義父の死をきっかけにして①

四十九日法要

f:id:kyokoippoppo:20190215190311j:plain:w320:right 先日、義父の四十九日法要がありました。
とりたてての信仰心もないままに、通例行う法要としてそれをやりおえたわけです。
仏教でいうところの四十九日法要の意味は、アバウトに認識しております。
 ~死後の魂は死後七日ごとに審判を受け、その行き先を決められてゆく、その最終段階が七回目の七日の節目の四十九日であって、我々遺族はその魂がより良き行き先を得るように、法要を執り行い祈る。
 またその儀式は、我々にとっては、死者の魂との別れを意味する。
それを受け入れ、この日を節目として気持ちを日常に戻し、前を向いて暮らしてゆく。~
いかがざんしょ。

温かい骨箱

 さて、午後にはお骨をお寺の納骨堂に納めに行きました。
暖房と日差しで暑いくらいの部屋からお骨を持ち出せば、外はマイナスの気温です。
車での移動の間に義母は、
「じいちゃんの骨箱温かいよ。」
と幾度も言っておりました。
気温差による現象だと思われますが、花いっぱいで暖かく、明るい座敷から持ち出され行くその先は、寒くほの暗いお寺のお堂です。
「寒がりだったじいちゃん、嫌だって言っているのかな?」
とばあちゃん。
「大丈夫。じいちゃんはもう寒いも暑いも無いところにいるよ。」

 寺の中は案の定寒くぶるぶる.....。
お骨を納め終えた生身の私たちは、慌ただしくそこを後にしたのです。

シュタイナーの本を広げては読んで・・・・

 その日の夜、私は自分が持つ「ルドルフ・シュタイナー」がらみの本を書棚から引き抜いては開き、‘’死後の世界‘’について述べられているページを探しました。
今回の記事に添えようと考えたのです。

 死後の世界について述べられた箇所は確かにみつかりました。
しかし、シュタイナーの思想(人智学といいます)
を断片的に抜き書きすることに意味があるのかな?
そんな風にも思ったのです。

天使の存在について、
霊の世界について・・・・、
宇宙と人との関係について・・・・、
自分自身は何も実感できないのに、「シュタイナーの本にはこう書いてありましたよ。」
ということだけを、系統立てずに思いついたときにだけチビチビ引用するのはどうなのだろう?

ウ~ム
しかしそう思った末に、結局書いておくことにしたのです。
何故って??・・・・これは、私の日記だからです。
公開しているということは、もちろん読者の存在を大いに意識してのことではあります。
(読んで下さる方はまだまだ少数ですが、それでもね。)
でも、私は私のためにこれを書いているということを忘れてはいけないと思いました。
シュタイナーの思想を断片的にでも、追ってゆきたいと私が思ったのならそうすれば良いのです。
何万もの断片を寄せ集めたところで、私はこの思想を理解することはできないでしょう。
でも、私は一つひとつ拾ってみたい。
自分に身近なところから、目にふれたことろから。
自分自身の理解にたどり着かなくても、今はただ自分の興味に従って。
カテゴリー「シュタイナーに関すること」の中身をぼつりぼつりと増やしてゆこうと思います。

死の扉

 死の扉を通過すると、感覚がすべて私たちから抜け落ちます。外界は私たちに、もはや何の印象も与えません。外界は、感覚をとおして私たちに印象を与えるからです。感覚は私たちの身体とともに脱落します。感覚知覚にのみ結びついた思考も、私たちの身体とともに抜け落ちます。そのような思考はエーテル体(生命体)のなかに存在するからです。死後数日間しか、エーテル体は私たちのもとにとどまりません。(中略)死後、私たちが見る「人生のパノラマ」の中にエーテル体は存在します。このパノラマを、死者は認識し、眺めることができます。このパノラマを、人は死後、見なくてはなりません。

「人生のパノラマ」を見せたエーテル体はその後全体の中に解消してゆきます。

私たちが人生のなかで有用性について考えたこと、感覚界について考えたこと、物質との結び付きにおいて考えたことは、私たちが死の扉を通過するとき、私たちから離れてゆきます。

死の扉の彼方の世界に持ってゆけるもの

理想的な思考、理想的な感受、純粋な人間愛、正しい意味での宗教的な敬虔さとして、私たちが起きているときに構築し、守護天使と結合したもののみを、私たちは死の扉の彼方の世界に持ってゆきます。

天使たち妖精たち―精神世界の霊的存在 (Steiner Books)

天使たち妖精たち―精神世界の霊的存在 (Steiner Books)

‘’死の扉の彼方にまで持って行けたもの‘’が、あの世で守護天使たちに渡す手土産になるようですね。
そしてそれらは私たちが生前構築しておくものだとのこと。理想的な生き方、考え方、感じ方であると・・・。
それを守護天使に引き渡せば、その分守護天使が死者への助けとして、力を与えてくれるようです。



エーテルという言葉が出てきました。
人間を構成する4つの部分(体)のうちの一つです。
この説明はネット上の情報に助けてもらいましょう。


人間は4つの部分から出来ている。

まず、 物質体(肉体) があり、物質的ー化学的な力と法則を内包する鉱物も物質体を持っている。 
人間の本性の第二の構成要素は エーテル体(生命体) である。生きているもの、即ち植物も動物もエーテル体を持っている。 
人間の第三の構成要素は アストラル体(感受体) である。
アストラル体は快と苦、喜びと苦痛の担い手である。感情、表象、思考の担い手である。動物もアストラル体を持っている。 
そして人間本性の最高の構成要素である 自我の担い手 、 自己意識の担い手 がある。この構成要素によって人間は地球創造の頂 点に立っている。 


物質体とアストラル体の中間にあるのがエーテル体と自我の担い手である。 
物質体は純粋に外的に知覚され、アストラル体は純粋に内的に知覚される。 
エーテル体は外から物質体とアストラル体の中間にある構成要素である。エーテル体は外から知覚されないが、外へと作用する。 
エーテル体は人生において物質体に向かって作用する。 
アストラル体が発展させる力や内的な体験はエーテル体に移行する。その後、物質体の中に入っていくことができるのである。