新聞切り抜き・・・人間の存在の威厳を焼き込む

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 「桜を見る会」に関連した報道がテレビで、新聞で続いているようです。
私はその報道を詳しく見聞きする時間も持たず、朝起き、職場に行き、晩御飯を終えると早くも我が身体は、カラータイマーを鳴らし始めます。
風呂に入るともう、食器一つ動かしたくなくなり、寝室へ。
驚くなかれ、その時刻7時半頃。
そしてここから始まる自由時間・・・。
憤慨し、あきれ果てるようなものへ視線を向けようとは思わないのです。


読みかけの本をめくったり、ブログを読んだり・・・・楽しいことに使いたい。

以前私は、日記をわざわざ公開するなど大変に悪趣味だわ!!と思っておりました。
日記というのは、ノートに書かれ、つくえの引き出しに仕舞われておくのが正しい姿であろうと。

それを、誰の目にもふれるであろうネット上にばらまくなど、考えられない!



しかし、私は今、そのブログに時間と勢力を注ぎ入れせっせと公開している日常を送っております。

また、ネットでつながる仲間のブログや、ひょいと目に入ったブログを読ませていただく毎日です。

憧れる生活を垣間見せてくれたり、知らない世界や私には届かない世界を見せてくれるブログにも接しますが、

多くの方は、繰り返される日常を、その苦しみや喜びを背負いながら暮らしておられます。
私はそれを読むのが楽しみです。
食べたり飲んだり歩いたり。
風邪をひいたりけがをしたり。
手を動かし、料理を作り作品を作り。
身体を動かし庭をいじり畑を耕す。
世の中を賛美したり、嘆いたり。

子どもや孫を慈しみ。
動物たちを世話したり。

ああ、みんなどこかで生きている。
そんな感慨にひたれます。

光を放つ言葉

 さて、今記事は、切り抜いた新聞記事の整理です。(北海道新聞 11月4日)

この方は写真家として、多くの人物を撮ってこられました。

また、色々な方との対談の中で、魅力的な言葉を残しております。


お顔の表情も柔和で大変な魅力的です。





言葉と生きざまは、まさに連動しているのだなあ。
そのように感じた新聞記事なのでありました。

どんな人にも尊厳や威厳があるかもしれない、人間は生きるに値する動物かもしれない

鬼海氏のこの言葉は、私がブログの中に見つける喜びや、感慨というもののを言葉にしているように感じました。



f:id:kyokoippoppo:20191127060422j:plain:w500:leftそれに引き換え




政治家の発する言葉は、そもそも、使う用途が違うのでしょうね。



まるで異質なものが伝わります。










鬼海氏の言葉・・・・
ものをつくるというのはゆっくりであること。
自分が自分になるということも。

で・・あれば私はまだまだゆっくりと自分を育ててゆけそうです。
途上である自分を知るということは、楽しいことでもあるのです。

この記事を書き上げたところで、サムネイル用の写真を一枚撮りました。
11月27日・6時15分の東の空です。