昨日今日と庭に出て、草取りをがんばりました。
本日16日には、台風の影響で夕方から雨になる模様。
そして、私の夏休みも今日を含めあと3日・・。
なにを優先って・・草取りだよな・・・と。
笹の墓標
切り抜き整理のために、それをブログにはるようになってから、社会的な内容を発信することがやや増えました。
政治的なことや、価値観が多様な信条に関わる内容の発信は、自分を守るためにも慎重に投稿したいと思っております。
ここ数日の私の記事など、そのような範疇に入るものでもないのですが、草取りをしながら私は、開花した秋明菊でも写真に収め、早いとこ「我が庭ブログ」に舞い戻ろうなどと考えておりました。
しかし、終戦記念日であった昨日は、当然のことながらテレビのニュース番組は、それに関わるものが多かったのです。
夕方6時、NHKのニュース放送でたまたま耳に入った情報に興味が湧き、メモを走らせました。
笹の墓
殿平
廃寺
・・・と。そのワードでネット検索し、探し当てたのがこちらです。大変長文です。
長文ではあるけれど是非読んでいただきたい!!
www.huffingtonpost.jp
朝日新聞記者として、北海道報道センターに勤務した経験のある関根和弘氏が、”忘れがたい取材のひとつとしてハフポスト上に発信したものです。
記事は昨年の8月15日のものです。
ハフポスト?はいかなるものか?というと
ハフポスト日本版は、政治やビジネス、社会情勢などを分かりやすく整理して提供。各分野の専門家や有識者と個人が意見をやり取りできる、ソーシャルニュースです。( ハフポスト、ハフポ)
とのこと。
以下は、はしょった要約です。
● 北海道は朱鞠内湖から西へ2キロほど離れた森の中に、今は廃寺となっている「光願寺」があった。
● 1976年、ここをドライブしていた別の寺の住職であった殿平善彦氏は、ある女性からダンボールに入ったたくさんの、古く赤茶けた位牌を見せられる。(死亡年月日はほとんど日中戦争が始まる2年前の1935年から、終戦の1945年まで)
● 殿平氏はこれらが誰のものなのか?調査を始める。
● 戦前から戦中時に、鉄道開設やダム建設に関わった日本人や、朝鮮半島からやってきた労働者たちのものであると知る。
● 当時の労働環境は劣悪で、タコ部屋労働と呼ばれるものだった。
● ここで多くのものが、身体をこわして亡くなった。
● 供養は、まだ廃寺になる前の「光願寺」が行い、位牌が残され、遺骨は共同墓地に埋葬された。
● 殿平氏はさらに調査を進め、遺族にこのことを伝えるべく活動を始める。また遺骨の発掘も始める。
● 集落の住人の減少に伴い檀家も減り、寺を維持できなくなる。光願寺は取り壊しの危機を迎える。
● 殿平氏は自分が管理の責任を負うことと引換えに、この寺を存続させることにする。
● この活動を知った森村誠一は推理小説『笹の墓標』を書き、世に伝えるとともに、印税の一部を活動費として寄付した。
- 作者: 森村誠一
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ここから先は関根氏の記事の一部を引用します。
国境や民族を超えて
殿平さんたちの活動は、展示館を拠点にさらに広がっていった。1997年8月。13年ぶりとなった遺骨の発掘は、日本人と韓国人、在日コリアンの若者たち約100人による共同作業として実現した。
「東アジアの近代史をともに考え、国境や民族を超えて若い世代のつながりをつくりたい」。そんな殿平さんの思いに、知人の韓国人研究者が共感、自身の学生らを引き連れてきたのだ。
このとき見つけた遺骨は4体。遺骨が見つかると、国際交流を楽しむかのような和気藹々とした雰囲気は一変した。夜、若者たちは展示館に集まり、歴史認識の問題や日本の植民地支配、その結果としての日韓関係、あるいは在日を取り巻く問題などについて本音で議論し合った。「日韓共同ワークショップ」と称したこの取り組みはその後、朝鮮籍の若者たちも多数参加するようになった。この取り組みは、「東アジア共同ワークショップ」へと名前を変え、今なお続いている。
昨日のNHKのニュースでは、光願寺の現状が伝えられました。
私はこのような活動そのものを知りませんでしたので、大変新鮮な思いでそのニュースに接し、とっさにメモを残したわけです。
寺は災害の影響を受け再び存続の危機を迎えておりました。
しかし、何としてもここを残したいという人々が集まり、修繕に取りかかかっているというニュースでした。
韓国からも駆けつけ、「今の日韓関係の現状という壁を越えてつながりたい。」
と語っておられました。
ここでの活動の意義は、発掘という活動に留まらず、日韓の若者たちが、自分たちが抱く違和感も含め互いに投げかけ合い、対話を進めてきたことです。
やりとりが進むうちに、それぞれの国の教育や、世間で交される話題によって刷り込まれているものが双方にあることを知り、自覚に至ります。
そこを通過するからこそ見てくるものがあり、そこから”わかりあい””共有できる”磁場が生まれてゆきました。
”笹の墓標”の活動を描いたドキュメンタリー映画もあったのですね。
予告編を貼りました。
www.youtube.com
アンビリバボー
前回の記事に、飛び入り追記として添えましたが、昨日は「生きて還った軍神」を扱ったテレビ放送もありました。
終戦記念日ですので驚くには価しないのかもしれませんが、その日の朝自分がアップした記事と連動したので、私はちょっと興奮しましたよ。
kyokoippoppo.hatenablog.com
普段めったにテレビを見ない私ですが、番組を興味深く味わいました。
* * * *
また本日図書館に行ったら、司書のTさんからうれしい話が・・・。
図書館所蔵の『生きて還った軍神』・・・古くなり、いたみも目立つので、閉架への移動(そうすると、そのうち古本市行きとなる可能性大)を考えていたそうです。
ところが、私のブログを読み、「ああ、多少汚れていても、このような本は残しておくべきだな」と感じ、今後も書棚に入れておくとのこと。
- 作者: 西島照男
- 出版社/メーカー: 道新
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- メディア: 単行本
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三日後には、勤務も再開。
このブログも、日常を綴るものに戻ることでしょう。(新聞の切り抜きは時々貼り付けますが)
でも年に一度くらいは、戦争について、平和について、私は何をどう感じるのかについて発信しようと思います。