいちばん得点の高かった子が金色の星をもらえる。ぼくは星どころか、点数をもらったことも一度もなかった。辞書を引くのには時間がかかったし、ほとんどの単語の意味はわからなかった。
 それで、ぼくは単語をみんながいっている意味といっしよにノートに書きとめることにした。そして、それをおぼえた。その年はずっとそれを続けた。マーティン先生の授業が終わったあとも、新しい単語とその意味をノートに書きとめつづけた。学校で習うほかのことや、自分がおぼえておきたいこともノートに書くようにした。単語のつづりや、算数の計算のしかた、英語の文法なんかだ。仕事にでるときもそのノートを胸のポケットにいれていって、書きとめたいろいろなことをおぼえるようにした。そうやってそのノートをもって歩いた。

 このあたりは、フランシスコ・ヒメネス氏の実体験そのものだと感じます。
このノートはパンチートの大切なもちものだったことが伺えます。
そう、まさしくこの文章は、「もつことときざむこと」の章に記されています。
私は、この章で描かれていることを「もつことと失うこと」というイメージで捉えましたが、そうではなく「きざむこと」であること。
ああそうか。この視点が大切だったのだと改めて感じたのです。

友達 コイン 家 ノート

 新しい土地へ向かう車の中でパンチートは数少ないコインを握り、別れた友に思いを馳せます。互いにコインに興味を持ち仲良くなった友でしたが、そんな友ともいずれ別れなければならない運命なのでした。
しかし新しい土地では労働者用に、古く傷んでいるものの、「家」が用意されていました。
「ぼくらが家に住むなんて!」
大喜びの一家。
 
 ある日パンチートのわずかな宝物であったペニー硬貨が無くなってしまいます。妹が持ち出してガムマシンで使ってしまったのです。
あまりのことに、動転し顔を真っ赤にし、外に飛び出したバンチートでした。
母親が、そばに添いお金より大切な家族の存在について語ります。
怒りは簡単には消えませんでしたが、母親の言葉を受け取り落ち着いたパンチートでした。

 ある日、買ってきた石油をコンロに入れようとしたときです。
なんだかガソリンのような匂いがしたのです。しかし、父親は「安い石油なんだろう?」と言って作業を続けました。
自分の思い込みに、安易にな納得をし、コンロにそれをつぎ足したのでした。
母親が豆を煮ようとマッチをすった瞬間コンロは大きな火をふきあげました。
家族はみんな外に逃げたものの、あの大事なノートは家の中。
慌てて戻ろうとするバンチート。
父親が立ちはだかりました。
家は焼け落ちてしまいました。


「みんな、無事で助かったのよ。神様に感謝しなくちゃ」母はぼくの顔をしっかり見つめてそう言うのてした。

「わかってるよ。でもぼくのノートは焼けてなくなっちゃったんだ。ぼくのコインみたいに」
長い間をおいて母さんはいった。
「あなたはあのノートに何が書いてあったか知ってるの?」
「うん」母さんがなにをきこうとしているのか不思議に思いながら答えた。
「そうなの。もし、あなたがあのノートに書いてあることを知っているのなら、あなたはなにもなくしていないじゃない」
 母さんのことばはちゃんときこえた。でも、なにをいいたかったのかがわかったのは、二、三日がたってからだった。

母さんは正しかった。ぼくはなにもなくしていなかった。

パンチートは、ノートに書いたすべてが、心にきざまれていることを知ったのでした。


 学んだことは財産になるのです。
この財産は誰にも盗られる心配のないもの。
自分とともにあり、自分を助けてくれるもの。
この物語の最後はショッキングな出来事てしめくくられています。
 でも、訳者のあとがきにより、著者ヒメネス、つまり成長したパンチートは、アメリカのコロンビア大学で博士号を取得し、作家として、教育者として活躍していることがわかるのです。
この道のむこうに/あの空の下で - ぱせりの本の森d.hatena.ne.jp