職場・・・ノンストレスです

出勤ルンルン

 近所の小学校で働いております。

楽しく働いております。

 今は、


f:id:kyokoippoppo:20191024181300j:plain:w250:left秋も深まり、庭の紅葉が見事です。
玄関では大きなカボチャがお出迎え。

教室に入ると、南に向いた窓から黄色く色付いた白樺の葉が、朝日を浴びてキラキラしています。

さあ!一日が始まります。

ある記事をきっかけに

さて先日、はてなのブロガーさんであるuwisizenさんが書かれた以下の記事を読みました。
uwisizen.hateblo.jp
一部抜粋です。

ところが今は、
校長・副校長・教頭・総括教諭・教諭・臨時任用・非常勤 … と分かれています。
教師の世界も、「ピラミッド社会」になってしまいました。
「コーチョー・フクコーチョー・キョートー・ソーカツキョーユ」が
「企画会議」を構成し、そこですべてが決まるのです。

かつての「職員会議」では、「ヒラ」も自由に発言できました。
今は、「キカクカイギ」で決められたことを、聞くだけ。
ショクインカイギは、沈黙が支配する場となり、
「上意下達」の機関になってしまいました。

ソーカツキョーユたちは、「管理職予備軍」です。
コーチョーの「イエスマン」が多くなってしまいます。

これを読み、
「えーっ!このような職員室があるのかいな?」
と私は驚いたわけです。
しかし・・・
教員によるいじめ事件という、耳を疑うような出来事が起きたのはつい先日のこと。
仕事量が多い学校現場で、個々の先生がストレスフルであったり、また、「力量」が試される場において、それがそのまま優劣の烙印となり人間関係に及ぶ可能性も、まあ想像できるわけです。
そういえば、先生が鬱病になる事例も珍しいことではありません。

でも、少なくとも私の職場は違いますよ~。
と発信したくコメントを残しました。
そのコメントに応じるようにuwisizenさんが次の記事を書いておられて、嬉しく感じました。
その気分を引きずって、ちょっとひと記事書きたくなったのです。
ただし、私の仕事は支援員・・・教職員とは違う立場で働くものの視点であることを、お断りしておきましょう。

わが職場

 今学校は、学芸会の練習まっさかりです。
最後の日課の6時間目も、時間超過で劇の練習に取り組んでおりました。
放課後に食い込んでしまったのです。

放課後掃除をする時間が取れないかもしれません。

私は、体育館を後にしてざっと教室掃除をしてしまうことにしました。

机を順次移動してモップで床のホコリをかき集め。
バサバサ落としていたら
校長が入ってきました。
「まだ、やっているんだね。
どうしているかな?と思ってまずは教室をのそきに来たんだよ。」

「○○(私のこと)さん、掃除してくれていたんですね。」
と言われておもむろにほうきとちり取りを、手にとりました。

「や、や、や、校長先生!スーツでそんな!私やりますよ!」
とあわてて言いましたが、さっさとホコリを集めてゴミ箱に捨てて下さいました。

その後は私と一緒に机の整頓まで。
「後は黒板消せばいいの?」
とおっしゃるので、
「ああ、黒板とゴミ捨て位は子どもたちの仕事に残します。」
と言ってお断りしました。
校長先生・・・マラソン練習のときに、伴走してくださったり、人手が足りないときはスキー指導して下さったり、時にはつなぎ姿で外仕事。

身体を動かし働いて下さいます。

と共に・・・・長たるものの責任をしっかり負ってくださいます。
トラブルや苦情の心配が予想されるときには毅然と
「これに関しては一切の責任を私が負います。」
「これに関しての保護者説明は私が行います。」

と、職員に向けて伝えて下さるのです。

もちろん校長先生一人が職員室のムードを作れるわけではありません。
そこに呼応する先生方がいてこその職員室です。
また、何より大事なことは、先生方が仕事熱心であることです。


もちろん次から次へと、このような校長先生が赴任してくるとは限りませんが、
出来上がっている善き職員室のムードは、きっと引き継がれることでしょう。 

   *  *  *

学芸会・・・先生の出し物

 10余年前、私が初めて支援員という仕事に就いたときの校長先生もステキでした。
私はそのとき、ちょっと指導に手こずる、ある児童のそばに添ってもらいたいと頼まれました。

「わかりました。でも私は、その子を言うこと聞くようにさせたり、お勉強させたりまではできないと思います。」
私はそのように返事をしました。
安請け合いをして、周りに迷惑はかけられないし、自分も苦しみたくなかったのです。
前年、自分の身に余る仕事を抱えて非常に苦しんだときの傷跡も少なからず残っておりました。
(うーん、実はこの職場はキツかったです。私自身が招いたことではありますが。
・・・と共に、大事な経験でもありました。)
kyokoippoppo.hatenablog.com

すると当時の校長は「大丈夫」と答えました。
「それはボクにもできないことだから・・・・。
そばに添っていてくれるだけていいんだ。」

私はこの言葉にホッとして、この仕事を始めました。
上手くいかないこと、ままならないことの連続でしたが、それで気落ちすることがなかったのは
最初のこの校長先生の言葉があったからです。

この校長は、児童が通知表(あゆみ)をもらう学期末には全職員に、正方形の付箋紙に書いたコメントを下さいました。
そこには身に余るような言葉で、仕事に対する評価が書かれておりました。

当時学芸会では、職員の出し物を披露することになっていました。
校長先生は『ゲゲゲの鬼太郎』の目玉親爺役。
私が編み上げた帽子をかぶり出場。
鬼太郎役の先生におんぶして退場。
会場をおおいにわかせました。

 この出し物は今は無くなってしまいました。
先生方・・忙しいですからね。
いつか若い先生が
「これって意味あるのですかね?」
と声をあげたことがありました。
意味かあ???
でもね・・・、
私がこの学校のP会員の頃は、先生方によるこの出し物はとても楽しみでした。
子どもたちも もちろん!!。
ただ、楽しいというだけでなく、
「ああ、ここの学校の先生方は仲良しなんだなあ。」
ということが伝わり、ほのぼのとしたものです。
意味があるとしたら、そういうメッセージが届くということなのだと思うのです。
これも子どもに伝えることのできる、大事な教育だと思います。

残念なから
職員劇は無くなってしまいましたが、明るくストレスのない職員室は健在です。