黄ばんだ本を読んでいます

われわれが侵入者なんだ

あるとき、湧別川の鮭をとって、巡査に追われたアイヌを、父は自宅にかくまい、巡査に言いました。
『われわれが侵入者なんだ。アイヌ人が先に土着してたんだから。アイヌはかわいそうなんた。サケ、マスしか食っていないんだ。それを勝手に、密漁などの罪にして』
巡査はだまって帰りました。

前回の記事内容と連動するこの文章に出くわして、私はさっそく、今日の記事を書き始めています。
kyokoippoppo.hatenablog.com

この文章は、『伝蔵と森蔵』の62ページ。
ようやくここまで読み進みました。

明治15年(1882年)湧別川河口に単身で入植し、亡くなるまでの54年間をウタリと共に暮らした徳広正輝氏のエピソードです。

『伝蔵と森蔵』
 いま、湧別図書館では司書さんが苦労して集めたという、当地の昔の絵はがき、及びその複製が展示されております。
先日、館内に入るなり私は声をあげました。
「素晴らしい展示ですね!」

それをきっかけに話が弾み、その流れから一冊の本を紹介されました。
彼女の熱いプッシュがなければ、絶対に借りなかったでしょうね。
いつ出た本だい?
紙質も悪く、たいそう黄ばんだ本です。
『伝蔵と森蔵』?
「安彦さんが読んだ本ですよ。『王道の狗』のモチーフはここから得られたのですよ。」
その一言を聞いて興味が湧き、借りてきました。
副題「自由民権運動アイヌ連帯の記録」・・・これも私の興味に添うものでしたし。


あとがきには、

この書は、秩父事件の顕彰、人権の回復、差別の廃止を願って取りくんだ集団的な歴史創造運動の記録

であると書かれており、何とも堅そうな内容です。

この地「湧別」が登場する『王道の狗』を読んでいなければ、何だか古くさいし、難しそうだし、関係ないしの3拍子でスルーすること確実な一冊です。

今、ここまでこの記事を読み進めて下さった方々のうち、どれほどの方がこの黄ばんだ本についてさらに知りたいと思うでしょうか?

お付き合い下さる方が、大変に心もとない人数だとしても、私はもう書くつもりでいるのです。
だって私のブログですからね。

数回に分けて、ランダムなタイミングで、ゆっくりと丁寧に書いてゆくつもりてすが、モチベーションが保つか?一抹の不安も残ります。
そもそも、まだ読み終わってもいないのです。
やっと62ページですから。
我が町の開拓の祖徳広正輝の、この本の中での位置づけも、まだわかりません。
ゆっくり味わいながら読み進めましょう。

次々と出てくる名前

 私にとってこの手の本は、さくさくと読めるものではありません。

秩父事件のあと逃亡し、名前を変えて北海道に潜入した伝蔵森蔵のその後を知るために、関わりのありそうな人を訪ね、小さな点を線にしていくような取材が続きます。
本書が書かれた1976年時点で、一親等はほとんど亡くなっております。

義理の関係も含め可能性のある親族、係累をあたり、戸籍や学籍簿を紐解いて謎解きする面白さはありますが、次々に出てくる名前・・・・。

「いったいどういう関係のどなたさんでしたっけ?」
頭の中に残すことは難しく、メモを取りながら読まなければなりません。
そんなわけで、意気込みはあるものの今後記事にできるかどうか?
まだわかりません。


『王道の狗』『伝蔵と森蔵』、さらには安彦氏の講演録や新聞記事を連動させて紹介できたら面白いと思っておりますが・・・。

秩父事件世界大百科事典 第2版の解説
1884年(明治17),埼玉県秩父郡を中心に起こった農民蜂起。自由民権期の激化事件の頂点をなし,当時は〈秩父暴動〉〈秩父騒動〉といわれた。明治政府はこれを少数の壮士,博徒,脱監人が多数の善良な農民を教唆して起こした事件と解釈し,報道機関もその見解に従い,当時真相はわからなかった。 横浜開港以来,秩父といわず全国の平均的養蚕農家は国際商品となった生糸生産によって生活を補完したため,世界経済の動向に従って左右された。

今回はプロローグということで、ここまで。
そしてこんな一枚を貼り付けます。
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北海道新聞・2019年3月30日に掲載されていたものです。

  *  *  *
 
今夜から低気圧の影響で荒れ模様。
除雪の朝を向かえることは決定のようです。
    *  *  *
翌日の追記
あれれ、穏やかな朝を迎えました。
除雪作業は無し!!