長男のこと⑬

ようやく仕上がった新作

 長男Hが、新作(編曲作品)をニコニコ動画に出しましたので、
今回の記事は、『長男のこと⑬』となります。

作品のアップに合わせて、綴っている連載です。
いくらかでも、力になってやりたいのです。
是非ともポチッとして、聴いて下さいませ。
時間をかけ、細部にまでこだわって作った作品だそうです。

www.nicovideo.jp

 初めてこの記事に接する方や極最近の読者の方のために、今までは、ざっとこれまでの経緯を書き記しておりました。
しかし、今回はそれを省きます。
●高校に進学しなかったということ。
●中学を卒業するころ、始めてピアノにさわり、それ以来夢中になったこと。
●バイトとピアノに明け暮れた10代であったこと。

それくらいの説明に留めましょう。
前回の記事を張り付けましたので、説明の足りない部分はこちらで補っていただけましたら幸いです。
kyokoippoppo.hatenablog.com



 今回は息子のパニック障害についてです。
息子は当時、家を出て札幌で暮らしておりましたので、彼のパニック発作の状態を、私は直接は知りません。
ここに記述したことは全て、息子Hから聞いて私が記憶していることとなります。

さばの味噌煮

 長男Hがまだ、我が家で暮らしていた頃、彼の好物はさばの味噌煮でした。
缶詰めのやつです。
安っすいやつね!
その甘じょっぱいさばをご飯にかけると
ご飯が進むくん!
もりもりとかきこんでおりました。
 テレビのグルメ番組などをみては、
食レポの仕事はいいなあ。仕事で美味しいものが食べられるんだから。」
などど、つぶやいてもいましたね。

 Hは、2007年春より札幌で暮らし始めております。
15の年から働いていたのだから、バカンス気分で一人暮らしをちょいと体験してみのも良かろう・・・・とそんなラフな気持ちで出ていったのでした。
しかし、程なく、札幌在住の作曲家の先生のところで作曲を学び始めます。
中卒の、得体の知れない兄ちゃんを、よくぞ拾ってくださいました。
M先生の自宅に通ってのレッスンが始まりました。
与えられた課題(和声の課題)を携えて行くのです。
課題の評価は??
先生は◯をくれるのか?
バカンスどころではなくなりました。

 さて、その年の晩秋の頃か初冬の頃か?
とにかく胃腸炎のウイルスが流行る時期のことです。
Hもそれにやられたのでした。
嘔吐と下痢に苦しんで、ようやく状態が落ち着いてきた。
しかし、ろくな栄養もとっていない体はフラフラでした。
そこでHは、とにかくそろそろ食べなくては、と思ったそうなのです。

スーパーのお惣菜コーナーで見つけたさばの味噌煮。
「ああ、缶詰めではなく、ちゃんとしたおかずを食べることにしよう。」
そう思ったそうなのです。



ああ、このチョイス危ないな!と思われる方も多いかと思います。
当たりです。
そのお惣菜のさばの鮮度が悪かったものか?
そもそも病み上がりに、「さば」という食材は相応しくなかつまたからか?
それを食べた息子のお腹は、もう、再びの大波乱となったようで、トイレからしばらく出られず、疲労困憊の末、友人に電話して来てもらったそうです。

駆けつけて来てくれた友人の車は、何とそんな季節にオープンカーであったとか?(この辺私の記憶違いでなければそうであったと。)

息子はガタガタ震えながら、嘔吐に備えてビニール袋を持ち病院へ向かった。そんな顛末でした。

食べ物が怖い

 そんなことがあった後、Hに変調が訪れたのでした。
食べ物を前にすると動悸がし、冷や汗が出て、苦しくなると。
何度か一緒に食事をとった音楽仲間の友が、
これはメンタルクリニックを受診するべきだ、
と判断しました。

そしていただいた病名が
パニック障害でした。

私はその話を聞き、にわかには信じられませんでしたが、何より息子自身が、
「オレがメンタルクリニックを受診するなんて!」
と事実を受け止められずにいたようです。
しかし、身体は容赦なく反応する。
食べ物を前にすると
「これは大丈夫なのか?」
という疑いが先に立ち、動悸が始まるようで、
Hはどんどん食べられなくなってしまったのです。

元々細身の男が、がらがらと体重を減らしてゆきました。
そのうち、身体は食べ物以外にも反応し、乗り物や閉所などでもパニックを起こすようになってしまいます。
あの時、さばなんか食べなければ・・・。

そんなことも思いましたよ。
でも、さばは”引き金”となっただけであって。
パニックを起こす素地は、すでに出来上がっていたのだと思います。

作曲の勉強・・・・。
・・そもそもが身の丈に合っていなかったのかもしれません。

先生に認めてもらえるような課題を次回までに持っていく。
そのことで心はいっぱいになり、
頭の中は音符だらけ。
眠れず、常にこのことにせっつかれていたとHは言います。
そんな状況が、いつでもパニックに繋がるような素地を準備万端整えていたのでしょうね。

2008年お正月

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これは、当時発行していた手書き通信の一部です。
(発信したがりの私は以前からこんなことをしておりました。)
楽しい語らいの一場面です。
バンド活動真っ盛りの次男Yは、金髪の髪をライオンのようにして、ブイブイいわせております。
長女Aは高校卒業間近。
立ってコーヒーを淹れているのがHです。
父親でもある夫の姿がありません。
これも悲しいかな我が家の実状であります。


「あれは食べられない」
だの
「これは、大丈夫かな??」
などといちいち確認をとる息子に対し、もどかしさを感じた私でしたね。


 そんな帰省の折に聞かせてもらった話です。
Hは自分の体調に関することを、先生にはひた隠しにしておりましたが、先生も、息子の様子の変化に気づき、先生なりに心配をして下さったのです。


先生は、
「こりゃ、この子にはリラックスが足りないのだな。」
と思ったのでしょうね。
勉強以外の楽しみを与えてやらにゃあいかん!
と。

先生は、音大で学ぶ女子学生を自宅に招き、パーティーを開くことにしたのです。
もちろんH君も来たまえよ。
そう、その時Hから確かにTelをもらいましたよ。

「お母!パーティーってどんなものなの?」
「何着ていけばいいの?」
「何か持っていくのかい?」
切羽つまったような声で電話をしてきたHでした。

パーーーティ??

そんなもの我が家に縁は無い!!
知らんがな!!
です。

息子は、気後れと何を食わせられるのか??
という大いなる心配を携えてパーティとやらに出向いたそうです。
立食形式のそのパーティー
皿にとにかく安全そうなお品を一品乗せて、ひたすらそれをキープするのに苦労したそうです。
いかにものを食べないように、しかも楽しんでいるように振る舞うかに神経を使ったというその話は、面白かった。

決して笑い話ではないのだけれど、飄々とそれを語る息子のユーモアは健在でした。


パニック障害予期不安。
鬱に移行。

そんな情報を目にしながら
「鬱だけにはなりませんように。」
と祈るような気持ちの私でしたが、
結局なりましたね。
鬱というものに。
それは次回以降の記事といたしましょう。