「命」や「死」について②

45リットルのごみ袋

 町の有料ごみ袋の最大は45リットルです。
10枚入りで900円。
必要があって娘が買ったものの、必要な一枚以外は不用だとのこと。
普段は15リットルでこと足りてしまうというのです。
それは我が家も・・・。

「ばあさん。この45リットルごみ袋いっぱいに断捨離しない?」
娘が中の一枚を取り出してこのように言いました。
「ええ~⁉️」
「うーん」
やってみるか!
とりあえず一枚を持ち帰りました。
こたこたと取ってある布を突っ込めばあっという間。
しかし、踏ん切りがつきません。
そこで引っ張り出したのが、子どもが描いた絵をベタベタ貼ったスクラップブックやら、ノート類やら、あとは母に関する思い出の品。

それらに再び目を通し、少しずつその袋へいれるものを選別しようというわけです。
潔い捨て方ができない性分なのだから仕方ありません。
元の場所に戻されるものも多く、全くはかどりません。

母の思い出

 母は17年前に亡くなっております。
亡くなった当初は母に関する様々なものが貴重で、なかなか捨てられませんでした。
といっても、着物だの指輪などではありません。
やり取りした手紙やハガキです。
母が大切にしていた数冊の本なども。
それらも合間合間に手放しておりましたが、
この度、その箱の中身を開けてみることにしました。

その中から出てきたものが、尊厳死に関わる記事と例文を切り抜いた北海道新聞の一部です。

記事は2006年8月5日のもの。

ちょうど母が胃の全摘手術を終えて、しばらくした頃のものだとわかります。

これを読んだ私が、拡大コピーして母に送ったもの・・・それの原版です。



延命措置に対する母の思いは、以前から電話のやりとりの中で度々聞かされておりました。 

「でも、母さん。それって母さんが万一惚けてしまったり、意識不明になってしまったり、意思を伝えることができなくなった時、家族が『母はこのように希望してました。』と言っても信じてもらえないでしょ。文書で残さなければならないね。」

そんなやり取りもしていたのです。
そんな折、北海道新聞に掲載された記事だったのです。

心に沁みる返信

 母からこれに対して次のような返信がありました。

震える手で書かれた手紙の一部です。

 
保存していたこれらを読みながら、私は先の記事を書くことを決めました。
前回の記事は、フィクション小説の感想ですし、脳死の当事者は幼い少女です。

老人となり病を得た母親の事例と、並列に語れるものではないのかもしれません。

しかし、この本を読んだ直後に、再び目にした尊厳死の記事。
私にはつながって感じられました。

胃を全摘したものの、少しずつその身体で生きることに慣れ、痛みもなく平穏な暮らしを取り戻した母でしたが、ガンは肝臓に転移し再び姿を現しました。
抗がん治療を一回は試したものの、このような状態の身体で生きていたくはないと拒否。

幸い痛みはなく、なだめなだめの日々を送りましたが、病の進行とともに、痛みやだるさも出始めました。
母は、台所に立てなくなってから、一時息子夫婦のところに世話になり、その後終末ケアをしてくれる病院に入りました。
入院後しばらくは、最低限の輸液がありましたが、死にゆく身体はそれを受け付けなくなるのです。

点滴も外れ、モニター機器も一切無し。
そして
入院後10日ほどで静かに亡くなりました。
「ああ。良かった。楽になった。」
私はそう言って、母の頭をなでて静かに泣きました。

この瞬間病室にいたのは私だけでした。

医師は診察をし、死亡の宣言をしましたが、その折
「他のご家族が到着するまで、人工呼吸器で呼吸を維持させることができますがどうしますか?」
とたずねられました。
家族揃ったところで改めて臨終の宣告をすることができるという意味なのでしょう。
「それは、しなくてけっこうです。」
迷わず答えることができました。

関連の過去記事を貼りました。
読んでいただけたら嬉しいです。
kyokoippoppo.hatenablog.com


・・で、私の断捨離??
新聞記事はここに残したので捨てましたが、尊厳死の例文は、もう私自身がそろそろ書いていおく必要を感じておりますので、身近に取っておきましょう。
母の手紙も・・・。
これ捨てられないでしょ。

こんな調子でどうなることやらです。