興味の流れのままに⑤

連載これまで

 興味の流れに添って進んでいたら「秩父事件」にたどりつきました。
それを、これまた自分の興味と学びのために、記事として書き進めております。
歴史の掘り起こし記録である『伝蔵と森蔵』より、
●井上伝蔵の最期(秩父事件における会計長、欠席裁判で死刑判決、北海道に逃亡し北見市で亡くなった。)
●飯塚森蔵(秩父事件における乙隊長、北海道に逃亡後消息は不明な点多し)の妻は、当時湧別に存在した「丸玉旅館」の娘であること
●湧別には「アイヌの父」とも呼ばれる徳広正輝がいたこと
などを、前回までの記事に書きました。

内容を詳しくお知りになりたい方は、タイトルと同じカテゴリ「興味の流れのままに」でお読み下さいませ。
今回は、フィクションの世界をここに重ねてゆきます。

『王道の狗』・・・鎖

Wikipediaより、本作品の概要のごく一部です。

本作は「王道」を目指す主人公・加納周助と、「覇道」を推し進めようとする風間一太郎の相克を中心に、明治時代における日本の対外政策が描かれている。

(太字はkyokoによる) 
そう・・・秩父事件そのものを扱った作品ではないのです。
しかし、「秩父事件」は、物語のプロローグとして大事な意味を持っています。

主人公の加納周助は、秩父事件に関わった若き自由党員として登場します。
その挫折をスタートとして、様々な人と出会い、再び世の中に関わっていく様子がストーリーとなっております。

 警察に捕えられ、北海道の道路建設の厳しい労役に従事されられていた加納。
逃亡防止のため、二人一組で鎖で繋がれての労役です。
加納の相手が、風間一太郎です。
彼は天誅党員の若者。
野心に忠実、人を巧みに利用して世に出てゆきます。
物語の始まりでは鎖に繋がれ一蓮托生だった二人ですが、それぞれの道を歩むうち、互いの姿を対立軸上に見出すようになるのです。

『伝蔵と森蔵』・・・・鎖

明治一九年、明治政府は北海道に中央直属の道庁を設け、開発の困難な箇所には‘’囚人の死の労働をあてよ‘’との金子堅太郎の「復命書」を実行にうつした。秩父事件をピークにした自由民権運動の廃退が、明治政府をして囚人の人権無視の行刑を可能にしたといえよう。

網走から遠軽までの工事で死亡した囚人は、足に鎖をつけられたまま、土をかぶせられた。のちに入植した開拓農民と屯田兵は、土まんじゅうの中から鎖が出るので、「鎖塚」と名付けた。

『王道の狗』・・・・脱出

f:id:kyokoippoppo:20200323182413j:plain:w330:left 
加納 風間の二人は逃亡を決意し、深い山を越えてゆきます。
見つかれば拷問そしてその先の死が待っています。
深い山の中へと進むしか道はありませんでした。

山を抜けた先にあったのがユウペツだったのです。
アイヌの男に窮地を救ってもらい、(鎖は怪力のこの男がほどいてしまいます。)
アイヌの服アットゥシをもらい、アイヌの青年に化けるのです。
そして徳弘牧場に身を寄せます。
f:id:kyokoippoppo:20200323183922j:plain:w350:right










結局二人の正体はバレてしまいますが、北海道の果てで暮らす徳弘正輝にしても、故郷高知にいられなくなった事情を持つ身・・・。

黙認してくれるのです。






f:id:kyokoippoppo:20200323182342j:plain:w200:w200:left

ある日湧別の町に、二人の男が現れます。
一人は金の鉱脈を探す山師。
もう一人はその連れです。
連れは虫垂炎を煩い、倒れる寸前の様子。
これが、北海道に逃亡していた「飯塚森蔵」なのでした。


f:id:kyokoippoppo:20200323182356j:plain:w200:left
そう!安彦氏はここに、森蔵を登場させ、加納(物語上の人物)と出会わせました。

さらには、徳弘正輝(実在の人物)とも出合わせました。



 森蔵の足取りを追い、執念深く調査をした小池氏(『伝蔵と森蔵』の著者)は、湧別を訪れた森蔵が、アイヌの妻を持ちアイヌを理解し共に暮らした徳弘正輝という人の存在を知り、その後の自身の生き方の指針にしたのではないか?と推測したようです。
森蔵、タマ夫婦が、二人の子どもをアイヌの家庭に養子に出し、自分たちもコタンの片隅に粗末な家を建てそこで暮らしたことと、湧別の「徳広正輝」の生き様に共通項を見出しておられます。
f:id:kyokoippoppo:20200327081521j:plain:w250:left
安彦良和氏も、その作品の中で二人を出会わせました。



面白いことに、さらにここに武田宗角まで登場してくるのですが、話が広がり過ぎるのでここでは詳しくは書きません。




武田 惣角(たけだ そうかく、安政6年10月10日(1859年11月4日) - 昭和18年(1943年)4月25日)は、日本の武術家。武号は源正義。大東流合気柔術の実質的な創始者合気道創始者とされる植芝隆平は惣角の門下生であった。

出典: フリー百科事典(Wikipedia

小池喜孝氏と安彦良和

以下は安彦氏が故郷の遠軽で行った講演の記録の一部です。

小池喜孝さんという郷土史を勉強なさっている方がいて、今日はここに伝蔵と森蔵という本を1冊持ってきましたけど、これは76年に出た本で、僕は徳弘正輝という人の名前をこれで始めて知ったんです。

この小池喜孝さんという方は明治時代の自由民権運動についての研究を主になさっている方で、特にその中でも囚人道路について郷土史の掘り起しということを70年代の前半に随分精力的にやられております。
井上伝蔵さんあるいは飯塚森蔵さんに僕も非常に共感を覚えて、小池さんという人の本を読んだんですけれど。

余談ですけど小池さんという方に手紙を出したことがあります。この方は東村山出身なんですね。東村山は所沢の隣で、所沢は埼玉、東村山は東京なんですけど、お手紙の返事いただきました。自分は東村山に生まれて、今北見にいる。あなたは北見で生まれて今所沢にいる、逆ですね。というような手紙をいただいた記憶があります。

(2012年12月)
 お二人の接点が伺えますね。
しかし、「秩父事件」に対する思いが、ぴたり重なっているわけではありません。
次回はそのことを書いてみたいと思います。