『家族の言い訳』私の言い訳

 懺悔の弁が言い訳になりそうで・・・

 ワタクシ・・とりあえず一生懸命子どもを育てました。
遊んでもやりました。節目節目で考えて、迷いつつも対処し、道を共に開こうとはしてきました。

それが独りよがりだったと言われれば、
「はい、そうでしたね。」
と言うしかありません。
夫婦のトラブルを子どもにかぶせたねと責められれば
「そうです。その通りです。」
と言うしかありません。

現状のあかん所を指摘され、
あのときああだったから、こうなったと言われれば
それに反論する術を持ちません。
まざまざと出現した”あんばい悪いところ‘’は、私の取捨選択の間違いの結果であることは紛れもない事実なのです。

 そんなこんなで、トホホな気分でしたので、図書館でこのタイトルを見るや借りてしまいました。
『家族の言い訳』

 作者の森浩美氏が作詞家であることも、男性であることも知らずタイトルだけで手に取り、冬休み最後の日となった先日、(私の仕事は、小学校の長期休業中一旦雇用が切れるのです。)
午後いっぱいゴロゴロしながら読んでいたのです。
kyokoippoppo.hatenablog.com

そこここに

 作中の人物に、夫婦に、場面に・・・・・私は自分自身と我が家族にも出現する”暮らしの断片”を見いだしました。

荷物と、熱の出た幼い息子を抱えながらも、タクシーに乗るお金を節約しようとする和香子。

生活の不安にじりじりと追い詰められる彼女の心境。

罪を犯した娘でも心配で見捨てられない、と呟くうらぶれた宿の女将。

共に暮らす年月を経て、少しずつ冷めた空気が漂う夫婦の姿。

家族旅行帰り、アウトレットに寄りたいという妻の要求が、もうすでにキャパを越えていて「いいかげんにしろ!」という反応しかできなかった夫。

上手くいっていた事業があっという間に傾き、借金を抱えることになった男性の焦燥。

大事な物ほどしまいこみ、使えない母親。
その貧乏性が歯がゆい息子。
その息子は、お母さんに認めてもらいたく褒めてもらいたいのに表に出る態度はよそよそしく、イラついてしまう。
あの子は私がキライなのかなあ、と嫁に問う母。
 
子どもにフレンドリーに接することができなかった父親。
体験の無いことはできなかったと呟く姿。


「なんだ、みんな同じだわ。」
と思ったのです。
いや💦
そういう安心の仕方をするから私はあかんのかもしれません。
でも読みながら私は実際そう感じて安心したし、お話の中で出会った登場人物に連帯感を感じて、自分のいじけ気味の気持ちを立て直すことができました。

いじけなくてよいよ

 我が家の現状は、私や家族メンバーの取捨選択の結果であることは間違いありません。
世間的に見ておそまつな部分が多々あるのも事実。
でも、それは人生の彩りなのだと思えたのです。

人生やり直し機

ドラえもんのコミックに『人生やり直し機』という道具があります。
以前、中卒で世の中に出た長男に
「人生やり直し機があったら、やはり高校行かない道を選んだかい?」
と聞いたことがあります。
・・・・
・・・・
・・・・うーん。かなり考えて
「やはり行かなかったかもしれない。」
と答えた息子でした。
理解できない勉強のために椅子に座り、前を向く時間をこれ以上続けたくなかった息子。
しかし、その頃からピアノにのめり込み、その後作曲の技術を学びました。
結局勉強につぐ勉強の末に彼は今の地点にやってきたのです。

身に付いたのは作曲の技術。それとうつという病です。
身の丈に合わないものを目指した切迫感がパニック障害を引き寄せ、うつへと進行したことは確かです。
しかもその作曲の技術で食い扶持を稼いでいるわけでもありません。
それでも息子は、人生をやり直すにしてもその道を行くような気がすると言ったのでした。
この現実を自分のものとして受け入れているのでしょう。

 どうあれ良いことずくめで進んでゆくことのできない人生。
自分の取捨選択を間違えたなら、その事実をきちんと知り見つめれば良いだけて、そこに負の感情を乗せることはなるべくやめようと思いました。
(なるべくというのがミソです。そう・・・・なるべく)


もうひとつ。
出現した現状はそもそも悪いことだらけか?ということです。
「間違い」と呼ぶものは本当に「間違い」なのか?

みんな一生懸命生きている。
それで十分なのであり、尊いことであり、色々な出来事に右往左往すること、それこそが「生きる」ということなのなら思う存分右往左往すれば良いさと思ったのです。