後ろに組まれた手
前回は静岡県のある小学校で写された写真を紹介しました。
校内を歩く際、手を後ろに組むことを強要され階段すらもそのようにして歩く子どもの姿でした。
つまずいても手も出せない、不安定極まりない姿勢。
1970年代から1990年半ばあたりまで続いた管理教育の一つの形を紹介したのです。
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現在私は、近所の小学校で支援員として働いています。
授業中の子どもたち・・・・消しゴムで一心に机をこすって練り消し作っていたり、ノートにいたずら書きしていたり、色とりどりのキャップを並べていたり、授業に集中するのが苦手な子どもは、苦痛な時間をやり過ごす方便として、その手を使って様々なことをしております。
私はそばに行ってはチョンチョンと背中をつついて注意したり、励ましたり、触っている物を預かったりするのです。
彼らの手が必要でないことのために動き出すからといって、その手を後ろ手に組ませることなど、今の学校現場ではあり得ません。
しかし、管理教育が蔓延した頃は子どもたちの動く手を封印しようとしたのでしょうね。
そんな時代の、そんな教室に、
林竹二は授業者として登場しました。
自然にほどけた手
1975年2月、永田小学校3年生の教室です。
当時の文部大臣「永井道雄」がこの授業を参観し、40人を越す報道関係者も教室にひしめき合っていたそうです。
演出家で、その後林氏と密な交流を持つことになる竹内敏晴氏が、初めて林竹二の授業実践に触れた日でもありました。
そのような状況の中、子どもたちはみごとに授業に集中してゆきました。
このクラスでは、最初のうち子どもたちは全員が手を後ろに組んでいた。ふだんからこういう姿勢で授業を受ける習慣になっているのだろう。しかし、授業が進むにつれて子どもたちは自然で楽な姿勢に変わり、深く授業に入り込んできた。
『授業の中の子どもたち』(日本放送出版協会)より
- 作者:林 竹二
- メディア: -
この文により、当時この小学校でも‘’後ろ手に組む姿勢‘’が子どもたちに強いられていたことがわかります。
たくさんのお客さんを迎え、大学の学長先生の授業とあって、子どもたちはお行儀良く授業をスタートさせたのでしょう。
しかし、学びが深まるにつれてその姿勢は自然とほどけてゆきます。
‘’楽で自然な姿勢‘’へと。
林竹二は『学ぶこと変わること』(日本放送出版協会)の中で
自分の身体をおきざりにして、こころだけが授業にふかくはいってゆくなどということはありえない。
と述べております。
手を後ろに組んだままの姿勢で、椅子の背に自分の背中を貼り付かせたままで、授業にのめり込むということなど不可能ということでしょう。
前のめりになって授業者の言葉を聞いたり、思いや考えを内に向けたり・・・・とまどい、行きつ戻りつ考える・・・・。
集中して取り組んだ授業の流れの中で見せた子どもの身体、手、表情は非常に良く動き、実に多彩な姿を繰り広げます。
写真をご覧下さい。
永田小学校3年生 「人間」の授業↑
永田小学校 6年生 「開国」の授業
沖縄
久茂地小学校 4年生「人間」の授業
この写真の男の子は、授業中特別に発言はしなかったのだが、身を乗りだし、くい入るように見つめる目が、彼の内部に生じているドラマをまざまざと伝えてくれる。
『授業の中の子どもたち』より
それを始めから封じ込める’’後ろ手に組ませる姿勢’’は、ものを考えることを禁じることにに通じていると考えて良いでしょう。
* * * * *
まだつづくよ
林竹二についていつか書きたい。
そこにたどり着くために、戦後の教育や子どもたちをめぐることがらについて綴ってきました。
いよいよ、林竹二が登場しました。
でもここはまだ通過点。
まだ、このテーマで書きつづけてゆくつもりです。