興味の流れのままに⑥

「この頃のばあばのブログはつまんない!」
と娘。
まあ、そうだろうなあ!
娘Aならそんな反応でしょう。

「必ず開けてはみるんだけど、『興味のなんたら』っていうのだとガッカリする。」

あはは、そうか!
そうかもね。
興味を持つって、個人的なことだものね。
それを共有してもらうのは難しいとは思っていますよ。
でもね。もうしばらく書くのです。
『興味の流れのままに』の連載を。

娘から、記事にしろ!!と勧められた面白記事のストックもありますが、それは次回に回します。


【第162回 直木賞受賞作】熱源

【第162回 直木賞受賞作】熱源

『熱源』→北方の先住民族のこと。
文化を奪われたポーランドの民のこと。『伝蔵と森蔵』秩父事件と北に逃れてきた「伝蔵」と「森蔵」。
アイヌ民族や北方の先住民族のこと。『王道の狗』秩父事件と湧別を、物語の起点とした作品。作者は、となり町遠軽のご出身。


この3冊によって形成された興味に添って、この連載を書き進めております。
記事のつながりが分かりにくい方は、タイトルと同じ「興味の流れのままに」というカテゴリにてお読み下さいませ。

前回まで

 前回の記事では、歴史の掘り起こし記録である『伝蔵と森蔵』と、フィクションの作品である『王道の狗』を重ねてみました。
『王道の狗』の作者安彦良和氏は、作品を作るにあたって『伝蔵と森蔵』を読んでおり、著者である小池喜孝氏と手紙のやりとりもしています。

しかしながらお二人の「秩父事件」に対する姿勢は、ピタリとは重なってはおりません。
この事件をどう見るか?
同じ事象を受け取っても、自分のフィルターを通す際に個別の色分けがされてゆきます。
そしてそのフィルターは、それぞれの個人史によって出来上がっていると思います。
そこがとてもおもしろく興味深かったのです。

泥を落として顕彰したい

 小池氏の”思い”はそこにありました。

秩父事件に付けられた「火付け、強盗」という汚名を晴らし、正しく顕彰したいという熱意でもって、歴史を掘り起こしました。
逃亡後の伝蔵、森蔵が暮らし、命を終えた北海道でその活動を行い、後には事件のあった秩父にその活動を広げ根付かせてゆきました。
秩父事件は、民衆が起こした権力に対する切なる訴えであり、実力行使である。
生活苦に喘ぐ農民の苦しみを顧みない為政者対し、自分の人生や家族さえ投げ打って訴え、行動した行いが、「火付け」「強盗」「暴徒」として裁かれ片付けられてよいわけがない!!

 小池氏は、これをスローガンとして声高に発するのではなく、むしろ地面に潜るようにして歴史を遡り、史実を確かめ、人に会い生の声を聞き、自らの優性思想や差別意識とも向き合いながら活動を進めました。
事件についた汚名は小池氏たちの活動により、見事拭い去られたのです。
その活動の記録が
『伝蔵と森蔵』です。初版は1976年

権力は悪で民衆は善か?

f:id:kyokoippoppo:20200326082331j:plain:w400:left

 『伝蔵と森蔵』が発行された1976年
安彦氏は29才。
虫プロ養成所に入って6年目の頃です。



安彦氏は、70年安保闘争の騒動をくぐり抜けたばかりの青年だったのです。










『王道の狗2』(講談社)の巻末には、松本健一氏との対談が収めれています。


松本 健一(まつもと けんいち、1946年1月22日 - 2014年11月27日)は、日本の評論家、思想家、作家、歴史家、思想史家。麗澤大学経済学部教授。
中国日本語研修センター教授、麗澤大学経済学部教授、麗澤大学比較文明文化研究センター所長、一般財団法人アジア総合研究機構評議員議長、東日本国際大学客員教授内閣官房参与(東アジア外交問題担当)などを歴任した。

Wikipediaより


そこには、安彦氏の次のような言葉があります。

逃走して惨めに刑死した連中を暴徒として蔑むのは勿論いけないけど、それでは「輝ける」なのかといえばそれも違うと思うんです。
庶民の運動だからといって諸手を上げて褒められるとどうも、ちょっと違うのではないかと。

(民権百年の節目で、秩父事件再評価が盛んになり「輝ける秩父」という持ち上げ方をされていた。・・まさしく小池氏などの仕事を指す)

松本『王道の狗』の主人公は、大井(大井憲太郎)たちと自由民権運動をしていながらも、国事犯ではありませんね。
安彦ええ、ただの火付け強盗です。
松本・資金集めをさせられた人々は、金持ちは地元の高利貸しくらいしか知らないから、そこを襲う。その金で活動する大井たちは国事犯で、実際に集めた連中は破廉恥罪に近いものになってしまう訳です。主人公や飯塚森蔵等もそうだと思うんですが、かれらはルサンチマン、昏い(くらい)恨みを抱いて明治という時代を生き続けなければならなかったんですね。そういった宿命を背負った男が、どう生きていくのか。
興味が湧きます。
安彦・僕が描きたかったのも正にそこなんです。・・・・・・

(太字と括弧はkyokoによる)


f:id:kyokoippoppo:20200327081632j:plain:w230:left主人公加納が見た苦しい夢・・・。
ここでは、資金を集めることのリアルを伝えておりますし、

撤退し追われる身となった加納が、非道な罪を犯す場面も作っており、安彦氏は必ずしも、事件をきれいごととして、関わった人を善人として描いてはおりません。





f:id:kyokoippoppo:20200327081619j:plain:w230:left
f:id:kyokoippoppo:20200327081602j:plain:w230



森蔵にも、こう語らせております。

f:id:kyokoippoppo:20200327081545j:plain:w430:leftf:id:kyokoippoppo:20200327081533j:plain:w230

北海道新聞『私の中の歴史』

f:id:kyokoippoppo:20200327100204j:plain:w330:leftf:id:kyokoippoppo:20200327100224j:plain:w350
 2012年、道新の連載です。
北海道にゆかりのある人の個人史を丁寧に紹介するものです。
安彦良和氏のものを切り抜き保存してありました。
(一部切り抜き忘れており欠けていますが・・)
この紙面は、安彦氏が学生運動に身を投じた頃のものです。

一部拡大しました。
f:id:kyokoippoppo:20200327100234j:plain:w700
70年安保闘争における学生たちの運動は、次々と潰されてゆきました。
果ては、逃亡し、先鋭化した連合赤軍による山岳ベース事件、浅間山山荘事件という末路を迎えます。

山岳ベース事件(さんがくベースじけん)とは、1971年から1972年にかけて連合赤軍が起こした同志に対するリンチ殺人事件。当時の社会に強い衝撃を与え、同じく連合赤軍が起こしたあさま山荘事件とともに新左翼運動が退潮する契機となった。

あさま山荘事件または浅間山荘事件(あさまさんそうじけん)は、1972年2月19日から2月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器の保養所「浅間山荘」において連合赤軍が人質をとって立てこもった事件である。

(共にWikipediaより)

 安彦氏が「秩父事件」を見るときに通すフィルターが、ご自身の体験や、このような学生運動の末路なのでしょう。

民衆が善で、権力が悪であるという割り切り方はできないのです。
秩父事件」に共感を覚え作品にしつつも、善悪の色分けでストーリーを作ることはせず、登場人物ひとりひとりの中に葛藤や矛盾を抱えさせ、時代の中を歩ませたのです。



kyokoippoppo.hatenablog.com