犬ものがたり②・・・第三の犬

『その犬の名を誰も知らない』の感想文

 まずはこの本について書きましょう。
本のあらすじやポイントを、的確に伝えるのはなかなか難しいです。
ネットからあらすじを引っ張ってきて、貼り付けて済ませてしまいたくもありますが、ここは自力でがんばってみましょう。

大切な序章ですから。
感想文の形で綴ってみます。

かすかな記憶の「タロ」と「ジロ」

 南極に置き去りにされた犬が生き残っており感動をもたらした・・・・そんなことがあったようだ。

私が知っていたのはここ止まりでした。
そのニュースは1959年のもの。
私は生後一年ですので、生々しいニュースとして知ることはそもそも不可能でした。
ただ、その後の生育過程で「タロ」「ジロ」という名を耳にした覚えはあります。
母親が語って聞かせたものか?
何かの読み物で知ったものか?

映画『南極物語』が公開されたのは、1983年のこと。
二頭発見の24年後の作品です。
私はこの作品も観ておりません。

二匹の犬と探検家の感動的な出会い・・・という月並みなイメージだけが、私の持つ全てでした。

ですからこの本に書かれていることは、初めて知るに等しいものばかりでした。
まず、その新鮮さがあったのです。

”第三の犬”

 しかし、『南極物語』をご覧になった方や、この出来事に多くの関心を寄せていらっしゃった方にとってさえも、新鮮な驚きや新たな興味となるであろう新事実がこの作品で語られております。

南極で働いた全ての犬にスポットを当てながら、
”第三の犬”という表現で語られる犬を、解明していく・・・・そんなストーリーとなっております。
さて、
”第三”とは?どういうことか?

  *  *  *
 
 その犬は遺体で発見されました。
1968年の冬のことです。
タロジロ生存が確認された年の9年後。
しかし、それはニュースにはなりませんでした。
発見時遺体でありましたから、生存して対面したタロジロほどのニュース性がなかったことは否めません。
また、遭難後行方不明となっていた福島伸隊員の遺体が時を同じくして発見され、そちらが大きなニュースになったことも要因の一つとみられます。

しかし、第一次南極越冬隊の犬係であった「北村泰一」氏にとっては、極地に残してきた犬の遺体発見は、大きな関心事となりうるものなのです。

それなのに北村氏が、この事実を知ったのはなんと1982年のこと。
第三の犬の発見から14年も経っていました。
え????どういうこと??
何故???

そもそものそんな謎を起点として、この物語は始まります。

残された犬たち

 第一次越冬隊が撤収したとき残された犬は、15頭でした。(南極へ行った19匹のうち、2匹は死亡、1匹は行方不明となっていた。また1匹だけは収容された。)
一年後・・・・・・

首輪から逃れ生きていた2頭
首輪から逃れ、基地を離れたと思われる6頭
首輪から逃れられず餓死した7頭
が確認されました。
しかし、後に発見された1頭。
これは、首輪から逃れたものの基地を離れなかった1頭ということになります。
6頭のうちの1頭。
生き残ったタロジロと共に暮らした可能性のある1頭ともいえるのです。

北村氏は当然、このことの解明に乗り出しました。
しかし、当時は社会的に多忙であり、調査は思うように進みませんでした。
その後体調を崩し、精力的な活動もできぬまま年を重ねていたのです。

遠い過去の掘り起こし

 そんな北村氏を喜悦氏が訪ねたのは、2018年の2月頃です。
タロジロ再会の年から60年目の節目であり、このことを詳しく知りたい取材したいと思っていた喜悦氏でした。

当時の隊員で犬係だったもう一人の隊員、菊池徹氏はすでにお亡くなりになっており、このことを詳しく知る人は北村氏ただ一人となっておりました。
しかも北村氏は87歳を迎えようという老齢の身。
犬たちの話を詳しく聞く、最後のチャンスだったのです。

北村氏が生活する老人ホームを尋ねた喜悦氏は、そこで、初めて「第三の犬」の話を聞きました。

言葉を失った。

信じがたい証言だった。

喜悦氏はこのように書いています。
そう、この犬のことは全く報道されませんでしたので、タロジロとは対照的に知る人は皆無という状況だったのです。


「知っていることを話して下さい。」
喜悦氏はそのように呼びかけました。
それに応じた北村氏は
「動けなくなった自分に協力してほしい。是非このことを解明してほしい。」
と頼んだのてす。

「実は頼みがあります。」
北村氏の表情にはノーと言わせない覚悟が刻まれていた。
「私は第三の犬の正体を何としても解明したい。
それを手伝ってもらえませんか。それから犬たちがどう生き、どう死んだのか、全てを証言しますから、それを記録に残してほしいのです。」

「犬たちは物言わぬ越冬隊員。タロとジロ以外は今もなお、名もなき存在のままです。だからこそ、彼らが南極で苦しんだり喜んだりした全ての真実を、世の中に知ってもらいたい。そうでなければ私は死んでも死にきれない。」

 喜悦氏の仕事は、自分の興味や満足を越えるものとなりました。
北村氏の悲願を自分のものとし、動き始めたのです。
何処へともなく散らばった大量のピースを、丁寧に集め、はめ合わせていく作業が始まりました。
そのピースは、北村氏の忘れ果てた記憶のさらに奥底からもすくいあげられてゆきました。
膨大な資料の中の・・・1ぺージの中の・・・さらに数行からもすくいあげられてゆきました。
そのような労力の末に世にだされた一冊なのです。

涙あふれるも

 これは、読者の涙を誘うために書かれたものではありません。
北村氏は科学者の態度を貫き、嘉悦氏は報道の世界に身を置いたものの矜持を保ちながら執筆にあたりました。
第三の犬に関しては、写真を含むほとんどの証拠が残されておりません。
ですからどんなにあがいても、これに関しては記憶、憶測の外に出ることはできません。
しかしだからこそ、その検証はより味わい深く感じられました。
客観的に語られる犬たちの姿に、心が激しく揺さぶられました。

19匹の犬。
そりを引く犬。
雪の中から掘り起こされた犬。
タロとジロと北村氏。
本の中で見ることができるそれらの写真。
それを見るだけで私はぶわっと涙が出ます。






彼らはもう、名もなき犬ではない。
愛しく、頼もしく、立派な越冬隊員たちなのです。