カラスの軍団

ああ!似てる

  前回は際立った管理教育を行った愛知県の東郷高校と日生学園について書きました。
kyokoippoppo.hatenablog.com

「形から入る教育」であり、強圧的な指導で生徒をコントロールし、反逆を許さず徹底した従順を植え付けるものでした。

「そういう学校がありましたとさ。」
というように、あくまでよそ事として綴り始たわけですが、ん?・・・と自分の似たような体験に思いが向きました。
おやおや!
 極端ではないものの「従順」に向かわせる学校に身を置いた自分の10代最後の二年間があったではないかと。

ここでもいいか・・・・と進路を決めた

 私が進学したのは鎌倉市にある「京浜女子大学短期大学部」という学校でした。
短期大学部」までが校名です!と言われたように記憶しているので、律儀にその通りに報告いたします。
(現在鎌倉女子大学と校名が変わっています。)

 短大でなければ通わせられない、資格がとれ就職に結びつく学校でなければ通わせられない、という母親の言葉に忠実に従って、ここを選んだのです。ここは就職率は100パーセントを謳っておりました。

 そのような外側の理由に押されるようにして、すごく行きたい学校というわけでもなく、教師という職業もすごくやりたいわけでもないまま進学先を選んだのでした。

 制服があることも、校門で一礼する作法があることも知っておりました。
大学生活を謳歌し楽しむという発想がそもそもなかった私はこの学校で免許が取れれば良いや・・・・と思い決めたのです。

 高校の担任が推薦入学を薦めてくれましたのでそれをありがたく受けました。
 結果・・・・・落ちたのです。
何故なのかはわかりませんが、担任が私のことを
「お茶目な子」と称したのが、裏目に出たような気がしなくもない。
私自身は「お茶目」という評価・・大変満足だったのですがね。
学校は「お茶目な人」はお呼びでなかったのかもしれません。
結果を知り
「えー?!」と絶句した担任でしたが、
「受験で入ります。」と告げ、進学を果たしたのです。

 黒のタイトスカートに身を包み、私は「カラスの軍団」の一羽となりました。f:id:kyokoippoppo:20180826125654p:plain:w250:left
←(お絵描きむずかしいぞ!)

そう、最寄りの駅前で多数見かける制服女子たちはそう呼ばれていたのです。

 雑巾と辞書を持って学べ

 「雑巾と辞書を持って学べ」がスローガンの学校。
 週一の朝礼では国旗掲揚があり、「君が代」、校歌ともきっちり歌唱指導がありました。
欠席、遅刻には判を押した正式文書の提出が必要だったと記憶しています。座布団持参で登校し、座禅の体験もありました。
 修養の鐘が鳴り、その時は全ての行為を止め黙祷する。(これは、すっかり忘れていました。検索の結果こんなことがあったかもと思い出すも、まだ半分は忘却の中。)

 先生方は強圧的な人が多かったです。
集会へ行くのに、並べ!急げ!と怒鳴られ、何か自分が追われる家畜になったような気がしました。

 これから先生になろうとする人が、テストで不正行為などするものか?と思うのですが、たまに、そのようなことが発覚するわけです。
すると大きな模造紙に
「何学部何年のだれそれが、不正行為を犯したのでこの度のテストは全ての科目において0点となる」
と書かれ掲示されました。
それを見ると、何だか自分たちが厳しい監視の目に晒されていることを強く感じ、ゾワゾワと落ち着かない気分になったものです。
 
 短大生になって初めて、私は登校拒否の気分を味わいました。幸い仲の良い友達ができてこの気分は軽減してゆきましたが。

従順

 この学校は「従順」を教えて、県の教育委員会に差し出すのだな。組合運動に目が向かないような人を作ろうとしているのだな。
そうやって100パーセントの就職率をキープしているのだろうな。
そんなことを感じた2年間でした。


 かつての東郷高校や日生学園が生徒たちに徹底的に仕込んだ「従順」、
私が通った短大が、学生に仕込もうとした「従順」
ここにあるのは同じなのか違うのか?
違うとしたらそれは、その‘’程度‘’なのか?
‘‘程度’’でしかないのか?そうなると
存在するほとんどの学校はこの‘‘程度’’のグラデーションのどこかに存在するのではないでしょうか?
決して対極にあるものではないと思うのてす。

「学校」 「従順」で検索して見つけたものです。
学校の目的は従順に命令に従う人間を育てること - るいネット
 開いたページ「るいネット」は、膨大な投稿で成り立つ掲示板といってよいのでしようか・・・・ちょっと
不思議なページでした。

 いくつかのジャンルの中に「子育て、能力形成」があり、その中の一つです。今の教育の根本に対する批判が述べられています。 


 私が遠慮がちに、遠回しに綴ってきこと、これから綴ってゆくであろう言葉が、ばーん!とストレートに述べられております。おおいに援軍になりそうなのですが、うかつに近づいて良いものか?と躊躇する気持ちになるのは何故なのか?

 迷いのない強い論調そのものに対する警戒感なのでしょうか?
体験から述べられておらず、思想がまずありき、というムードが警戒心を呼ぶのでしょうか?
とはいえ、気になる「るいネット
気持ちは未整理なまま、るいネットからもう ひとつ貼ってみました。
学校教育とは、支配者に都合のよい人物を選び出すシステム - るいネット

最後に引用の文字・・・これらの記事も何かからの引用なのかな?

 短大で得た最良のもの・・・・それは林竹二を知ったことです。図書室でこの写真集と出会ったのです。

授業の中の子どもたち (1976年)

授業の中の子どもたち (1976年)

学ぶこと変わること―写真集・教育の再生をもとめて (1978年)

学ぶこと変わること―写真集・教育の再生をもとめて (1978年)