してやったことしてやれなかったこと

してもらったからできる

「今、お菓子作りが楽しいさ🎵K(娘の子)も好きだから、一緒に作るんだ。」
と娘。
三歳児と一緒に作るなんて、さそがし面倒だろうと思う私は
「よくKと一緒に作る気になるね。」
とつぶやきました。
「でもこれって、お母さんもしてくれたから私もできるんだと思うよ。」
すると娘は、そんなうれしいことを言ってくれたのでした。
 思い返せば、確かにいくらかお菓子も作ったけれど決して上手に作ったわけでもなく、クッキーなどは娘が小学生の頃、友達にあげるとか、ホワイトデーだからとか言うのを仕方なしに手助けしたくらいの記憶しかありません。
娘が三歳児とこしらえるおやつは、とても可愛らしく上手で感心します。


そう、言うとお菓子に限ったことではなくスライムも作ったし・・・けっこう色々してもらった・・・・
と言ってくれるのです。

未熟でした

 林竹二の言葉と自分の子育てについて書いていこうと思い、綴り始めている私です。
林竹二の揺るぎない理念と確信を再認識すればするほど、それに近づこうとした自分の未熟さがハッキリくっきりしてきます。
 その事こそを書くのだと一旦は奮起したけれど、それを語ることは、我が子どもたちのことも語ることになるわけで、どこまで、とのように書いてよいのか迷っております。

 子どもを育てるに際して、子どもの健やかな成長と幸せ、そして自立の成就を願わない親はいるでしょうか?
それなのに、実際の子育てはそう簡単にはいきません。
「育て方」について、良いの悪いの、成功だの失敗だのと話題になりますが、自分を振り返ってもマニュアル通りに子育ては進まなかったし、良さの中に悪さがひそんでいたり、その逆もあるし、甘やかすったって程度があるし、突き放すったってタイミングもあるし・・・・未だに何も結論めいたことは言えないのです。

そう。
私は子どもがやりたいっていえば大抵叶えてやる親でした。勿論やれる範囲でですが。
スライム作るにしろ・・・おやつ作るにしろ・・・スキー場への送り迎えも・・・・。
庭にパークゴルフ場もどきも作ったし、(安いプラコップを穴掘って埋めただけたけど)
ミニ四駆だかのレース場もどきも作ったし(牛乳パックつなげて作っだけだけと)
焼き芋もしたし、ミョウバンの結晶作りもした。
我が家は友達も集まってワイワイといつもにぎやかでした。
子どもが長期休みの研究や作品に取り組むときは、一緒に野原の花をさがし、雲を観察し、紙粘土工作も楽しみました。
漢字が苦手なら漢字カルタだ!と買い求め、遊んだりもしました。


 でも、子どもが心から欲しかっただろうもの・・・・・
お父さんとお母さんが平和で仲良しの家庭」を与えてやることはできませんでした。

 そうありたいという努力や、試み、あがきを存分に行いましたが、林竹二に憧れたものと同様、やみくもに‘’あるべきもの‘’を頭で追い求めたに過ぎず、それは夫をますます窮屈にしてしまいましたし、今思い返しても息苦しい日々だったと感じます。

 足元の基盤や安心をしっかり作ってやれないままに、子どもの成績や点数にこだわらないという私の心意気や、公教育を手放しで信用しなかった姿勢は子どもたちに透けていて、それは不健康でいびつなものだったのかもしれないと今になって思うのです。
私が欲しいものは?
 林竹二と竹内敏晴の対談のあとがきを読んでいて、はっとした部分がありました。

竹内氏が書いた部分です。

人が人間になるとはどういう価値を自分の中に受け取る、あるいは目覚めることかー人間が所有の確かさ、あるいは生活の安穏さというものではとどまらない、あるものを、めざす、それで人間になっていくという道筋を、あらためて林先生から受け取って、自分の中で、鍛えていきたいと思います。(原文の傍点部分をアンダーラインにして表示してあります)

所有の確かさや、生活の安穏さ

これは今の私が何より手に入れたいと願うものではありませんか!
私の本音は所詮そういうことなんたな。
竹内氏はそれを越えてさらに求めていく理念を語りましたが、そこにたどり着いていなければ、まずは金銭的な安心やそれに伴う生活の安定を求めるのはは仕方ないのかもしれません。

正直に明かせば、私たち夫婦は今は何とか暮らしているのです。

不安は子どもたちの現状にあります。

 長男は中卒で世の中に出ました。
20歳代でパニック障害を発症し、後にうつ病となり、ただ今治療途中。回復の道がもどかしいものであることをしみじみと味わっております。

 次男は高卒後、専門学校へあがりましたが中途退学。現在は川崎の叔父叔母の家で世話になりながら仕事ざんまい。借金を返済しつつ生活の立て直しを目指しております。

 長女も高校卒業後、学校へはあがらず、札幌で仕事につきましたが、長続きせず様々な仕事を転々。現在は結婚し一女をもうけましたが、その生活の行く手は雲の中。

 まずこうご報告してしまいましょう。
そして、子どもたちの卒業後から現在の間にある何とも様々なストーリーや彩り豊かな出来事については、いずれチロチロと何百個もののピースをはめて作るパズルのように語ってゆこうと考えております。

これからも続く道

 感傷的ながらも、上っ面なれども林竹二の理念に憧れた母親に育てられ、さらには家庭内のガタガタの影響を受けて育った、今は大人の我が子たち。
今後どうなってゆくのかなあ?

 そして私。結局私の母親が授けた学力や、教育のおかげで取得した免許を活用し、何のことはない、公立の小学校で支援員として働いている私自身も、どうなってゆきたいのか?

 かつて幼かった子どもたちにしてやったようなことは、もうてきないのです。
差し出せるものは、ほとんど無いのです。

 ですから、娘がおしゃべりの合間に伝えてくれた「してもらったから・・・・」という言葉はしみじみ私の胸に沁みたのです。