心とからだ

 まず始めにお断りしておきましょう。
これからしばらくは、ネット上で見つけた泉谷閑示氏のメッセージについて探っていこうと思います。
kyokoippoppo.hatenablog.com

まずはメッセージの大きな柱である身体と心はつながっているに関連して、
自分の体験と、ある本の紹介をしようと考えております。今回は、自分の体験の方を綴ります。

鳥山敏子

 林竹二を知り、魅せられ、講演を聞くために訪れた学校が明星学園でした。
(私の教員時代のこと、1978年から3年間)
この学校は民間教育運動のメッカともいわれ、公開研には多くの人が集まりました。

 そこで目にしたのが『ひと』という雑誌です。
この日を機会に購読を始めました。
わたしの教員生活はたった3年間でしたが、この本の購読は、結婚し北海道へ転居した後も続けました。
購読しはじめの頃の鳥山敏子さんは、まだ小学校で働いており、型破りな実践をしては発信しており「パワフルな方だな」と感じていました。
自分の3年間の教員生活を思えば、まるて雲の上の人・・・・そして、学校を去った私には関係のない人でした。

 しかし、鳥山さんは、日頃目にする子どもの現状に心を痛めるようになります。そしてその根本に家庭の問題があることを強く確信するのです。

どうして、親たちはこうなのだろう?
付き合うのも苦痛だと思うほど親の姿に幻滅するも、いや、ここに手をいれなければ子どもたちは救われないと思い始めるのです。
鳥山さんは、教師をやめます。
そして大人たちに向き合うようになってゆきました。
『ひと』誌の編集代表も務めるようになり、誌上でメッセージを発信するようになった鳥山さんは、私にとって雲の上の人ではなくなりました。
子育てに際して、夫と意見や感じ方が違い、悩んでいた私は、彼女の発信を拠り所とするようになったのです。

親の問題であるからには、次の段階として、その親が子どものときにどのように育てられていたのかをたどっていかなければならない。親が子ども時代の家庭を再現し、参加者が様々な役を演じるリアルフィクションドラマや、ロールプレイと私たちがいっているワークでそれをたどっていくと、さまざまなことがわかってくる。たとえば自分の親はほかの兄弟にはやさしかったが自分だけにはつらく当たっていた、親はいつもいらいらしていて、自分はその顔色をうかがって生きてきた・・・・・、というような、とっくに記憶のかなたにいってしまった子ども時代の自分を、からだがリアルに思い出してくる。

 (太字はkyokoによる)『賢治の学校』より

 
大人が負っている傷をきちんと手当てしなければ、それは子どもにむかってゆく。
幼い頃、確かに感じたのに無かったことにしようとしたり、忘れたつもりになっている自分の感情を再び取り戻し、自覚し、生きなおすための手当てをする。
これがワークショップの内容です。


私は、このままでは嫌だと強く思うようになります。
夫にこそ変わってもらいたいという本音は、消えませんでしたが、まずは自分が・・・という思いからワークショップへの参加を申し込んだのです。
親元へ帰省する機会を利用しました。

動きやすい服装で

動きやすい服装で集まったのは、体育館でした。
そこでまず行ったのが、身体を緩めるための様々な動きです。
力を抜いて床に寝そべり、ぺアの人に手を預ける、揺すってもらう。
足も揺すってもらう。
だらーんとする。ぐらぐら揺れてみる。そんなことをしたと記憶しています。

クラウン

 ひとしきりそんなことをしたあとに車座になって座ります。
そこへ登場したのがクラウンと呼ばれる道化師です。
スタッフの女の人が出てきて、ちょっと面白い動作をするのです。おどけた仕草をするのです。
自分の靴下くっさーい・・・みたいな。
高度なお笑いでなくてもよいのでしょう。
私たちは、まずはお愛想程度に笑います。
ふふふってなくらい。
隣もふふふっ、お向かいさんも、微笑んでる。
笑いのさざ波がおこります。
そうすると何故だか笑いか増幅されていくのです。
ふふふっふっふっ、はは!あはは!ひっひっ
というように。
なんだか知らんがおかしいぞ。
うわっははははは、はあはあははは
なんだかおもしろくてただただ笑えるのです。
息が切れてきます。
ひぃっふうふう
と息をついてるとなんだか、のどもとから嗚咽がもれてきたのです。あれ?ひいひい、ふっふっ泣けてくる。
今度は泣けてくるのです。
会場は笑い続けると泣く人が入り交じり、すごいことに。
人によっては笑いっぱなしの人、泣いてばかりの人と、それぞれ。
やあやあ、相乗効果とでもいうのか知りませんが、わたしはおおいに笑って泣きました。
それはしまっていたものを出しきるような爽快感でした。

そんな会場を想像すると、大変奇妙で気持ち悪く、洗脳集団かと思われそうですね。
それはわかりますよ。

 所構わず大声で笑ったり泣いたりする行為をするのは、赤ちゃんや幼児の他には見当たらないのですから。
普通大人は、そういう生々しい感情はしまって過ごしていますから。
それなのに、ワークの会場では集まった人が訳もわからず声をあげ泣き笑い。
ワークは特殊な場を生むのです。
それを安心して引き出すために、体育館を貸しきって、やや閉鎖的な空間を作り、世間との間についたてを立てる必要があるのでしょう。
そこが日常と隔てられ、普段の自分が踏み込まない場所だからこそ、隠れていた自分、暗がりで探してもらいたいと待っていた自分と出会うことが可能なのでしょう。

とはいえ、泣きわらいしていたときの私は
この間ことさらに何かを思い出すとか、こんな理由で悲しいとか嬉しいとか頭で考えることはありませんでした。
ただただ身体が笑いたがって泣きたがったという感じでした。
おそらく、ほかの参加者の方も同様かと思われます。

このようにつかえていた感情の発露を存分に味わうのが第一部なら、先に書いたような日常を越えた自分との対面は二部においてなされました。
次の段階でいよいよ個人的なワークに取りかかるのです。
このあたりに興味をお持ちの方もいらっしゃるとは思いますが、ここは省略。

今回私が伝えたかったのは泣いて笑った自分の体験です。
泣けと言われて泣けないけれど、笑えと言われて笑えないけど、身体の緊張をとって、力をぬいて、ゆるめたら、それを丁寧にやったら、ちょっとした刺激で泣けて笑えたという事実です。
そう、身体と心が密接に繋がってることを実感した体験でした。

その後

当然ながら、ワークに一回参加しただけで家庭内の問題が一掃されたわけではありません。
まあ、そこからワタワタガタガタと不協和音を発しながらの生活が続いたことはご報告しておきましょう。
鳥山ワークの体験を語った記事を見つけました。

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