『子どもの本のもつ力』を出発点にして③・・・ここでも立ち止まる

私が外側にいたら

 清水真砂子著『子どもの本がもつ力』を読んで感じたこと、関連して思ったことを綴る3回目です。

子どもの本のもつ力:世界と出会える60冊

子どもの本のもつ力:世界と出会える60冊

  • 作者:清水 真砂子
  • 発売日: 2019/06/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 「教育」に携わる人(センセイと呼ばれる人)は、実は「本」と相性が悪いのでは?
清水氏がこのように思っているように、私は感じております。
もちろん彼女が、そのような直截的なものいいをしているわけではありませんよ。

 でも、清水氏が述べる次のような言葉からは、
先生の手にかかれば、本の内容はことごとく「教材」になってしまう・・・そういう危惧感や、欠望感のようなものを感じておられることが伝わります。
「たのしい」だけで十分!・・・という章の中で見つけた文章です。

私たち大人は、特に教育現場にいる大人たちは、つい「ためになる」ものを求めてしまいがちです。

自戒を含めた書き出しではありますが・・・。

このような大人の求めに対して子どもはどうするか?

子どもは、もちろんみんながみんなそうではありませんが、大人たちが自分に何を期待しているかを敏感に感じとって、その期待に応えようとしてしまいます。

国語の時間に差し出される「物語」も、「教材」として渡されれば、子どもはそこから何かを学ばなければならなくなるのです。
初発の感想を書かされ、読後にも感想を書かされ、そこに「差」を見出すように促され、その「差」こそが学んだ証とされたりします。
ameblo.jp
初発の感想について書かれていたので貼りました。
それ以外の意図はありませんのでご理解ください。

それに「教育」の現場では、わからないところを残して先に進むことはまかりならぬこと、という思いこみがおそろしいほどに染み通っていて、先生は子どもたちを正答へ正答へと追いこんでいきます。
それは牧場で羊たちを囲いの中に追いこむ姿にも似て、ひとりあらぬことを考えて楽しんでいることは許されません。

 私が教育現場の外側にいるのだったら、清水氏が発するこの言葉はたいそう心地良く響くことでしょう。

これにたやすく同調し、快感すら感じることでしょう。

 しかし、ここでゆびを指れているのは、ほかならぬ「わたし」であることが切ない。
ひとりあらぬことを考えがちな子の支援をし、
「前を向く!」だの
「ほらほら、ノートに書くよ。」
「必要のないものはしまいなさい。」
などど言っているのは「わたし」ですからね。

「わからないこと」の価値

「わからないことそのままにしてはいけない」という思いこみが子どもを追いつめて、「国語」がきらいになっていく現実に心を痛め、清水真砂子氏は
『教室はわからなくてはいけないところ?』
というエッセーをも書いておられます。

(手持ちの『本の虫ではないけれど』に収められておりました。)


わからないことでつまずき、先の学習に支障が出るという事情も汲んだ上で、清水真砂子氏は次のように続けます。

けれど、世の中にはむしろ、わからないという事態そのものが、人が生きていくときのエネルギー源になってくれる場合が多々あります。

これは大事な指摘です。


極めつけは( )書きでくくられたこの部分。

かつて全国の小学校の先生方がいっせいに金子みゞの詩の言葉「みんなちがってみんないい」を唱えだしたとき、私は(これって、ブラック・ユーモア?)と苦笑したのですが(後略)

 私はこの苦笑の意味がとてもよくわかるのです。
よくわかりながら、立ち止まる。
すると自分自身がその苦笑の対象に当てはまっていることに気づくのでした。

たくさんの、素晴らしい本を紹介してもらえた喜びとともに、いくらかの複雑な思いも味わいながらこの本を読み終えました。

とはいえ、清水氏の指摘は、全ての先生がそうだと言っているわけではありませんし、個々の誰かを指しているわけでもないことは理解しております。
私自身も、本をこよなく愛し、楽しむためだけに本を読み聞かせていた先生を知っていますしね。

伊藤比呂美の言葉にも

 詩人である伊藤比呂美がご自身の子育て期に書いた『おなかほっぺおしり』という本があります。

彼女が絵本について書いた文章が印象的で忘れられません。

もっと腹が立つのは、「受験勉強」や「ピアノのおけいこ」と同じようなつもりで、コドモに絵本を読ませる母親たちです。絵本は教育になり下がっています。

教育になり下がっている
この言葉の強烈さ!!
私はこの本を、自分の子育て期に読みました。
そこで目にしたこの言葉を、いまだに忘れることができないのです。