小枝をまたいで・・・

戻るのではなく・・・ 

 今まで数回にわたり、泉谷閑示氏のメッセージを伝えてきました。
そのメッセージ全24話の最後では
再発の怖れのない治癒とはどういうことかが述べられています。diamond.jp

「うつが治るということは、元の状態に戻ることではなく、この病を通して新しい価値観や生き方にたどり着くことだ」
というのです。
そういう意味では、うつはその人にふりかかった災厄ではなく、新しい生き方に導く善き試練なのでしょう。
とはいえ、このポジティブなメッセージも頭でキャッチし、そうしなければならないと受け取ればこれは、頭の采配下に心が置かれ望ましい治癒からは遠ざかってしまうのですから難しいですね。f:id:kyokoippoppo:20181219064442j:plain:w250:left

本音のところでは、厄介払いしたいし、これさえなければと思うし、早く早く社会復帰を!!お金を!!と焦るのが当たり前の反応でしょうから・・
これを新しい価値観に変換するなど生易しいことではないでしょう。
だからこそ、そこを手助けしてくださる良き治療者、精神科医やカウンセラーが必要なのであって、そういう存在との出会いは非常に大切です。


貼った絵は『しんさいニート』カトー・コーキより


 このブログの1記事目・・・・
帚木蓬生氏の『ネガティブ・ケイパビリティー』を話題にしてから、約11ヶ月
kyokoippoppo.hatenablog.com

「答のでない事態に耐えた」時間を経て、見る景色は確かに変わってきております。
うつによる不調の揺れ幅が小さくなり、新しい仕事の道ができつつある長男
一時は自己破産まで考えていたものの、叔父叔母の助けを得て新しい仕事に着手し、その場が楽しいという次男
妻であり母てあるものの、妻であることの苦痛が強く、今後の自分の生きる場所、方法を探り始めている長女
いよいよ人生の幕を閉じる時期となり、その苦痛と戦っている義父

さて、私自身は?

自身の悩みの正体

 前回は、「悩みとは自分自身であり、人生の伴走者である」みたいな、ちょいと良い感じのことを発信しました。
kyokoippoppo.hatenablog.com

そして改めて自分の悩みとは?
と考えました。
子どもたちの現状は変わりつつあるとはいえ、どうあれ心配事の一つです。
でもこれは私自身の悩みなのだろうか?自分の課題につながるものなのだろうか?と考えました。
私は今何に対してジリジリと焦燥感を持っているのか?を正直に明かせば、

実は実は、お金なのです。

そう、お金の調達・・・・
そしてこの根っこにあるものが
このお金の心配を伴侶である夫には都度都度伝えていないことなのです。

夫婦で問題を共有できずにいる現実が、実は私の悩みの正体であるように思います。
そこから目をそむけようとするから、それにまつわるトラブルが子どもたちを通してやってくるのではないか。

そうとわかれば、私はそこに着手せねばなりません。しかし私はATMに行き・・・・・



ミニロト一枚買うのです。
夫に内緒の借金作るのかと思われたかしら?
そう、ミニロト一枚です。選ぶ番号は決まっています。
占星術における私のパーソナル惑星の度数である5個の数字を買い求めるのです。
ミニですから当たったとしても莫大な金額ではありませんが、ああしてこうして・・・
当たったらブログのネタにできるな。
目をひく記事になるな・・・。
でも読んだ人は別に面白くもなんでもないなあ・・いや私だったら「けっ!!」と言うだろうなあ・・あたりまで夢想するわけです。

不幸印のギフト

で・・・、もし当たったとしましょう。
「これで私が夫に言いにくい話をしなくて済んだわ。」
とまたまた自分の課題を回避したとしましょう。
そうしたら、やはりこの課題に向き合えと何らかの出来事が起きるのかもしれません。
となると、これは当選金額をもってしても解決できない何かになる・・・・かも?   オソロシヤ

自分の足元に目を向けず、空から降ってくる一粒の豆をつかもうと口開けて上をむいている自分の姿。
滑稽だなと思いつつもやはり先日買っちゃいました。

買っちゃいましたが、夫と話もしましたよ。
もちろんドラマのような展開にはなりません。言う方も聞く方も、ぶかっこうにたどたどしくですよ。
私たち・・・日常会話は少ないながらも普通にやりとりしているのです。(傍目にどう映るかはさておき)、でもあらためて何かを相談したり決めたりするとき、子どもへの対応を巡る話し合いをするときになんともガタピシするのです。
夫婦間で、そもそも何でこんなに話しにくいのか?聞き入れづらいのか?
ここにはまさしくそれぞれの課題が横たわっているのです。
今回は横たわるものの小枝を超えたに過ぎませんが、私は一歩進んだ気持ちになっております。

 現代人は、悩み・苦しみに出くわすと、これはどこか具合が悪いんじゃないかと思って、すぐどこかへ持ち込んでインスタントに解決を図ろうとする傾向があります。カウンセラーに持って行ったり、病院に持って行ったりして、苦痛だけを取り除いてもらおうとしてしまいがちです。
 しかし、こういう悩み・苦しみの中には、とても大事なメッセージが必ず入っています。それを、他人が、ただ表面的に解決法のみを提供してしまうと、本人がそれを受け損なうことになります。それどころか、同じメッセージを届けるために、何度でも同じような災難が本人に降りかかってくることになってしまいまうのです。いわば、宅配便の再配達のようなものです。

  『「普通がいい」という病』泉谷閑示 より

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)


泉谷氏はうつなどの精神疾患についてのとらえ方として、上記のように述べているわけですが、さまざまな人のさまざまな悩みについても同じことが言えるのでしょう。