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夏休み終了

 猛暑、大雨、雷、ゲリラ豪雨・・・・極端な気象の影響を受けた今年の夏でしたね。(過去形で語ってしまいましたが、本州はまだ夏継続中のことでしよう。)
 こちらは、雨ふりの寒いお盆となりました。
紫陽花とコスモスが同時に咲く北海道。
ススキの穂も開き始め、短い夏が終わりました。(たぶん)
私の勤務も17日から始まっております。
夏休み開け初日は、寒さのあまりタイツ着用で出勤しましたよ。
 さて、このブログも、元の道に戻って戦後の教育史の続きを綴ってゆきましょう。

 参考にしているフォト・ルポルタージュ『子どもやがて悲しき50年』のちょうど真ん中あたりまでをブログで綴ってまいりました。


「消された学校『巨摩中学校』」の次のページを開きましょう。

するとこの写真です。

テーラー・システム」

 これば、関西電力の社員養成所での写真(1964年)です。ここにきて何故、学校教育ではなく、社員教育と思いますが、編者の村上義雄氏はこの社員教育のあり方が、その時代の向かうところを強く伝えていると感じたのでしょう。
この写真の説明です。

兵庫県尼崎にあった関西電力の社員養成所。中卒の新入社員に‘’精神と技術‘’の特訓を行なった。こうした学校は、当時全国に1万8000校あったといわれる。世界の学校カリキュラムは1910年代に工場生産の「テーラー・システム」をモデルとして作られたというが、日本の‘’企業戦士‘’を育てる教育は今でも脈々と続いている。

 文中の「テーラー・システム」をWikipediaで調べてみました。詳しい説明の極々要点のみをまとめました。


※ テーラー・システムは日本語では、「科学的管理法」と呼ばれます。
アメリカ人技師フレデリックテーラーが20世紀初頭に提唱し、その後発展してきた労働管理の方法です。

管理についての客観的な基準を設けることによって労使間の不信を取り除き、協調体制を構築し、相互の共存共栄を目指すことができると考えれたのです。
大まかなあり方としては、確かな計算によるノルマを設定し、成功に対して報酬を与え、不成功に対しては減収で応じるというものです。
これは産業の近代化の基礎となりました。

     *   *   *   *   *
 坊主頭を同じ角度で下げて並ぶ社員たちの写真は、そのまま「テーラー・システム」とはつながらないのかもしれません。
しかし、「管理」はテーラー・システムの提唱以降、企業の人材育成と直結するようになりました。
この写真はその流れの中で出現した一枚といえるのでしょう。

 テーラー・システムの提唱が1910年頃、
 この写真の撮影は、1964年、
 そして今は2018年
・・・・成果主義による報酬、ブラック企業社員教育、果ては過労死
労働のあり方はあまりにも昔のまま・・・そのように感じた私です。
(悪くなっていると感じる人も多くいらっしゃることでしよう。)

学校も同じ仕組み

 テーラー・システムをスクロールしていたら「テーラー・システムと授業」という、まさしくこのブログにフィットしそうなタイトルを見つけました。
佐藤学氏の名前にもビビッと惹かれました。
http://makoto.ti-da.net/e2904654.htmlmakoto.ti-da.net 
 
貼り付けた上で、一部引用します。

 近代的な労働管理の方法である「テーラー・システム」は直接的に学校の経営と授業展開に影響を及ぼしています。シカゴ大学でカリキュラム研究の科学化を推進したボビットは、テーラーの『科学的経営の原理』(1911年)をそっくり援用して、カリキュラムと授業と学びの過程を科学的に統制する方法を提唱しています。ボビットはテーラの「生産目標」を「教育目標」に置き換え、アセンプリ・ラインの最後の「品質管理」の「テスト」を教育過程最後の「テスト」に置き換えています。実際ボビットは学校は「工場」であり、校長は「工場長」であり、教師は「作業員」であり、子どもは「原料」であり、卒業生は「製品」であると言っています。学校を「大工場」と重ねる私たちのイメージは歴史的に根拠のあるものなのです。

 なるほど・・・ここにもつながりますね。
kyokoippoppo.hatenablog.com

 テーラー・システムは20世紀の世界中の学校のすみずみまで浸透していると言います。
私たちはそれが浸透していると意識することもないほど、学校はこういうところで、授業とはこういうものと刷り込まれております。
それが脈々と継承されているということは、やはりそれが合理性、客観性に優れていて理にかなっているからなのだとは思います。
しかし、そのあり方は本当に「ひと」に「子どもたち」に貢献するものか?と問えば言葉に詰まるのではないでしょうか?
 教育のあり方を考えるときに、それと一体化した「テーラー・システム」を一旦はずしてみることは大変有意義だし、新しい展望をもたらすものだと思います。生易しいものではなく、自分の内なるものの改革なしには取り組めないものでありましょう。
日々教育現場に足を運ぶ私が語るなど、矛盾以外のなにものでもないのは承知です。
でもそれを試みようとする教育に惹かれる私なのです。
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 昨日は寒いはずでしたよ。タイツをはきたくもなりますよ。
8月17日道新夕刊の記事です。

北海道中央に位置する大雪山系黒岳初冠雪の記事でした。
今日はほんのり暖かくなりました。