停電という非日常 ②


 見開き全面の記事が届きました。(北海道新聞

キアゲハ前蛹

 職場である小学校は、朝6時に停電が解消されていたら通常通り、引き続き停電だったら休校・・・
この連絡は前日受けていました。
同僚の支援員さんが直接我が家を訪ねて口頭にて伝えてくれました。

 通勤の先生には届かぬ連絡でした。
朝、6時・・・・・電気はまだ。
今日もお休みです。しかし金曜日。
土日がやってきます。
キアゲハのえさを補給しなければ。
我が家に引き取っても良いのですが、道路沿いに生えているシシウドの大きな葉を補給すれば大丈夫だろうと思い、シシウドの葉をちぎりに行き、それを車に突っ込んでから学校へ顔を出しました。

 教室へ行くと、二匹とも丸くなり壁面に貼り付いて前蛹の形になっておりました。
持ってきたエサは不用ということです。
これから最後の脱皮をすると、鮮やかな縞模様が跡形もなく消えて黄緑色の蛹に変身するのです。
ああ!この過程を子どもたちに見せてやりたかったな。

電気はそこまで

 職員室に降りました。
通勤で来た先生によると、同じ町の隣の地区には電気が来ていたとのこと。
長い一本道なのですが、信号のついているところとついていないところと、まだらだったとのことでした。
近くまで電気は来ている・・・・となるとこちらもじきか?
そんな希望もわきながら、何故ここには来ない?
という取り残され感も強く感じるのでした。

 みんな一緒という協調の気持ちがすうっとなくなつて、近しいお仲間が優遇されていることへのやっかみのような気分を感じました。
確かに、隣の地区には病院が2つあるのですから優先される理由は理解できるのですよ。

来るのか?来ないのか?

 その日は臨時の校長会議があり、今後の対応が話し合われるとのこと。
決まったことをどう各家庭に連絡するか?・・・・・戸別訪問しかないだろうと。
(電気が来なかった場合)

となると今日こそ何かお手伝いがありそうです。(電気が来なかった場合)
そう。来るのか来ないのか?
これによって見通しも、動きも違ってくるのです。
一旦家に戻り3時頃また学校に行くことにしました。

 校長会議の結果
 月曜日は休み・・・・このように決まったのです。たとえ電気が来ても休み。
何故?と思いますが、停電が長引く予想が強かったのでしょう。
復旧のまばらな様子も懸念材料だったのでしよう。

 印刷は電気が復旧している隣の地区の小学校に頼み、出来上ったものを折って封筒に入れ、各地区を回り配りました。
私は車を出して、もう一人の先生と漁師のご家庭が集まる集落を回りました。


 任務終了。電気の通っている地区に実家がある先生は、
「ここにはおさらばだ」と言わんばかりにこの町から去って行きました。そりぁそうだ。

 夕方が迫ってきます。
曇り空で、暗くなるのも早そうです。
今夜は星も見えないでしょう。取り残され感がますます募ります。

第二夜

 夜ご飯はホッケの干物を焼きました。
凍れがいよいよ解けてきたホタテのヒモの刺身も出しました。刺身といってもホタテのヒモはさっと湯通ししてあるので大丈夫。
美味しい食卓でした。


 全く用をなさない四角い物体と化した携帯ですが、充電が減ってくるとなにやら心配になるものです。
電気さえつけばすぐさま充電できるし、電気がなければ役をなさないのですから実際0パーセントになっても問題はないのです。
でも、暗闇で早々に眠るしかないのなら、町の避難所での充電サービスを受けて来ようと思い立ったのです。

 避難所となっている保健センターに入って明るい灯りをみたらホッとしました。
避難所といっても実際に利用していたのは生活に不安のある三名ほど。
充電サービスも数名の方が利用していました。
普段行かない場所での異質な時間。
非日常感が募ります。
 外は真っ暗。
停電はまだ数日続くのだろうと思えます。そんな風にしか思えなくなっていました。
明日はお義母さん誘って、隣の地区にある「チューリップの湯」に入りにいこうかな。
そんな時やってきたのが、久々の顔を合わせる顔見知り。おしゃべりに花が咲きました。
そんなこんなの一時間がたち、真っ暗な道を自宅に戻ってきました。

 車から家の中まで、懐中電灯の灯りを頼りに歩き、懐中電灯かざしてトイレへ。
いつもの癖で、便座が開くのを一瞬待って「ああ」と気づく。
冷たい便座・・・・夏で良かったと改めて思いました。
畳んであった布団を伸ばし、足を伸ばす。

来た

 ほどなくブーンという音。
電気がきたのです。唐突に。
灯りもつきました。
喜ぶべきです。
バーベキューをしていた近所の子どもたちが歓声をあげました。街灯が点ったからです。

 でも、非日常の興奮に身をおいていた私はあれ、ちょっと待ってという気分でした。
あれ?終わるのか。あまりに唐突に戻ってきた日常。
充電しに行く必要はなかったのだな。
「チューリップの湯」行く理由もなくなっちゃったな。
学校むざむざ休みにしなくても良かったな・・・それもこれも、電気が来たから思うこと。
まあ、寝るか。


 トースターで、パンを、焼きました。
心おきなくネットものぞける。ブログ書くかなあと思ったのもつかの間、Wi-Fiがネットにつなからないのです。
光回線はまだ復旧せず。後遺症は残っていたのでした。
この日の午後になってようやくつながりました。


 結局丸2日には満たない停電でしたが、先々のことを心配したからか、長い時間だったように思います。
 被災地はまだまだこれからです。
来週には気温もぐっと下がる様子。

 少々二次災害に巻き込まれただけでたっぶり非日常を味わった私でした。

 甥っ子たち若い旅行者は明日本州に帰るそうです。たっぷりの日程で北海道を回る予定だったようですが、まだまだこれから先余震の影響を受けないとも限りません。残念だったけどまたチャンスはあるよ。
番狂わせの旅行でしたが、彼らにとっても印象に残る出来事となったことでしょう。

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 復旧はこれから進んでゆくのでしょうが、電気や水や、お金で生活が元通りになる方ばかりではないはずです。
 元に戻すことのできない深い痛手を負った方たちの直接的な力になることはできませんが、少しずつ回復し、前を向いてゆけますよう祈っております。

追記
 最後に残った後遺症が物流です。
このブログを綴った日曜日、スーパーにもコンビニにもまだ品物は入荷していないようです。
これは週明けからボチボチのようですね。