イレギュラーな一週間

17日火曜日午前

 三連休が明け、火曜日はじまりの一週間。


f:id:kyokoippoppo:20190919183305j:plain:w330:left 職場である小学校の駐車場には、どんぐりがたくさん落ちています。
子どもたちがそれを弾にして、オニごっこに興じておりました。
毎朝のほほえましい光景です。

秋空のもとマラソン練習が始まりました。
昨年までは子どもたちと一緒にコースに出ましたが、今年は立ち番のみ。




スマホを持っていきました。
立った角から東側・・・小学校のうらへと戻る道。
デントコーンが実って、空に向けてその穂を立てております。

立った角から北側・・・電波のアンテナが見える角を折れて、この道を子どもたちは走ってきます。(歩いてくる子も・・)
ここで私がはっぱをかけます。
「学校が見えるよ。もう少しだよ~ガンバレガンバレ~。」

めったに車も通りません。爽やか!!

午後年休

 その日は午後から年休を取りました。
同じ班の長老格Yさんが亡くなったからです。
その日のお通夜でお手伝いが必要だったため年休を取り、地区センターへ出向いたのです。
北海道のお通夜葬儀の流儀は、本州のものと色々違うところがあります。
これはちょいと他所様の記事に助けてもらいましょう。
http://jimu.blog/archives/2641231.htmljimu.blog
(スマホだと、いくらかスクロールした後に記事があります。)

 こちらに嫁いできてびっくりしたのがこの「お通夜」「葬儀」でのお手伝いです。
同じ班で不幸があったり、職場にからんだ人のご家庭でご不幸があったりすると、通夜、葬儀のお手伝いに駆り出されたのです。
仏事(神事)に関することはもちろん、お寺や神社で進めてゆきますが、その他のことは、班の人たちの手によって進められました。
会場は、大抵地区の会館を利用し、男性陣は会場設営したり、香典を受け取り事務処理する仕事を行います。
つまり、葬儀の手伝いなので仕事を休むということは、当然のこととして認められています。
 女性陣は、買い物をし炊き出しの担当をしました。
ご遺族はじめ、集まった親戚の人たちのご飯を用意するのです。
主にその日の晩ご飯と、次の日の昼ご飯です。
スタッフとして働く男性陣や自分たちもそれをいただきますので、何十食も作りました。

葬式を出すという一大事を、助け合いの精神で、不安のないよう滞りのないように行おうという共有の意識によって、道民が作り上げた風習だと理解しました。

北海道新聞には道内で亡くなった方たちのお名前を知らせるお悔やみ欄があり、そこは日々の重要チェック項目となっております。

先に貼り付けた記事にも、次のような記述がありました。


独特の風習 根底にあるのは“助け合い精神”
最後に、香典の金額の多寡にかかわらず返しが一律(しかも1000円程度)という点について。
いわゆる香典返しはなく、かといって香典の額が全国的な平均より安い訳でもありません。つまり、参列者の負担という意味では、道外のそれと比べても大きいことは確かです。

それでもこういった形式が今でも続いている。その根底にあるのは、開拓民の末裔ならではの互助精神、助け合いの心なのかもしれません。
大切な人を亡くし、それでも悲しみに暮れる暇もなく、葬儀もろもろの忙しさに追われる遺族。そんな時には、自分の仕事もそこそこに手伝いに駆けつける。そしてせめて、金銭的な負担は少なく済ませてやりたい。
弔事というのは誰にも訪れるもので、お互い様のこと。ゆくゆくは自分に返ってくるものと思って、香典なり人手なりを出すんです。

 しかし、ここ近年、一連の儀式を執り行える民間の斎場をが近隣にもできまして、そこを利用して行う葬儀が増えてきました。
とはいえ、すべてを斎場スタッフに委ねず、近所の住民も顔を出し、仕事を分け合う流儀もまだまだ健在です。
先に行われた葬儀もそのようなものでした。
会場は地区会館。
祭壇以外の会場作り、事務全般は男衆。
お料理は仕出し弁当でしたが、お坊さんへのお茶だし、ご遺族ご親戚へのお弁当配膳やお味噌汁やお茶出しは女衆の仕事となりました。
お料理を作らないのですから、旧来のお手伝いの労力の十分の一といったところでしょう。

18日は一日年休

 葬儀に参列し、お昼ご飯を出し、後片付けと、会館お掃除・・そんな仕事でした。
びっちりヒマ無しに忙しいってわけではありませんので、お仕事半分おしゃべり半分といった具合。
そして帰りは、一家に一つならぬ、一人に一つのお礼の引き出物をいただいて戻ってまいりました。
ご飯もいただき、あまったお弁当も、ジュースやお茶もいただき、重宝するものがたくさんつまった(お米や、おかかや、昆布や、調味料たくさん・・・・)お土産までいただきました。
ありがとさんです。
でもね、話題になったのですが、我々が年を取ったときにはいよいよこのような葬儀はできなくなってなくなっているだろうねと・・・。
だっていっぺんに老齢化して、働き手はいないだろうからね。
葬儀のやり方はこれからどんどん変わってゆくでしょう。

19日木曜日

f:id:kyokoippoppo:20190919195708j:plain:w250:right出勤!!
寒い朝となりました。教室の南側の窓を開けると冷たい風がぴゅうぴゅう。
それもそのはず、
大雪山系の黒岳、旭岳で初雪が降ったとか!!

 この日は、教育実習のため学級に入っていたフレッシュなN先生の、公開授業がありました。
N先生・・・いやN君は、私が初めて支援員の仕事に着いたとき、小学3年生としてこの学校に在籍していた少年です。
あれがら11年---。
級友と、グランドで十勝石の奪いあいをしていた少年は、立派な頼もしい青年となっておりました。
楽しかった四週間も、明日で終了です。

明日は朝年休

娘が札幌へゆきます。
友人の結婚式に出席するためです。
”朝いち”で駅まで送ります。
その時間だけ年休をとりました。
そしてそして、置いていかれた孫は二晩ばあばと過ごすのです。
大丈夫か??
こっチャン

大丈夫か・?私!!
ブログかく余裕はナッシングです。
皆さん週明けまでさようなら~!!