長浜氏の理念を手がかりに⑥・・・・乞食の子パート1

 このブログは先に投稿したものと関連しております。
お時間が許しましたらこちらと合わせてお読み下さい。
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盲目のとうちゃん、知恵遅れのかあちゃん

 この本は、まさしく‘’乞食の子‘’であった台湾人、頼東進(ライ・トンジン)氏による自分史です。

乞食の子

乞食の子

 もう驚くしかない生活の様子が綴られております。東進氏は1959年生まれ、場所こそ違え私と同じ時代を生きた方だと思うと驚きもひとしおです。

 彼の父親は22歳のときに眼病がもとで失明。すでに養ってくれる家族を持たなかった彼は月琴を携え物乞いの生活を始めました。母親はそんな父親に拾われ二人は夫婦になりました。食べ物も与えられず野ざらしにされていたという知的障害をもつその女性は、まだ13歳でした。彼女の身の上を不憫に思った父親がまさしく拾い、連れて歩いたのです。

 母親の障害は重度でした。彼女は自分の下の世話もできなければ、生理の手当てもできません。自分の産んだ子どもを保護することもできず、幼児の我が子と一緒になって、泣き、わめき、食べ物をむさぼるのです。東進と姉が、母親と幼い兄弟の汚れた下着を洗い、ご飯を食べさせる役を担うしかありませんでした。

 一家は生計を立てる手立てがなく、乞食稼業で糧を得ていました。家もなく、百姓公廟(パイシンコンミャオ)に眠る日々。この百姓公廟は無縁仏を祀る祠のようなものだそうです。
参る人もなく、あれ放題の廟は、蛇、クモ、ネズミ、ゴキブリ、とかげや、ムカデの巣になっており、後ろには骸骨が山積みされているのでした。死人は生きている人のように意地悪はしないと思いながらも、東進は悪夢に苦しみ霊の気配に怯えるのでした。

 叩く父

 東進は父親の目でした。3~4歳にはもう父の手を引いて物乞いに歩きました。
父が何かにつまずかないように、頭をぶつけないように身長差まで考慮して進まなければなりません。
 失敗すると容赦なく父の杖がふりおろされます。
とにかく、父親の折檻は常軌を逸しています。
東進が成長するほど、彼がかかえる家族に対する責任は増え、失敗に対する折檻も過酷になりました。
地面に釘を撒き散らしその上に正座させられたこともありました。
両方の親指をひもで縛り上げそのまま吊るされてしまったこともありました。
「痛いよ!痛いよ!指が取れてしまう!」
泣きわめく東進。
その時は恐怖と痛みに錯乱し、失禁し、失神寸前でようやくおろしてもらえました。
あまりに酷い仕打ちです。

 極めて苦しい生活なのに、次々と子どもを作り、食いぶちを増やし、その負担を幼い東進やその姉に当たり前のように押し付ける。
腹が立てば激しい折檻をする!
我が子を虐待するひとい父親なのです。しかし、東進が父を語る言葉は、このような見たままの図式にははまりません。

彼は目こそ見えなかったが、心は明らかに開いていた。体には障害があったが、心は病んでいなかったのだ、一生、月琴と胡弓を供ににして、半生を物乞いしてすごし、あたらこちらで世直しの歌を歌って歩いた。父の頭には漢方の知識が詰まっており、放浪した先で人のために漢方の治療をしてあげた。

 東進は父親に対し腹を立てたり、恨んだりしたことはあったものの、それは一時の感情で、根本では父を尊敬し、愛していました。

永遠に不動にしてそびえ立つ大山であり、最初から最後まで仰ぎ見る存在であった

というのです。
父親は乞食でありながらも、自分の生きる姿勢で東進を教育したのでしょうか?

この父の有り様をみると、彼にとっての家族は身の内なのだと感じます。
家族は彼の目であり、手足であり、彼にとって家族がそのまま自分であるのだなと感じました。家族ひとりひとりが他者であるという感覚が極めて薄いように感じました。
この父にとって家族を律することは自分を律することと同じだったのでしょう。家族は彼の指令のもとに動くしかなかったのです。

 東進にとって、この乞食の父親が‘’尊敬に価する大山‘’であると思えたのは、もの心ついた頃からのこのような構図の中で育ち、洗脳されたからと考えることもできるでしょう。
 しかしそうとばかりも言えない、東進が父親をこのように称する訳も、うなずけるのです。それらのエピソードも紹介したいところですが、ここでは興味を持たれた方はどうぞ本を手に取って下さいというにとどめておきましょう。
一つ言えることは、この父親は乞食という稼業を続けながらも、自尊感情を常にしっかり持っていたということです。
その姿勢が、東進には尊いものであり、東進自身の生きてゆく柱になったと考えられます。

 虐待ともいえる父ちゃんの有り様から、「教育」を抽出し、自分の生き方に反映させた東進さん。
すごい生きざまです。

盲目のとうちゃんは天秤棒で赤ん坊をふたり運んでいる。
私は左手で母の鎖を持ち、右手で弟の鎖を盛っている。
かあちゃんはやたらにおっぱいを露出させ、見物人に見せている。ねえさん、破れた布団を背負い、胸にむしろと月琴をゆわえつけ、ちっちゃな弟の手を引いている。
二人の裸ん坊の子どもが地面を這い、手につかんだものを片っ端から口に入れる。
同じように服をきてない大きな三人の子どもは、全身垢で真っ黒になっている。
へんなの、へんなの。ほら見てごらん。女がストリップやってるぞ・・・。

 このような、蔑みに晒された一家は、放浪生活にピリオドを打ちます。
東進が学校に入学することになったからです。
 頼東進氏は、その後乞食稼業から抜け出し、幸せな家庭を持つにいたるのですが、そこには学校教育が大きな役割を果たしました。
これは、次のブログでご紹介しましょう。

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