13年前・・・春のメロディー

 書きたい記事が他にもたくさんあるのですが、「長男のこと」を書いたあと、13年前のことをもうひと記事、残しておきたくなりました。
前回の記事や、2年前にかいた記事と重複する部分が多いのですがご容赦を・・・。
 春になると必ず思い出すことですし、この度は特にまとめてしっかり書いておきたい、振り返りたいと思ったのです。
当時書いていた『いっぽいっぽ通信』をひっぱり出し、活用しながら記述してゆきます。

トンネル手前

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『いっぽいっぽ通信』についてのくわしい説明は割愛いたします。
まあ、その頃から発信好きな私だったということです。

 一年一年テーマを決めており、
その年2006年は「フエミニズム」でした。
最後の月12月号で私は、左記の文章を抜き書き、「ゲド戦記シリーズの4巻目『帰還』を話題にしました。
宮崎吾郎氏監督、脚本のによる同名の映画は、ストーリーや理念が全く異なるものです。ここではあくまで、原作の『ゲド戦記』を指します。)


『帰還』には、『フエミニズム』の問題がいよいよはっきりした輪郭を伴って提示されています。
」も、ル・グヴィンが追い続けるテーマです。
フエミニズム」と「」は、密接な関係をもっています。同じ問題ともいえるかもしれません。
を持ち「大賢人」とまで呼ばれた「ゲド」は、この巻では力を使い果たし、からっぽになって登場します。
 かつて大巫女と呼ばれた「テナー」は、知識と力を得る機会を自ら捨てて、平凡な女の生活を選び、年月を経て未亡人となっています。








力でもって支配しようとする相手と、どう対峙してゆくのか?
このようなことを話題にしてその年の号を閉じたのです。
明けて1月。
苦しい冬がやってきます。

トンネル突入

 その冬は、私のそれまでの経験の中で一番苦しい時でした。
町の小さな小学校の期限付き教諭として、
50日足らずを働いたのです。
学級児童はたったの四人。
そして・・・・たったの50日。
しかし、この日々は、私にとってはとてつもなく長く苦しいトンネルとなりました。
kyokoippoppo.hatenablog.com
(過去記事は2年前に書いたものです。)
始終動悸がし、怖い夢を見てほとんど眠れず、唾液が出なくなり、下痢が続き、ご飯が食べられなくなりました。
自尊感情はズタズタに傷つきました。
「私が私のままでいられない」感じを味わいました。
でもその私も紛れもない「私」だったわけで、結局私の苦しみというのは、認めたくない私に対面した苦しみだったといえましょう。
「辞めてはいけない。」
それだけを、自尊心の最後の砦としてようやく3月末日まで勤めたのです。




トンネルを抜けて

 冬に受けた傷はすぐには塞がりませんでしたが、終わったという安堵感と、もうあの職場に戻らなくても良いという安心感は格別のものでした。

ここに貼った絵は、再開した『いっぽいっぽ通信』5月号に載せたものです。(ラフなイラストですが、そのときの私が確かに伝わるお気に入り)

この体験についてしっかり振り返り、書いておかなければと思ったものの、このときは自分の溢れるような開放感を伝えたかったのです。


出勤しない朝のうれしいことうれしいこと!!


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仕事から開放されたのもつかの間。
なんとすぐに別の仕事が舞い込みました。
新しい仕事は、「私」が「私」のままでいられるもの。
放課後やってくる子どもたちに添う仕事。
児童館のお仕事でした。
放課後の時間に合わせ出勤し。夕方までの勤務。
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帰宅後の私。

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そんな時期に聴いたのが、スティングの『ラビリンス』というアルバムです。

 『ラビリンス(Songs From The Labyrinth)』(写真)と題された本作は、リュートのための曲を多く書いたことで知られるエリザベス朝時代の作曲家ジョン・ダウランドの作品を基調にしたもの。リュートは15~17世紀のヨーロッパで盛んに用いられた撥弦楽器(指などで弦をはじく楽器)で、ギターと調弦法・奏法は似ていますが、その起源は異なり、東洋の琵琶と同じ祖先を持つものと言われています。

 本作は、そのリュート演奏の第一人者であるエディン・カラマーゾフとの出会いなどがきっかけとなり企画されたもので、エディンのリュート演奏のみを伴奏としたヴォーカル曲やインスト曲を収録。また作曲家のダウランドが当時の国務大臣に宛てた手紙をスティングが朗読した曲や、スティングがエディンとのリュート・デュオを披露した曲も収録。

(CDジャーナルの音楽情報より)

トークも混じっております。純粋し音楽だけのものがみつかりませんでした。こちらの音楽もう一つのブログ「kyokoippoppo,s diary」でも保存しました。)
www.youtube.com

開放感の中で聞いたとはいえ、辛かった冬の日々はそれとセットのようなものです。
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そんなある日、前年末の通信がふと目に触れたのです。

そう、これです。

私は顔をおおって泣きました。
声をあげて泣いたのです。

テナーの姿は、そっくり自分のものだったからです。
昨年までは私の表層に留まっていた文章でしたが、トンネルを抜けた私の心に、それはぎりぎりと刺さってきたのでした。

振り返る

 この仕事での自分の有り様を改めて通信に綴ったのは『ゲド戦記』を綴った一年後の2007年12月です。
その時私は、今に続く支援員という仕事を得ておりました。
二度と戻るまいと思っていた学校現場に戻ったのです。

その号からの抜き書きです。
これを再び、文字にして残しておきたかったのです。
ここに残すと共に、私の心にもう一度刻み込んでおきたかったのです。

 前任校での自分が、何故あれほどに追いつめられ自分を見失ったのか?を改めて考えます。
私に担任をやるだけの力が足りなかったことは確かです。とはいえその現実の中で、それなりの奮闘ができたはずです。その気力までが枯れていったのは何故だったのでしょうか?それは、「私はここで役に経っていない」という思いに囚われ、振り回されてしまったことが大きな原因だったと思います。
 目の前の子どもたちに何が必要か、彼らのために私にてきることは何か?担任となった私は自分でこのことを考え、試行錯誤しながらもそれに取り組まなければなりませんてした。
 しかし、今、試行錯誤させる余裕はない、というのがそこでの現実でしたし、私は私で、自分を役立てたいと性急に思うあまり、‘’自分を評価する相手‘’に自分を差し出したのでした。これは本意ではないと感じつつも、現場での厳しい指摘や叱責を怖れ、それ以外の行動がてきなくなっていたのです。私の有り様をはっきりと感じとった子どもたちは、失望し、私を試すように様々な反抗を繰り広げました。

彼らの行いはとても悪いものでしたが、その反抗の理由を感じ取ることはできました。それなのに、私は彼らの心に添うことがてきなかったのてす。
情けなくて惨めで、そんな自分を支えるだけで精一杯でした。何もできない卑屈な私が、エネルギッシュに反抗心をぶつけてくる子どもたちに向かえるわけがありません。
現場の管理職と子どもたち双方から軽蔑されていることをひしひしと感じてました。
自分の存在理由というものが、いかに他者によってもたらされるのかをつくづく感じます。

今は、あの頃を感情を伴って思い出すことはありません。
でも、忘れることはできないし、忘れてはいけない体験・・・・そしてとても貴重なものなのです。


長い文章になりました。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。